イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

大稲荷神社、錦織神社、愛宕神社、田中稲荷社ー小田原

2018年12月23日 13時40分18秒 | 日本・史跡

今年も残すところあと10日を切ってしまいました。
今の一番の楽しみは、年明けどこの「七福神」を巡るか。
今年は初めて地元の「横浜金沢七福神」を両親と3日に巡りましたが、これがどうしてはまります!!
もう1か所くらい行きたかったのですが…
まぁその甲斐もあって、今年も家族健康で、大きな悪いこともなく一年を終えることができそうです。

ということで、今回は初詣に出かける人も多いと思うので、最近行った神社のお話です。
大磯の澤田美喜記念館(記念館の記事はこちら、)へ行く前日の夜、箱根に泊まっていました。
翌朝、小田原に出たのでその足で向かったのがこちら。
(今日は写真多めでちょっと長めです。)


小田原駅から歩いて5分ちょっと、大稲荷神社の入り口です。
この細い道を入っていくと


立派な鳥居がお目見え。
この先に宗圓寺というお寺も有りますが、今回は神社だけです。
鳥居をくぐって中に入ると


境内案内図が有りました。
この境内には5社有るようです。


この階段を上って行きます。
階段の脇には


玉取り狛犬(吽形・口閉じ)&狐?


こちらは子取り狛犬(阿形・口開け)、狐なしです。
口を開けてるとは言え、「いひ~」という感じがなんとも言えませんね。

更に上がっていくと狐様。
尾っぽが力強い!!

こちらは巻物をくわえています。
実はこの立派な尾は、稲穂を象徴しているので大きめに表現されることが多いそうです。
この辺りのことは最近見つけたこの本を参考にしました。

これとっても面白いです。
「巻物」は知恵を表していましたね。その辺りのことはこの記事に書いていたのにすっかり忘れてました。
更に


これは…狐?手足がちょっと狐っぽくないですけど。
玉取り狐。

子取り狐。結構年季が入っていますね。気になります…
そしてようやく手水舎へ。

知らなきゃ絶対見逃すだろうなぁ…
是非手を清めたら、天井を見て下さい。

天井一面に飛龍が!!
木鼻にも飛龍はいるのですが、それとはだいぶ趣が違います。



これも龍かな?

龍の顔を見ているだけでも面白いですが、手水舎の天井をお見逃しななく!!
そして正面に見えていた愛宕神社に向かいます。

東京にある愛宕神社の方が有名ですが、本家本元はこちら。
江戸幕府が出来た時、拝殿・幣殿(参詣の人が、幣帛(へいはく)や献上物をささげる社殿。拝殿と本殿との中間にある)を江戸の愛宕山に移築してしまい、本殿のみが残された、と言われています。
ここの彫刻もすごいですよ。

まず立派な龍。

左甚五郎またはその親戚筋の作品とも言われていて、左甚五郎と言えば日光東照宮の「眠り猫」が有名ですが、こちらの彫刻はそれ以前の作品と言われています。

昇り鯉と

降り鯉
と言いたくなりますが、これもやはり上野東照宮の唐門のように、下を向いているのが昇りで、上を向いているのが下りになるのでしょうか…と思ったけど、それは東照宮だけみたい。
本殿向かって右側の「昇鯉」は登竜門の故事にちなみ鯉の滝登りを表現。開運、出世、目標達成にご利益があるとされ、左側の降り鯉方は…本には記載がなかったのですが、昇りと組になって昇り鯉で運気をアップ、降り鯉で悪い運気をダウンさせると言われているそうです。

そして次は錦織神社へ


この「錦織神社」、にしきおり?にしこり?
正解は「にしこり」なんですよ。ってこうなれば必然的に…

絵馬にもテニスボール。
テニスの錦織選手のファンがやってくるらしいですよ。
テニスは完全に便乗ですが、由緒ある神社なんですよ。

寛永十年(1633年)1月21日に起こった大地震で、小田原城は大破し領内の足柄上下地区の被害は甚大でした。
ところが小田原藩主稲葉美濃守は、領内の復興のため過酷な年貢の取り立てをしました。
農民はその苦しさに耐えかね、一瞬即発で暴動が起こるかもしれないほど緊張していました。
この時に上郡関本村名主下田隼人は、一家の全滅を覚悟の上で年貢の軽減を藩主に直訴しました。
万治三年(1660年)12月23日下田隼人は処刑されるも、彼の思いは見事成就したのです。
生前この地と深い関係があったので、この地に彼を祀る神社をひっそり建てました。
この地に遷座されたのは大正3(1914)年です。(参考:大稲荷神社HP)

こちらは鳥?


いましたいました、ここにも龍。
更に

脇障子のこの彫刻。これは誰?

そしていよいよ大稲荷神社へ

あれ?籠の中?

もしかして夜逃げ出しちゃうから?


なわけではなく、きっと保護のための柵ですよね。


全部「捕まって」いました。ちょっとかわいそう…
これは「神狐」で明治34年田淵萬太郎氏が寄贈したもので、この方は一の鳥居、二の鳥居なども寄進されている篤志家だったそうです。石工は東京の人だそうです。

厳かな雰囲気です。
「北条氏の時代から修験道があり甲斐の武田家の曲渕氏が主家の滅亡後、徳川家にこの地を賜り、修験道に稲荷大明神を祀ったことに始まる。
初代小田原藩主・大久保忠世が、京都伏見稲荷大神の最北座、田中大神を合祀した。
宝永3(1706)年、6代目大久保忠増の時、小田原城の鬼門除けとして、現在地に遷座した。」
引用:百龍めぐり 関東編


龍、龍、龍…亀もいるんですけどね。

亀は神様の乗り物と言われています。
まぁ何にせよ亀はおめでたい生き物。
参拝を済ませてから、境内をぐるぐる。


江戸時代京都伏見稲荷大神の最北端だった田中稲荷はこちらに鎮座しています。
こちらも狐様はオリの中。

更に2社有りました。

これは?

ちょっと怖いくらい。
小さなお社に沢山の狐。

この狐たちは、願いが成就した参拝者が奉納したものらしいです。

本殿の方に回ります。

光の関係で分かりにくいのですが、すごい彫刻です。

龍や鳥、花など。

これは獏?

これは鷹かな?

鳥と花

山?富士山か?


すごいですねぇ~

龍かな?
特にすごいのが脇障子

これは右側の「龍に載って靴を捧げる張良」で

左は黄石公。見事な宮彫りです。

裏にもきれいな彫刻が入っています。

とにかく細かい。
他にも気になったのは

こんなところに魚⁉

これも鯉なんだそうです。
他にも

庚申塔(詳細はこちら。)
仏教の青面金剛の三眼六臂怒髪天をつく立像で下部に三猿が刻まれています。(宝歴5年、1755年)
これを調べて初めて知ったけど「庚申講」って面白いなぁ。


御朱印はこちらの社務所でいただけます。
4社全て頂く場合は、「現社殿遷座300年祭」を記念して作られた冊子を頂くことが出来ます。
御朱印を書いてくださった住職さんは、「達筆ではありませんが」とおっしゃっていましたが、非常に素敵な御朱印を頂けました。
御朱印以外にも、全国的に珍しい正七角形の絵馬など奉納できます。

↑この写真のみ神社の公式HPより借用。

誰もいない境内で、澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んで、来年も健康で良い一年になりますように。

大稲荷神社
http://daiinarijinjya.com/

参考:神社のどうぶつ図鑑、二見書房



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