Pinacoteca vaticana(ヴァチカン絵画館)でCrivelli(クリヴェッリ)の特別展を見た後。
あのあと、絵画館だけを見て、おとなしく帰れば良かったのだが、やはりここまで来たらシスティーナ礼拝堂を見ずには帰れん!
残り時間1時間、とりあえず横目で作品を見ながら先を急いだわけです。
今年来日するカラヴァッジョも横目。
とにかくどこも人人人。
それをかき分けようやくここまで。
ラファエロも横目。
ここまで来ればあと少し…と思ったのは甘かった。
ここからも結構有ったのよ。そして問題は人人人。
何とかシスティーナ礼拝堂にはたどり着いたけど、ほぼ素通り。
いったい何だったんだ…
よく団体ツアーで美術館1時間半なんて恐ろしい時間配分のものが有るけど、多分それ以下の滞在時間だった。システィーナ礼拝堂を出てからはずっと小走り。朝あんなに体調が悪かったのはもどこへやら。人間ってすごいよ。
あ~なんてもったいないことをしたんだろうか。
ヴァチカン美術館を訪れる際は、是非時間に余裕を持って行って下さい。
このネタを書くために色々調べていたら、お蔵入りになっていた人たちを思い出した。
クリヴェッリと同時代の画家たち。
同じような様式を用い、彼のそばで作品を描いていた人たち。
Niccolò Alunno
Pietro Alemanno(Carlo Crivelliの弟子)
この二人に関してはクリヴェッリを引っ張りだす度、気になってはいたのだが。
そして今回もう1人。
Antoniazzo Romano
写真はそれぞれWikipediaより拝借。
昨日1490年代、背景に金を使うクリヴェッリの様式は、フィレンツェ、ヴェネツィアに比べたら時代遅れのスタイルだった、ということを書いたけど、実際はそうとも言い切れない。
この時代、画家にしろ彫刻家にしろ、今のように作家が自由に作品を作るということはなかった。
注文主ありきの作家。だから作品がワンパターンだろうが、時代遅れだろうが、注文に従うしかなかった。
クリヴェッリ以外にも、この2人は背景金のゴシックスタイルの作品を作り続けていた。
1401年、フィレンツェの洗礼堂の北側の扉の彫刻を巡るコンテストが有った時、最終的に残ったのはLorenzo Ghiberti(ロレンツォ・ギベルティ―)とe Filippo Brunelleschi(フィリッポ・ブルネレスキ―)だった。
そして選ばれたのは、ご存知の通りギベルティ―。
彼は北側のドアだけでなく、ミケランジェロをして「天国の門」と言わしめた東側の扉まで請け負うこととなった。
しかしギベルティ―が”勝った”わけではない。
優劣なら甲乙つけがたい。
ではなぜギベルティ―だったのか、というとそれは審査員の好みがギベルティ―だったから。
ブルネレスキ―の作品は、時代の先端を行きすぎていて、審査員たちには理解できなかった。
それに反して、ギベルティ―はそれまで人々が慣れ親しんでいた様式だった、ただそれだけ。
セリエCクラスの画家たちだけど、今回こそちゃんと調べてみよう!
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これから関東平野は雪になりそうですね。外出の際はお気をつけてください。
お気遣いありがとうございます。21時時点ではまだ雨です。都会は雪(だけではないですが)に弱くて困ります。
展示数が多いので、ガイドさんにポイントを教えてもらって周るのが一番だと思います。
個人で行く時は予約が必要です。(笑)