イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

L'oro di Crivelli(クリヴェッリの黄金)-Pinacoteca vaticana(ヴァチカン絵画館)

2020年01月26日 15時55分31秒 | Mostra(展覧会)in Italia

1時間半待ち、ようやくたどり着いたCarlo Crivelli(カルロ・クリヴェッリ)の特別展。

特別展と言っても、展示されているのはヴァチカン絵画館が所有している3点。
ヴァチカンとアメリカが新たに外交が結ばれて35年を記念して、”Patrons of the Arts”というアメリカ人の慈善家で作られた団体の協力で、この3点が修復され、それを記念した特別展だった。
この”Patrons of the Arts"は35年に渡って、小さなものから大きなものまで、ヴァチカン美術館所蔵の様々な作品だけでなく、Cortile del BelvedereやScala Santaなど様々なものに援助を続けてきた。

今回の展示は、Musei Vaticani(ヴァチカン美術館)の様々な調査や修復のために生まれた”Museums at Work"という文化的企画のためにこの2年使われていたsala XVII(第17室)という部屋で行われていた。
一番に目に入ったのは、入り口正面に展示されていたこちら。

Madonna con il Bambino e Santi(聖母子像と聖人たち)
聖人はGirolamo(ヒエロニムス), Agostino(聖アウグスティヌス), Giovanni Battista(洗礼者ヨハネ), Giovanni Evangelista(使徒ヨハネ)の4人。
中央の額に<1481 die ultima julii>とあることから、これは1481年の作品であると分かる。
GrottamareのChiesa di S.Agostino(聖アウグスティヌス教会)から来たところから、通称Polittico di Grottamare(グロッタマーレの多祭壇画)とも呼ばれている。
ローマ教皇GregorioXVI(グレゴリウス16世 在位1831-1846年)の希望でローマに運ばれた。

カルロのサインは有るものの、共同制作や工房の製作と考えられていたり(Drey)、大部分はカルロの手によるものだけど(Berenson)とか、サインはカルロだけど脇の聖人は弟子でもあるPietro Alemanno(ピエトロ・アレマンノ)の手によるものではないか(1483年作のAlemannoの多翼祭壇画との類似)などなどと言われ、1960年にはEnnio Franciaなどが弟のVittore(ヴィットーレ)の作品ではないかと言っていたり、あげくカルロに帰属(attributo)という研究者もいた。

私が参考にしているCrivelli研究の第一人者Pietro Zampettiは「Vittoreの絵画のスタイルとは全く類似点がないが、Pietro Alemannoの協力は大部分に見られる」、と言っているが最終的に「ニスで覆われた表面を剥がしてみないとわからない」と述べている。

だから今回の修復で何かわかったかなぁ、と楽しみにしていたのだが、この特別展に関する書物は見つけらなかった。
もしかしたら論文は出ているかもしれないが…


2作目はこちら。
ヴァチカンに行くつもりはホテルを出た時はなかったので、スマホしかなくて、写真がいまいちなのはお許しを。
Madonna con il Bambino(聖母子像)
左下に小さな祈りを捧げているフランチェスコ会の修道士付き。

サイン、作成年入り。
<Opus Caroli Crivelli Veneti, 1482>
1482年、ヴェネツィア出身、カルロ・クリヴェッリの作品
Force(マルケ州)のchiesa di S.Francesco(聖フランシスコ教会)のために制作されたもので、マルケ州出身のローマ教皇PioVIII(ピウス8世)が1800年vescovo di Montalto(モンタルトの司教)になった時にローマに運ぶことを希望し、まずMuseo Lateranese(現在はヴァチカン美術館に吸収)に運ばせ、現在に至る。

多翼祭壇画の中央を飾っていたと思われるが、残りのパーツに関しては分からない。
シエナ派の影響も見られると言われているが、Zampettiはこの作品に関しても、作品を暗くしているニスを取り除かないと質などの評価はできないと言っていた。

そして3枚目。

Pietà(ピエタ)
どこから来たのかわからないけど、19世紀には既にMusei Capitolini(カピトリーノ美術館)に有って、それを教皇GregorioXVI(グレゴリウス16世)がヴァチカン絵画館に入れた。(1831年より少し前?)

