書く気が有るうちに、そして忘れないうちにアップしましょうねぇ。
なぜこうも立て続けにRomaへ行ったのか?
実は前回Romaに行った時、Santi Quattro Coronneという教会に行ったんです。
そこには古いフレスコ画が有って、とっても感動したのですが(詳しくは後日)家に戻ってきて、大学の図書館で資料を探していたら偶然この教会には更なる”お宝”が有ることを発見。
早速教会のサイトを調べると、なんと1か月後にガイド付きツアーで見ることができるとあるではないですか。
すぐ連絡を取ったら「15日の8時半なら1人空いてる。ここしかポストは有りません」という連絡が来た。
8時半かぁ…
フィレンツェからはどう頑張っても9時にしかRomaにはたどり着けないので、前泊したというわけ。
前泊してさて何しよう?月曜だしなぁと考えた時、「そうだPorta Santa(聖なる扉)はいつ閉まるんだ?」と思い出し、バチカンのオフィシャルサイトに行ったところ、
20日までということで早速予約のメールを出した。
このPorta santaの予約サイトが出来た時、早速試しに予約してみたら全然連絡がなかったんですよ。
ヴァチカンといえ、やっぱりなぁという気はしたんですがね。
その後行く予定もなくほったらかしにしておりましたが、ここに来て再度チャレンジ。
多くの日本人が日本語で予約状況などを載せていたので、それも参考にさせていただきましたが、なかなか返事が来なくてねぇ。
結局返事が来たのは出かける5日くらい前でした。
まぁもうこれから行く人はいないと思うので、サイトの話は詳しくしませんが。
Porta santaとは一体何か、ということをおさらいしておきますと、
”聖年には信者が特別の赦しを与えられるとし、この期間中には、救済のための特別な扉である、聖なる扉(Porta Santa)が開きます。
聖なる扉は、ローマの4大聖堂である、サン・ピエトロSan Pietro、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノSan Giovanni in Laterano、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラSan Paolo fuori le Mura、サンタ・マリア・マッジョーレSanta Maria Maggiore聖堂にあり、通常は聖堂内側が塗り固められています。
今回の聖年は12月8日のサン・ピエトロ大聖堂の聖なる扉の開通の厳かなる儀式に始まり、その他の聖堂の扉も順次開けられ、2016年11月20日の最後に再び塗り固められます。”
これイタリア政府観光局の公式にほんごサイトからの引用なのですが、「塗り固められる」って何?
えっ、何で塗り固めるの???
ということで調べたよ。
「塗り固められる」のはSan Pietroだけじゃん。
これ2000年の時に写真ですが、右が閉まった扉、左がその内側で、閉められた後、コンクリートで塗り固められてる…知らなかった。
日曜日に閉められるので、ニュース気を付けて見よう!!
そしてここからが実際に私が経験したお話。
日にちは指定できても時間は向こうが指定してくるので、ちょっとドキドキしてました。
というのもRomaに到着するのが9時だったから。
結局予約は11時ということで、余裕で間に合う。というより微妙な時間だったんですよね。
Romaに着いて、すぐ駅前のホテルに荷物を置き(ラッキーなことにチェツクインが出来ました)、とりあえず駅のそばのSanta Maria Maggioreへ
ここで気が付いたんです、自分がすごくマヌケだってこと。
あれ?Porta santaが閉まってる。
ガーン
通りで人も少ないし、警備も緩め(いつもか?)になってたよ。
確かに前日の夜に地方ニュースで「トスカーナ内の聖なる扉が閉まりました」とやっていたけど、まさかRomaのも閉まっているなんて。
だってSan Pietroは20日に閉まるんでしょう?
