イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ピエール・ボナール展ー国立新美術館

2018年12月04日 16時41分50秒 | 展覧会 日本

東山魁夷展を堪能した後、階下の「ピエール・ボナール展」へ向かいました。

ピエール・ボナールの作品は、先日「フィリップス・コレクション展」でも見たし、ポーラ美術館でも見ましたよ。
重なる時は重なるものですね。
そうそう、その時、「フィリップス・コレクションからも貸し出されているのでは?」と書きましたが、こちらは「オルセー美術館特別企画」ということで、ほとんどの作品がオルセーからの貸し出し(約30点が初来日)で、フィリップスからの貸し出しはありませんでした。

ピエール・ボナールが日本でどれほど知名度があるのかは分かりませんが、この人も日本からの影響を強く受けた画家の1人。
印象派の画家たちやそれ以降の人たちがみんな「浮世絵から影響を受けた」とジャポニズムでひとくくりにしてしまうのは、私はあまりよしとは思いませんが、ボナールはナビ派の中でも「日本かぶれのナビ」の異名を取っていました。

ナビ派とは?
始めはゴーギャン(最近は「ゴーガン」なのか?)から、そしてルドンから影響を受けています。
グループの名前はヘブライ語の「預言者」を意味しています。
ナビ派の芸術観は、自然の光を画面上にとらえようとした印象派とは違って、画面それ自体の秩序を追求するものでした。
ボナール曰く「絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである。」
写真のように真実を写し取るのではなく、装飾性を重視したのがナビ派の画家たちで、繊細かつ奔放なアラベスクと装飾モティーフが特徴的な絵画を多く描いています。
近年フランスではこのナビ派の評価が非常に高まり、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展には51万人が来場。歴代企画展入場者数第2位を記録したそうです。

会場は7章構成
1.日本かぶれのナビ

11月24日の「美の巨人たち」に取り上げられていた「黄昏<クロッケーの試合>」
舞台芸術も手掛けていたボナールはこの絵を10層に分け、書き割りのように描いているそうです。
手前に描かれたボナールの家族となんの関係もない奥で踊る女性たち。
そして手前から奥へとつながる黄昏の光。
なんだかすごく不思議な雰囲気の絵の中には、1890 年にパリのエコール・デ・ボザールで開かれた「日本の版画展」の影響が富に見られます。

この屏風仕立ての「乳母たちの散歩、辻馬車の列」からも見られます。
屏風という媒体もさることながら、表現方法や余白の取り方からなども浮世絵の影響が見られます。

びよ~んと伸びた「白い猫」もこの1章にいました。

関連イベントとしてこの猫に負けないくらいびよ~んと伸びた猫の写真を募集していました。

2.ナビ派時代のグラフィック・アート
ここではなんと言ってもボナールの出世作が目を引きます。

「フランス=シャンパーニュ」の他にも初期のボナールはリトグラフによるポスターや本の挿絵、版画集の制作などを精力的に行っています。
18世紀末に開発されたリトグラフ(石版画)は19世紀の初めには多色吊刷りが可能になり、ロートレックなどが優れたポスターを残していますが、そのロートレックもこのポスターを見て衝撃を受けたとか。

そして
3.スナップショット

写真の登場です。
コダックのポケットカメラを購入したボナールは、1890年代から写真を撮影しています。
これって初の手持ちカメラ「ホールディングコダック」のことかしら?
驚くことにこの「ホールディングコダック」は現在でも販売されていて、自動ではないけど現在のコンパクトデジカメと同じような構造になっているそうですよ。
と言っても当然昨今のきれいな写真とは違って、ピンボケありの色褪せ感がなんとも言えない写真の中には後に妻となるマルトのヌードも残されています。

4.近代の水の精(ナイアス)たち
ここにはボナールが最も大事にした主題の作品が展示されています。

「浴盤にしゃがむ裸婦」
今年横浜美術館で行われた「ヌード展」にもボナールの妻マルトの入浴シーンがありましたが、ボナールは入浴する妻を300点以上描いています。
この章では妻だけでなく、ボナール家の医師の妻から、愛人まで様々な女性が描かれた作品が展示されています。
ボナールは、モデルを見ながら描くのではなく、自分の記憶をたどってキャンバスにとどめるていました。

5.室内と静物「芸術作品ー時間の静止」

「ル・カネの食堂」
この画面には切り取られた時間が描かれています。
空間的な位置関係や距離感よりも「不意に部屋に入ったとき一度に目に見えるもの」を重視して描いたボナールは、シャルダンを崇拝していて、テーブルの隅に静物を置くことに歓びを感じていたそうです。
「ル・カネ」はボナールが晩年を過ごした、南フランス、カンヌの北に位置する小さな町で、ボナールは1926年カンヌと地中海を見渡せる丘の上に家を購入しました。「ル・ボスケ」(茂み)と呼ばれたこの別荘に、ボナールは1939年からボナール定住します。この地で妻マルトと愛犬とともにひっそりと暮らし、絵画制作を続けていました。
1942年にマルトが他界、ボナールも1947年にこの地で歿しました。現在「ル・ボスケ」は「ボナール美術館」になっています。

6.ノルマンディーやその他の風景

「ボート遊び」
1912年、やわらかな光の中に壮大な風景が広がるノルマンディー地方の自然に魅了されていたボナールは、ヴェルノンという街に、セーヌ河岸の斜面に建つ小さな家を購入します。ここはモネが住むジヴェルニーにも近く、ボナールはモネをよく訪ねていたようです。
テラスから見える水と空、庭の野生の植物。様々な自然の色彩がボナールの創作意欲を刺激し、この時期は表現豊かな海景画が多数制作されました。

そしてラストの7章 終わりなき夏、には会場内でも大きな作品が主に展示されています。

「水の戯れ あるいは 旅」
これはラベルの「水の戯れ」からインスピレーションを受けた作品だとか。
作品の典拠は分からない、ちょっと神秘的な作品。

この作品は雑誌「ルヴュ・ブランシュ」の主催者タデ・ナタンソンの元妻で、「ル・マタン」紙の発刊者であるアルフレッド・エドワルスと再婚したミシア・エドワルスの依頼により、同夫妻の住むパリ中心部ヴォルテール河岸21番地のアパルトマンの食堂を飾るための4枚の連作装飾パネルの中の1点。
「この作品を食堂に置いたらちょっと暗くない?」というのは個人的な感想です。

この作品とは対照的に非常に小さなこの作品

これがこの展覧会最後、そしてボナールの最後の作品「花咲くアーモンドの木」です。
「色彩の魔術師」と呼ばれたボナールらしい作品で、既に筆を握る力も残っていなかったボナールは甥に頼んで画面左下に澄んだ黄色を入れてもらいました。
そう、黄色は代表作「黄昏」でもボナールがこだわった色でした。

2018年12月17日まで国立新美術館にて開催中

写真:ピエール・ボナール展公式HPより拝借
参考:同上



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