ターナーを新宿で見た後は、中央線で東京駅へ移動。
これを見るため。
竹久夢二…こちらも大して興味はなかったんです。
だからこちらも閉幕間近、7月1日までです。
そして、こちらもニュースで特集されていたのを見て、やはり見に行くことにしたんです。
過去最大級の500点の夢二作品が展示されています。
この展示資料のほとんどが、1人の出版人のコレクション、というニュースをNHKでやっていたんです。
その人は澤田伊四郎、昭和8年に東京で「龍星閣」という出版社を創業しました。
澤田は昭和9年に亡くなった夢二の作品にほれ込み、いつか画集を出版しようと作品や資料を集めていたのです。
彼が集めた作品は、故郷秋田県小坂町の博物館に現在は保管されています。
残された手紙には、高村光太郎や宗像志功の名前もあります。
ちなみに高村光太郎の「智恵子抄」の版元は龍星閣です。
澤田の尽力で没後低迷していた夢二人気は復活します。
今回の展覧会はその澤田の収集した膨大な夢二コレクションが千代田区に寄贈されたことを記念して開催されることになりました。
夢二というとどうしても「かわいい」というイメージしかなかったのですが、この展覧会を見てちょっと印象が変わった…かも。
洋画、日本画にこだわらずに様々な技法で挿絵や絵葉書、雑誌・楽譜の表紙、本の装幀など、多くの媒体の絵を手がけた夢二。女性関係が泥沼だったことも初めて知りました。
展覧会は4章構成で、第1章では、夢二の若き日々。
第2章では、絵本の挿絵など出版や印刷・版画などを中心にした仕事。
第3章では、その中でも音楽や楽譜にまつわる仕事。
セノオ音楽出版社より発刊されたセノオ楽譜のジャケット。
夢二が自ら作詞を手がけた「宵待草」など270点が壁一面に展示されています。(全部有ったのかな?)
最後の第4章では、夢二の自伝小説『出帆』原画と、没後の龍星閣による出版活動などが紹介されています。
「出帆」は都新聞(現東京新聞)で昭和2(1927)年に連載された夢二の自伝的小説で、夢二の死後出版されたものですが、名前こそ違え、夢二と交流があった女性の事などが赤裸々に書かれていて、当時大きな話題になったそうです。
この小説に付けられた134点におよぶ挿絵の原画が夢二の年表に沿って展示されています。
とにかく見応えがある展覧会でした。
7月1日まで東京ステーションギャラリーで開催
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201805_yumeji.html
余談ですが、新宿駅で道を間違えて偶然出会った古本市で、夢二の本売ってたんですよね。
値段は見なかったんですけど、展覧会を先に見ていたら、もしかしたら手を出していたかもしれませんねぇ…
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