他が1週間早いなんて誰も教えてくれなかった…ってちゃんと調べなかった私が悪いんですけどね。
ということで、閉まっているのは見て分かっていながら「聖なる門は昨日閉まったの?」と係の人に確認したら「残念だけど、そうだよ」と。
あはは、バカな私。ちゃんと調べないとね。最近手抜きしすぎだよ。
ということで、前回San Giovanni in LateranoのPorta santaはくぐったのでその時の様子を。
これこれ
こちらはSan Pietroのように予約は必要ありませんでしたが、荷物チェツクは有りました。
これが扉の彫刻。
結局2か所しか通れなかった私。(他の教会でPorta santaと書かれてた場所は何カ所かくぐったけど)
4つの扉を通過できれば救済されるけど、2つしか通れなかったから半分で…なんてね。
それよりなにより、実はこれ、異教徒は救済されないんですって。
だって、ダンテもそうですが、キリスト教信者でないだけで、天国には行けませんからね。
ということで、私はダメなんでしょうねぇ。
でも私前回2000年の時、4か所全部をクリアーしたおかげか、それ以降特に痛い目に遭ったことはないんですけど…
救済されてる感が有りますけどね。
がっかりしながら、それでも予約したSan Pietroへは行きますよ。
ということで、Santa Maria Maggioreから駅に戻ってバスでパンテオンのそばまで。
パンテオンと言えば、全然関係ないのですが、その日の夜パンテオンのそばにあるPiazza Minervaに置かれているオベリスクを抱えた象の彫刻が破壊されました。
可哀そうに、牙がおられてる…
今朝のテレビでもイタリア中の遺産に警察官を監視に付けるわけにはいかないし(ただでさえテロ対策で多くの警察や軍人が重要な場所に配置されているのに)、
犯人を探し出して罪を償わせることも必要だし、などなど色々問題になっていました。
幸い折られた牙の破片は見つかっていて、近々修復はされますが、元に戻せばいいって問題ではないんです。
犯人はまだ見つかっていませんが、大方の読みでは、こういうことをして、まるで武勇伝のようにSNSなどに載せる、そういう為にやったのではないかと言われています。
モラルの低下でしょうね…困ったものです。
パンテオンではこちらの象の方には行かず、時間が有ったので、
San Luigi dei Francesiで(修復やっと終わってファサードがお目見え)
カラバッジョを見、(見てる人1人しかいなかった…)
Sant'Agostinoで
ラファエロと
もう一枚カラバッジョを見て(ここもこの人たちしかいなかった)、ぶらぶらと集合場所であるサンタンジェロ場へ向かいました。
フィレンツェと違ってローマは既につかの間の観光客閑散期に入ったのかな?
と思っていたら、フィレンツェも今日アカデミア美術館の前を通ったら、いつもの行列がなかったので、こちらもクリスマスまで、少し静かになりそうです。
途中から世界中から巡礼者が集まっているからでしょう、ちゃんと案内が出ていました。
普通この道は通らないんじゃん?という細い道なんですけどね。
サンタンジェロ城
そしてバウチャー持ってる人の集合先は
えっ、このテントだった。
10時半だったけど、時間のことは何も指摘されず(それなら早く来れば良かった)
「イタリア語大丈夫なのね?じゃあ、あのグループについて行って!」とボランティアの人に言われたので、何もわからずにとりあえずついて行きました。
これが結果的にはすごい経験になったわけですが…
みんながグループ行動なのかと思っていたら、個人ですたすた行ってしまう人もいましたが、
私は結局ずっとこの十字架について行きました。
前には修道女さんたちがいて、グループを道井びいているようです。
木製の十字架は軽くないようで、時々持ち手が替わっていました。
要所要所で配られたパンフレットに書かれた聖書の一節を読み上げたり、賛美歌を歌ったりしながら進みます。
本当に巡礼者になった感じです。
周りからも写真撮られたり、声をかけられたリしていました。
ボランティアの方に守られ、柵がされた特別な巡礼通路を通って行きます。
