昨日、下野竜也指揮、新日本フィルの演奏会を聴きに行った。
彼が振るものは、何でも聴きたいと思っている。
それほどに、彼の指揮は惹きつける。
曲目は、シューマンチェロ協奏曲イ短調op.129.
そして、ブルックナー交響曲6番 イ長調。
ブルックーナー6番は、あまり演奏されない。
私ももちろん聴いたことはなく、you tubeで聴いてみたが、
1楽章以外は、それぞれの楽章の特徴を感じにくい。
これを、下野氏がどう料理するのかが楽しみだった。
やはり見事に期待を上回ってくれた。
1楽章が終わったとき、私は圧倒され呆然としていた。
そこに繰り広げられた世界は、映像が浮かぶほどに、
ドラマチックに立体的に展開されていた。
そして、厚みを持った織り重ねられた音は、
まるで濃縮された重量のある液体のように、
ホールに流れ出した。
音は、液状化した物質、確かに質量をもった物質なのだ、と初めて実感した。
音と人の心を、自由自在に誠実に動かす下野氏。
その手は、曲の行く方向を楽団員にも、観客にもハッキリと示していた。
そして、行き着いた先は、圧巻な山の頂きなのであった。
終演後、また(鹿児島大学オケOBなので図々しく)
楽屋を訪ねさせて頂いた。が、
余韻に浸ったままの私は、
下野さんとお話していても、違う世界に行ったかのように、呆然としたままだった。