先月、友達が遊びに来ていた時に今BolognaでBrueghel(ブリューゲル。)の展覧会をやっていると聞いた時、私ははっきり
「行かないなぁ~」と言ったんだよねぇ。
だって去年も見たしなぁ…て。
それなのに、いきなり思い立って行ってしまいました。
それにしても辺鄙な場所だった。
いやいや、実はパンフレットをもらった時は、全然行く気がなかったんですよね。
それが卒論関係でフィアンドルの絵画を見ていた時に気が変わったんです。
変わった理由はこれ
五感のアレゴリー。これは”聴覚”。
こちらは”味覚”
この絵に今ひたすら研究…というより見つめているだけと言った方が正しいかもしれませんが金唐革が描かれているんです。
こちらRubens(ルーベンス)とJan Brueghel il Vecchio(ヤン・ブリューゲル・父)の共作と言われているアレゴリー四枚の2つに描かれているんですよ。
(五感だからシリーズは全部で5枚ですが、一枚はヤン一人で制作)
実際この作品が展示されてないことは分かったいたのですが、俄然興味がわいて、急きょ出かけたというわけ。
幸い午前中はお天気も良く、紅葉がきれいでした。
街中にも結構イチョウはある。
でも銀杏を拾っている人はいない。と日本人で好きな人は一人占めするらしい。(私は嫌い)
短いけど銀杏並木もありました。
アーケードの下はすっかりクリスマスの準備が整っていました。
お昼過ぎから太陽は隠れてしまい、フィレンツェも寒くなりましたが、一山越えるとこんなにも違うのか…というくらい寒くなりました。
Bolognaには何度も来ているけど、教会はよく見たことがなくて、今回はいくつか教会も見ようと思ったら、またいつもの時間切れ。
なんでこうなるんだろう…
ちなみにここはSanto Stafano教会
丁度Presepio(プレゼピオ)準備中でした。
これは結構すごいものになりそうなので、是非完成したらまた見たいなぁと思ってしまいました。
この教会はすごく良かったです。
何気にMilanoのSant'Ambrogioを思い起こさせませんか?
レンガの模様がとても素敵でした。
ロマネスクの彫刻もあり、すごく満喫したのが時間切れの原因でしょうね。
それでもお昼はPiadinaで済ましたのになぁ…
楽しみにしていたGelateriaも何故か昨日だけお休みだったし。
実はここず~と探していたんです。
というのも今から9年前、一緒に大学の手続きをしてBolognaの大学に入った友人がBolognaで一番おいしいというGelateriaに連れて行ってくれたことを、前回Bolognaに来た時に思い出したんです。
彼女とはそれっきり連絡を取ってなくて、申し訳ないけど名前も忘れてしまった。
もうBolognaにはいないのかなぁ…どうしているんだろう???
基本的に一度行ったところは忘れないのが自慢なのですが、人について行くとダメですね。
ここらへんかなぁ…というところまでは前回も合っていたのですが、たどり着けなかったんです。
ところが今回Bolognaに行く前に色々探していたら、「Bolognaで一番おいしいGelateria」と評判のここを見つけたんです。
位置が近い、ということは分かったので、もしや、と思ったけど、やはりここでした。
く~閉まっていたのが残念。
「世界一美味しい」と言っている人もいたので、是非今一度チャレンジするぞ~!!
ごほん。
Gelatoのことはさておき。
実際展覧会には先ほどの4つのアレゴリーをもとにしたというJan Brugelの息子の作品が出ていました…ってこれ去年Romaにも出てたんじゃん。
いやはや、実はここまでの間に、再度自分がこの人たちの家系に翻弄されているのに気が付いて論文を見直した。
幸い間違ってなかったけど…
友達が言ってた通り、私もこの展覧会に行ったおかげでようやく整理が付きました…今の今ね。
ここで自分のためにまとめておきましょう。
Brueghelと名字だけで呼ぶときが大抵元祖のPieter Bruegel(ピーター・ブリューゲル)
日本では「父」と付けているけど、イタリアでは区別するためにIl vecchio(「年より」って感じです)を付ける。
彼には子供が3人いて、男二人、女1人で全員画家。妻も画家…じゃなかったかな?
