2015・7・25に大阪夏の風物詩「天神祭」に数十年ぶりに行って来ました。
この日は岸和田の花火大会もあったのですが、たぶん、これから「天神祭」を
見に行く事はないだろうと思うので、夫と行って来ました。
暑くて、晴天で行くとこ、行くとこは人が溢れていて、たいへんでした。
では、天神祭のあらましについて
天神祭(てんじんさい・てんじんまつり)は、
祭神である菅原道真の命日にちなんで
全国の天満宮(天神社)で開催されるお祭りです。
中でも、大阪天満宮を中心に行われる
「大阪天神祭」が有名で、
日本三大祭のひとつに数えられています。
※日本三大祭 = 一般的に、
京都(祇園祭)、大阪(天神祭)、東京(神田祭)をいいます。
大阪天神祭の歴史
時は遡り、951(天暦5)年のこと。
大阪天満宮社頭の浜から神鉾を流し
流れ着いた浜に御旅所を設けて禊(みそぎ)を行い、
その際に、神領民や崇拝者が船を仕立てて奉納しました。
※神領民=神(神宮)に与えられた所領を神領といい
そこに住まう人々を神領民といいます。
これが、大阪天神祭の始まりです。
その後、船の数が増えていき
豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には
現在の「船渡御(ふなとぎょ)」の原型ができあがりました。
堂島川(旧淀川)への土砂流入により
一時中断となったこともありますが
大阪が「天下の台所」と呼ばれた元禄時代(1688~1704年)以降は
天神祭は、浪速の繁栄のシンボルとして隆盛を極めます。
天神祭を支える組織「講」が誕生したのは
享保年間(1716~36年)のことです。
お迎え人形が登場したのもこの頃で
天神祭りは、その豪華さで全国に名をとどろかせます。
幕末の政変や二度の世界大戦によって中断がありましたが
昭和24(1949)年に、船渡御が復活します。
大川を下航していた船渡御が
地盤沈下の影響により遡航する現在の形になったのは
昭和28(1953)年からのことです。
~いい日本再発見様よりお借りしました~
橋の上に沢山の人
高い建物は帝国ホテル
ラストの船渡御
祭りの最後は奉納花火~2か所から打ち上げられました。
幻想的な大阪城のライトアップ
天神祭には沢山の外国の方も見えてました。
こうして、日本のお祭りを見て頂いて嬉しい事だと思いました。
きっと、外国にはないお祭りなので、新鮮なのでしょうね。
2日間で100万人を超す人出だそうです。
沢山の人で花火はきちんと見れないのと、終了して帰る時の混雑を思うと
たいへんだと思って、早い目に帰る事にしました。
それでも、考える事は同じ人がいて、身動きできないぐらい混雑していて、
出口を
探すのにも苦労しました。
都会の中の夏の風物詩がこうして、また一つ終わりましたが、暑さはここから
増していきます。
とても暑い中の天神祭。疲れました。
2015・7・25天神祭より