San Pietro大聖堂が近づいて来ます。
グループということで、かなり特別扱い。
「十字架が通るから、リスペクトしてください。」と個人行動の人も規制を受けていました。
荷物チェツクをすんなり済ませ、いざ大聖堂へ。
ここで別れることもできたのですが、どうせなら、ということで最後までついて行ったわけです。
門をくぐる前に朗読と賛美歌、いざ門へ
おお~
私はキリスト教徒ではないし、大聖堂に入ったのも初めてではないのですが、なんだろう、言い表せないこみ上げる思いは。
なんか涙が…胸がいっぱい。自分でもちょっとびっくり。私、異教徒なのに…
そして大聖堂に入った後、個人で予約した人は入れないのですが、正規の巡礼者となった私はなんとこのグループと大聖堂内の真ん中に作られた特別な通路を通り、San Pietroの墓へ向かいます。
墓の直前で待機中。
そしてここからは厳重に写真撮影不可を言い渡され、墓の前に十字架に着いて進みます。
ここで最後のお祈り。そして巡礼は終了です。
いやいや、2000年時にこんなことをしていたのかは不明だし、あの頃はイタリア語全くできなかったから知っていても…
個人行動で門をくぐるだけでなく、キリスト教徒ではないにせよ、貴重な体験が出来て本当に感動です。
まぁ願わくば、4つの扉をくぐりたかったですけどね。
その後
ミケランジェロのピエタを見に入り口に戻りましたが…見えん。
しかし、こんなに小さかったけ?
他にSan Pietroの足を撫でて、足腰がいつまでも丈夫であるように、と祈念したりして大聖堂を出ました。
なんとなく、観光客の気持ちになれなくて、そそくさと出てしまいました。
いつも素敵なスイス衛兵
日曜日の聖なる門を閉めるイベント、ミサの為でしょうね。
いやいや、貴重な体験をしましたよ。
そして更に貴重なのは、巡礼をした証明書が出ます。
この事務所で名前を書いて、2€でラテン語の証明書をもらいました。
真ん中の赤いところに名前が入っています。
なんて書いて有るのかなぁ…ラテン語勉強したよね。
え~と
頭はフランチェスコ法王が制定した特別聖年、「ミセリコルディア聖年」において、巡礼を済ませたことを証明する…みたいな感じ?
難しいのは名前の下
う~ん、さすがにこちらは分からないのちょっとズルしてイタリア語に訳してから…でもよくわからない。
多分「聖なる扉の開門、キリストとの出会いによってこの聖年に、慰め、許し、神の愛の実感、希望を与えられるだろう。」かな?
意訳、意訳。
ちなみにSan Pietro Fuori le Muraにも行ったのですが(門はくくらなくても4か所に赴きましたよ)
天気も良いし、ここはなんとなく南国感満載なんですよね。
2000年に来て以来でしたが、印象は同じでしたね。
こちらのPorta santaは
こちら
内側の方が興味深くて
1070年コンスタンティノープルで鋳造されて、ローマに運ばれた珍しいビザンチン美術。
1823年の火災で、こちらの大聖堂の美術品のほとんどが消失している中、かなり傷んではいるものの、現存している数少ない”遺産”
こちらは塗りこめるわけにはいかないですよね。
そしてもう1つ見落としてはいけなかったのは(見落としてて、最後に売店でガイドブックを見て引き返した人)
現法王の肖像画
この教会には歴代の法王の肖像画が描かれた”メダル”が天井の下にはめ込まれています。
現法王だけが光で照らされていたのに、最初何で気が付かなかったんだろう???
隣とそこを曲がった壁に3枚の何も描かれていない丸い丸が有りました。
ちなみに初代法王San Pietroは、主祭壇に一番近い(右側)に居ました。
ということでPorta Santaのお話は終わり。
普通に行けば次回は2025年。
さて、その時私はどこで何をしているんだろう…9年後かぁ、こわいわぁ。
Santi Quattro CoronatiにはSan Silvestroの祈祷堂が有りますが、これより古いフレスコ画が描かれたAula Gotica(ゴシックの間)と言うものがあります。ご存知でしたら、もったいぶってごめんなさい!(詳細は後日アップする予定です。)