というのもこの時代はギルドの関係で、同じ職業どおしで結婚することが多かったって昨日のオーディオガイドが言っていた。
多くの女性が画家として活躍していた、というのもイタリアとは違って革新的。
お父さんは子供が小さいうちに亡くなります。(長男9歳、次男は1歳の時)
日本もそうだけど、家督を継ぐ人が同じ名前になるのはよくあること、ということで長男はPieter Brueghel
区別するために日本では「息子」ですがこちらではil Giovane(若い)を付けます。
次男がJan Bruegel(ヤン・ブリューゲル)
彼は物心ついた時にはお父さんはいなかったので、ほとんど影響を受けず、父の影響を色濃く伝える兄Pieter Brueghel il Giovaneとは違って、独自の路線を行っている。
更に初めて知ったのだが、この時代フィアンドルの画家たちは得意分野で分業をしていたようで、人物が得意な人は人物を、風景画得意な人は風景を、花が得意な人は花を、と1枚の絵を複数の画家で仕上げていたとか。
だからこそ時間も短縮できたし、レベルも非常に高いものになったんだそうですよ。
なんかこの辺りから要領の悪いイタリア人とは違うんだなぁ、と思ってしまう私って。
で、Jan Brugelの息子も同じ名前を名乗り、画家になるので、ここにもil vecchioとil giovaneを付けて区別。
更にこの展覧会では4世代の作品が出ていて、その下は… Abraham Brueghelははは、アブラハムでした。
この最後のアブラハムは18歳の時イタリアにやってきて、ナポリで亡くなっています。
実は会場には子供向けの家系図が描かれていたんですよね。
やっぱりあれだけ写真撮りたかったな。
美術史の授業でも、イタリア以外の事は本当にちょっとだけで、あまり興味が持てなかったのですが、
最近すごく面白くなって来ました。
こうしてどんどん脱線するからなかなか卒論が進まないんですよね。
そうそう、今日は最後にちょっとうれしいニュースを。
先日大盗難の話を書きましたが、今日は盗難された作品が戻ってきたそうです。
作品は紀元前4~3世紀のPaestum(パエストゥム)遺跡のフレスコ画。
1995年盗難にあって、今年の5月コモ湖の近くのスイス人所有の倉庫から見つかったそうです。
今日Romaのmuseo storico dell'arme dei carabinieri(カラビニエリの武器の歴史博物館)で文化大臣立会いの下で発表がありました。
テレビのニュースを見ていたら、ずいぶんでかいのに、どうやって運び出したんだ?と思いましたが、
やはりフレスコ画を壁からはがすStrappo(ストラッポ)という特殊技術を使ったようですね。
ストラッポとは「 絵の表面に接着剤を着け壁から引き剥がしたのち、他の下地に張り替え接着剤を絵から溶かし取る。」ということで作品のダメージは否めません。
ただ、今回発見された作品のコンディションは悪くないそうです。
少しでも作品が戻って来るのはうれしいことです。
Veronaの盗難についても言及していて、まず初めに「Verona(の盗難)の件は質問しないでください」と釘を指し、
「事件の後すぐに最善を尽くし、国内だけでなく国外に至っても最善の調査をしています」と言っていた。
しかし「警備が甘かったのでは」詰め寄る記者には全く答えませんでしたね。
(こちら参照)
でも日本であれだけまとまって観る機会はほとんどないですし。
あの家系図は、確かにすごくわかりやすかったですよね。
実はあれは撮っても大丈夫だったみたいですよ。
監視のおじさんの目の前で、カップルが家系図を撮ったあと、作品を撮って注意されたんです(会場撮影禁止を知らなかったらしい)。
そのとき説明パネルはいいけど、作品はダメ的なことを言ってるのを小耳にはさみました。
そして帰国してから Bunkamura と三菱一号館でもブリューゲル(といっても、ピーテル(父)以外)観ました。
なんか fiammingo づいてます。