こちらもサインは有る。
祭壇画の上の部分(cimasa)であったことはまず間違いないが、この下にどんな祭壇画来るのかは不明。
候補はベルリンのGemäldegalerie(絵画館)にある

Pala di San Pietro di Muralto (ムラルトの聖ぺテロの祭壇画)
wikipediaではこちらを推してるが、Zampettiはむしろこちら推し。
MilanoのPinacoteca di Brera(ブレラ絵画館)の

Polittico di San Domenico di Camerino(カメリーノの聖ドメニコの多翼祭壇画)
こちらのブレラの多翼祭壇画とは横幅が数センチの違いで、額もちょっと合わないんだけど、絵の特徴や年代から押してる研究者は多い。

またボストン美術館所蔵の同じテーマで描かれたこちらを髣髴とさせるが

大理石の手すりからはみ出す”死せるキリスト”の立体感、深い悲しみにくれる聖母、使徒ヨハネ、そしてマリア・マッダレーナは全く同じ素材を用いているが、こちらよりもヴァチカンの方がクオリティーが高い。(Venturi)
ボストンは1485年の作品だが、ヴァチカンの”ピエタ”は1490年よりは少し前だろうと考えられている。

カルロ・クリヴェッリが作品制作にあたっていた1490年頃、フィレンツェは既にルネサンス真っ最中。
例えばこれ。

Botticelli(ボッティチェリ)のLa Nascita di Venere(ヴィーナス誕生)が描かれたのが1485年頃と言われる。
片やVeneziaではクリヴェッリの師匠とも言われるGiovanni Bellini(ジョヴァンニ・ベッリーニ)は

こんな絵を描いていた。
カルロのような、背景に金を使った作品はもはや時代遅れとなっていた。
それでも彼が描き続けたのは、単に彼の意思なのか、それとも注文主の強い思いなのか。それを知る術はないし、彼はその時時代遅れだと思いながら作品を描いていたわけではないだろう。

今回の修復でどの作品もびっくりするくらいきれいになり、本来持っていた輝き、いやもしかしたらそれ以上の輝きを取り戻した。
今まで隠れていたことが明らかになることを願いながら、後ろ髪引かれながら部屋を去った。

特別展は1月21日に終了したが、作品はヴァチカン絵画館の元も場所に展示される…と思う。

参考:Musei vaticani
          Carlo Crivelli, Pietro Zampetti, Nardini, 1985



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
3点 (山科)
2020-01-29 08:20:28

動画 URLをみると
一番  魅力的なのは、聖母子の1枚パネルのようですね。

ピエタのチマーザのものをベルリンのものと組み合わせたのは、ブレダの聖母戴冠祭壇画 と似ているからだと思います。

ピエタに限ってはブレダの聖母戴冠のチマーザのほうがよいかも、、聖母戴冠(ブレダ)本体は、あまり好きではありません。

祭壇画 については、どうも中央部分の欠損が甚だしいようにみえます。
だしいようにみえます。
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修復済 (fontana)
2020-01-29 11:02:16
山科様
コメントありがとうございます。
Zampettiはベルリンには触れていませんでした。

ブレラの祭壇画数年前に実物を見ましたが、破損が激しかった記憶がなかったので、調べてみたところ2007年に修復されたようですね。(2009年Crivelliの特別展が有ったため)
まだちゃんと聞いてはいませんが、こちらに英語も有りました。
http://www.rrmusei.it/en/musei-e-opere/pinacoteca-di-brera/
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あれ? (fontana)
2020-01-29 11:07:51
山科様
今Youtube見てたら、再現案、ピエタではなく「キリスト復活」が頂点に乗っていますね…
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訂正 (山科)
2020-01-29 20:08:51
どうも、整理せずにコメントしてしまったので再度

一番  魅力的なのは、聖母子の1枚パネルのようですね。

ピエタ(ヴァチカン)チマーザ + ベルリン

という組み合わせを発想した人は ベルリン~~ブレダの聖母戴冠
とみなしたんでしょう。様式が似ているようにみえますから。

当方は、
ピエタ(ブレダ)>>ピエタ(ヴァチカン)と感じております。
実は、聖母戴冠(ブレダ)はあまり好きではないのですが、上にくっついてるピエタ(ブレダ)チマーザは好きです。

ヴァチカンの横並びの聖人画:祭壇画のたぶん大きなものの一部でしょうが、これについては、合作とか他の画家じゃないか、というみたてが多そうです。
 確かに顔が常識的なんですね。クリヴェッリのあの、良くも悪くもある強烈さが薄いように感じ
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