続、気の向くまま、思いの向くままに

 日々の出来事など、夕陽のphotoと
   織り交ぜながら綴ってます。

ひょうたんの花・ハーブの花

2017年07月12日 | 日記

今朝のウォーキングはM大の坂を上りきった近くにあります緑化センター

経由で帰ってきました。

オープンにされてるので、外の花などは自由に見れます。

ハーブの花が咲いていました。

奥の方には、子供向け用の遊具が沢山あります。

 

これはミントの花

 

 

 

 たぶんバジルの花?

 

 ベルガモットの花

 

 ひょうたんの花~初めてみました

 

 ビタミンカラーひまわり

 

 同じひまわりでもまだ蕾の場所もありました

 

  朝顔

 

 またまた、鬼百合

 

 

   夕日 7・12

 

 

7月11の夕日の横に出来たワニの頭みたいな雲

 

本日は月に一度の内科検診(血圧)に行って来ました。

ついでに、石持ちのため、エコーで胆嚢と腎臓を見てもらいました。

なんと消えてなくなってました。とにかく、私はお水を沢山、飲みます。

出かける時も必ず、持参してます。

そういえば、最近、背中辺りがお肉を食べた後、痛くならないなと

思ってました。

石といっても、数ミリの小さなものでしたが、消えてなくなって

本当によかったです。


大阪夏の風物詩・天神祭~2015・7・25

2017年07月12日 | 日記

2015・7・25に大阪夏の風物詩「天神祭」に数十年ぶりに行って来ました。

この日は岸和田の花火大会もあったのですが、たぶん、これから「天神祭」を

見に行く事はないだろうと思うので、夫と行って来ました。

暑くて、晴天で行くとこ、行くとこは人が溢れていて、たいへんでした。

 

では、天神祭のあらましについて

 

 

天神祭(てんじんさい・てんじんまつり)は、
祭神である菅原道真の命日にちなんで
全国の天満宮(天神社)で開催されるお祭りです。

中でも、大阪天満宮を中心に行われる
「大阪天神祭」が有名で、
日本三大祭のひとつに数えられています。
※日本三大祭 = 一般的に、
         京都(祇園祭)、大阪(天神祭)、東京(神田祭)をいいます。

 

大阪天神祭の歴史

時は遡り、951(天暦5)年のこと。

大阪天満宮社頭の浜から神鉾を流し
流れ着いた浜に御旅所を設けて禊(みそぎ)を行い、
その際に、神領民や崇拝者が船を仕立てて奉納しました。
※神領民=神(神宮)に与えられた所領を神領といい
     そこに住まう人々を神領民といいます。

これが、大阪天神祭の始まりです。

その後、船の数が増えていき
豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には
現在の「船渡御(ふなとぎょ)」の原型ができあがりました。

 

堂島川(旧淀川)への土砂流入により
一時中断となったこともありますが
大阪が「天下の台所」と呼ばれた元禄時代(1688~1704年)以降は
天神祭は、浪速の繁栄のシンボルとして隆盛を極めます。

天神祭を支える組織「講」が誕生したのは
享保年間(1716~36年)のことです。

お迎え人形が登場したのもこの頃で
天神祭りは、その豪華さで全国に名をとどろかせます。

 

幕末の政変や二度の世界大戦によって中断がありましたが
昭和24(1949)年に、船渡御が復活します。

大川を下航していた船渡御が
地盤沈下の影響により遡航する現在の形になったのは
昭和28(1953)年からのことです。

                    ~いい日本再発見様よりお借りしました~

 

  

 

 

橋の上に沢山の人

 

   

   

  

高い建物は帝国ホテル

ラストの船渡御

祭りの最後は奉納花火~2か所から打ち上げられました。

幻想的な大阪城のライトアップ

 

  

天神祭には沢山の外国の方も見えてました。

こうして、日本のお祭りを見て頂いて嬉しい事だと思いました。

きっと、外国にはないお祭りなので、新鮮なのでしょうね。

2日間で100万人を超す人出だそうです。

沢山の人で花火はきちんと見れないのと、終了して帰る時の混雑を思うと

たいへんだと思って、早い目に帰る事にしました。

それでも、考える事は同じ人がいて、身動きできないぐらい混雑していて、

出口を

探すのにも苦労しました。

都会の中の夏の風物詩がこうして、また一つ終わりましたが、暑さはここから

増していきます。

とても暑い中の天神祭。疲れました。

2015・7・25天神祭より