イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

稲荷神社ー浦安三社

2018年12月03日 00時00分49秒 | 日本・史跡

七五三のお参りが済んだ後、お昼まで時間が有ったので、浦安三社のもう1つ稲荷神社へ向かいました。

この鳥居の先に駐車場があるのですが、うちの車が(普通の自家用車なんですが)この鳥居の間を通り抜けられるは思えない…ということで、神社に行きたい私だけが車から降り、他の人は車でお留守番。


元禄2(1689)年創建。
神社の記録によると少なくとも大正時代には相殿(同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祀ること)の神さまとして、応神天皇と春日大神をお祀りする神社であったことがわかっています。それ以前には当代島で元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としてそうです。

社殿が損傷したため明治4(1871)年に改築、更に明治41(1908)年に再建されたが、昭和20(1945年)に米軍の爆撃を受けました。昭和34(1959)年に再建、その後腐朽が激しく、再度昭和58(1983)年に改築工事が行われたそうです。
私が訪れた時は、ひどく閑散としていました。


こちらも子取り狛犬
ちょっと現代風のお顔です。


こちらにも浅間神社がありました。
奥には富士塚もありました。

ここにも狛犬がいました。

元々浅間神社を頂上に祀った泥土を盛った小さな山がありました。
昭和4(1929)年6月氏子たちの協力で、畑から土を運び、その上におのおのの家から集めた石を置き、富士山の形にして、その頂上に木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)を祀った石造りの浅間神社を安置し、山の中腹には中道まわりを造り、その途中に三柱霊神を祀っています。
江戸時代に成立した民衆信仰の「冨士講」に則ったお祭りが毎年6月30日に行われ、身を清め、神社を参拝した人々は、翌7月1日の富士山の山開きに出発していたそうですが、残念ながら現在ではこの習わしもほとんど廃れてしまったそうです。

なぜこの神社に来たのか、と言いますと、もちろん目的が有ったんです。

これ!!
狐の嫁入りです。
依然野田にある茂木家本家美術館の時に書きましたが、ここにもいました狐たち。


ちゃんと籠に狐が乗ってるし。
この彫刻について、詳細な説明がないのが残念です。



拝殿は非常に新しいけど、これらの彫刻は結構時代物。龍がいますね。
はて?稲荷神社なのに、狐様がいないぞ…
ということで、裏に回って本殿に行ってみました。



柵があるので、この写真では全く分かりませんが、ちゃんとお狐様が鎮座していました。
教会も同じですが、神社もお寺も本来芸術品として「見せる」ものではないので仕方がないのですが、もう少しだけ見せてくれたらありがたいなぁ…とほほ。

拝殿、本殿の脇には

「大鯨の御社」があります。
昔、浦安で大きな鯨が捕れました。大きな鯨を捕った高梨源八、西脇清吉は大儲けしました。しかし、その大捕り物の話題で持ち切りで仕事が手に着かず、その騒動を収めるために二人はこの「大鯨の石碑」を残りのお金で奉納することにしたそうです。
何と明治8(1876)年の話。およそ150年前はTDL辺りで鯨が捕れていたとは驚きです。

御朱印は社務所でいただけます。

こんなところにも小さな狐さんがいましたよ。


灯籠です。

ここにも狐。

ここにも狐…って本当は狛狐、正式には正式には眷属(けんぞく)や白狐(びゃっこ)というんですね。
稲荷神社には当然沢山の狛狐がいます。
そして時々この狐のように、何かくわえていますよね。こちらは巻物ですね。
こちらは日本橋の福徳神社の狛狐

こっちもくわえてます。こちらは鍵なんだそうです。
狛狐がくわえているものには、稲穂、巻物、鍵、玉の4種類があるそうです。
巻物は知恵を、鍵そして玉は稲荷神社に残る、玉鍵の信仰に関係があるそうです。
玉鍵信仰とは、「玉は稲荷神の霊徳の象徴。鍵はその御霊を身につけようとする願望である」とか、「玉と鍵は、陽と陰、天と地を示すもので、萬物はこの二つの働きによって、生成し化育する理を表している」など様々な意味を持っているそうです。
ちなみに花火の時の掛け声「たまや」「かぎや」もこの稲荷信仰に関連していると考えられているそうです。
ちなみに稲穂は五穀豊穣、お稲荷さんは商売繁盛の神様ですからね。

あれ?
そういえばこの2社を訪れた日は11月23日、新嘗祭の日でしたね。
もしかしたらこの静けさは、神事が行われていたのかもしれないですね。

浦安三社の残りの残りの1社、豊受神社には気になるものがなかったので行きませんでした。
行けば行ったで新しい発見が有ったかなぁ…

参考:稲荷神社HP



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