ツイッターの方では
ひとり盛り上がって
色々書いてるんですが
https://twitter.com/hutakigusa/status/1360915363370700800?s=19
草彅剛さんの、横の絵の作者、
羽石光志って
私のおじいちゃん なんです。
このツイート
すごい着眼点っていうか
博学ですね
ちなみに
…少年倶楽部とか
本の挿絵のときは
羽石弘志って名前だったとか。
日光東照宮の陽明門の
のぼり竜の復元とかも やったりと
アカデミックだけど
https://twitter.com/harukazari/status/1337680028599943168?s=19
お見合い写真では
インドの人っぽい 扮装してみたり
(半裸で頭に 布をまきつける。
そのタイミングでは
結婚を希望してなかった説。
相手となった、おばあちゃんは
嫌がりながら結婚した、等々)
とんがった部分も
あったと聞いてます
珈琲と喫茶店と煙草が好きな
格好いい人でした
知る人ぞ知る存在すぎて
普段あんまり言ってない。
日本画とか
今あまり一般的じゃ ないですもんね
…修学旅行?で
陽明門に行った時に
解説者の人に打ち明けてみたら
ちょっと何言ってるか分からない
ってな変な空気になってしまった等々も
今となっては甘い記憶
死ぬ前の病床で
…なんでも描けると思ってきたけど
本物の 木の葉を見ると
1枚1枚の違いに圧倒され
到底 自然には叶わない。
と中1の私に
話してくれた事が
何より印象に残ってます
今回ツイッターで検索してみたら
色々知らない事が分かった
👇
『 羽石光志(1903-1988)は、
奇抜なアイデアを
持ち込むことなく、
一貫して伝統的な歴史画を描いて
昭和の時代に伝え、
「最後の近代歴史画家」と
称されている。』
ブレなかったのね。。。
歴史画家だったね。。。
子供だったから、おじいちゃんが、
どう見られていたのかとか、知らず
…さっき知ったことも多く
恥ずかしい
しかし
もう少し掘ってみたら
晩年は
画風に悩んでいた などの記述も。
確かに
少し洋風な絵も書いてたなと
記憶
…人間だもの。。。
私の親は
もう少し商売っ気をだして
名前を売れば
もっと儲かったろう。
とも言っていた。
ほんとのところは 分からない。
自分も大人になった今は
"おじいちゃん"でも ありつつ
それを取り払って
もう少し対等に感じられたりもする
いずれにせよ このタイミングで
SNSで
羽石光志を 再発見できて
良かった
ちなみに私
絵が上手くなくて
ずっと ちょっと 悔しいです‼
謝謝