いつも非常に勉強になるコメントを頂いているY様のブログにパスタについて書かれていた。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/186711693.html#comment
今はすっかりローマの伝統料理として世界中で名を馳せているが、ここには「カルボナーラは戦後の発明、しかもイタリア進駐米軍物資に関係したものだそうだから」という衝撃的な文章を発見。
というのも私自身カルボナーラはcarnonaio、つまり炭焼き職人が考案したという説しか知らなかったから…
ということで、詳細を調べてみた。
1944年Riccioneという街でイギリス・アメリカの連合軍が料理人を募集し、ボローニャ出身のRenato Gualandiという人が採用になりました。彼は「アメリカ人は非常に良いベーコン、美味しい生クリーム、チーズ、粉卵を持っていたので、それを全て混ぜて提供した。最後にコショウをかけて」と語っています。
こうして誕生したカルボナーラは、この軍隊がその後ローマに移動したことで、ローマでも知られるようになりました。
Y様の話では
『「西川治、西川治のパスタ・ノート―イタリア式調理術 (日曜日の遊び方)、によると、1947年、ローマのメルカート近くのレストラン レ・デグリ・アミチ で米軍むけメニューとして登場した』とあるそうです。
この本は多分読んだことがないので(西川氏の別の本は本棚にありました
このRe degi amiciは、1927年創業で、創業当時はトラットリアだったというのでちょっと納得。
なぜなら現在スペイン広場の近くというローマの一等地に有るお店で、お店のサイトを見るとダリを始めとする芸術家や「Dolce vita」な映画人などの有名人が多く通うお店のようなので、庶民の味「カルボナーラ」を初めて提供したレストランということと結びつかなかったんですよね。
更にY様からの情報で、プラダやグッチなどが立ち並ぶブランド通りで有名なvia dei condotti(コンドッティ通り)から2本しか離れていないvia vittoria(ヴィットリア通り)が1970年代は市場状態だったと西川氏の本に書かれていると教えて下さいました。(1986年には一掃されたようですが)
他に私が見たイタリア語のサイトには、最初にカルボナーラを提供したのはローマの港に近いレストランだった、ともありました。具体的な名前はなかったですが。
ふと、ここで純粋な疑問が。
じゃあサイトに溢れる「カルボナーラ発祥のレストラン」ってなに?
検索すると日本語でも大抵2軒が出ています。
この2軒、両方ともその名は「La carbonara」
だから当然みんな「発祥」と思ってしまいますよね。
かく言う私もそのつもりで両方でカルボナーラ食べました。もちろん美味しいですよ。
一軒はテルミニ駅の方、もう1軒はCampo dei fiori(カンポ・デイ・フィオーリ広場)の中。
この機会に両レストランのサイトを見てみましたが、なな、なんと両方とも「発祥」なんてことは一言も言っていませんでした。
via panispernaのOsteria La Carbonaraは
「今では世界的にローマの伝統的な一皿として有名なカルボナーラは、開店当時(1906年)は提供していませんでした。でも偶然最初のオーナーでコックだった女性が炭焼き職人の妻でした。」としか書いてない!!
2016年11月14日に食べたカルボナーラ。写真が暗くてすみません。
もう一軒のカンポ・ディ・フィオーリに面したLa Carbonaraの方は、「この地域で炭焼き職人をして旦那さんや同僚のためにパスタを提供していた奥さんが店をこの場所に開いた」、とだけ。
余談ですが確かこちらの店はspaghetti(スパゲッティ)ではなくpennne(ペンネ)を使っていた気がしますが。
またvia panispernaの方はいつも「発祥」のカルボナーラ目当てに行列が出来てますので、予約した方が良いかも。
「××発祥の店」なんて、得てしてこんなもんですね。
戦後アメリカ兵に供給されたのがカルボナーラ誕生秘話の現在の最有力説ではありますが、知られているだけでもこの他3パターンあります。
こちらのサイトが上手にまとめているので、興味がある方はこちらご参照下さい。
ちなみに「カルボナーラ」は1951年Cameriera bella presenza offresiという映画の中でマリアというウェートレスが採用面接で「カルボナーラ・スパゲッティの作り方分かる?」と聞かれるシーンがありますが、この頃カルボナーラは全く無名だったそうですが、これで一気に有名になったとか。
アメリカ発祥と言われてしまうのは、もしかしたら1952年アメリカのレストランガイドにシカゴのレストランが掲載され、そこに現在私たちが知るのとほとんど同じカルボナーラのレシピが掲載され、アメリカでは知名度を得たのに、イタリアの雑誌に取り上げられたのは1954年のことで、後発だったというあたりが原因かもしれませんね。
今ではすっかりローマの伝統料理といえば、の1皿になったカルボナーラが戦後発祥のわりと新人だったんですね。
そして実はローマ発祥ではないかも、と。
そんなカルボナーラをイタリアで料理番組を見ていると「正当カルボナーラ」には卵の黄身のみを使うか全部かとか、Pancetta(豚バラ肉の塩漬け)を使うかGuanciale(豚頬肉の塩漬け)を使うかとか、ペコリーノチーズはローマのものか、それ以外の土地のものでもいいのかかなどなど、口角泡を飛ばした議論で熱くなるイタリア人が大勢います。
要は美味しければ良くないですか?
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