先日、日本のテレビを見ていたら、彼女が出ていた。
「ふ~ん、この人一体何者?」
こちらは浦島太郎ですから
勝間和代さんねぇ・・・
日本にいるわけではないので、帰国したら本を読むか~と思っていたら、先日帰国した友人が最新のこの本を買ってきた。
「断る力」ね
ここに"チップ"に関して面白い話が出ていた。
"「交渉力」はクセである"という見出しの中
相手に断る力を発揮するということは、「交渉力」と言い換えることも出来ます。すなわち、すべてのものごとにおいて、相手の問題設定と自分の問題設定のすりあわせを行い、より高度な提案を行っていくという思考のクセです。
ただ残念ながら、「交渉力をつける」というと、日本人の多くにとって高度なことだと思われがちです。例えば、日本では買い物1つするにも、すべてきっちりとした値札がついていて、交渉力を発揮する必要はほとんどありません。また、チップの習慣がないため、相手のサービスの度合いに応じて価格設定を変えるということも行いません。すべては与えられた範囲でその枠組みを着々とこなすことが効率的であり、空気が読める重宝される人間として扱われてしまうのです。
しかし、「交渉力をつける」ことは、実際にはたいして高度なことではなく、せいぜい「思考のクセ(習慣)」くらいに思っていた方がいいのです。
このクセをつけるのに必要なことはたった一つです。上司であっても、親兄弟や友人であっても、相手が出してきた要求や条件に対して、何でも即座に「ハイ」と返答するのではなく、まずはいったん「よりよい方法はないか」と一歩進んで考えるクセをつける、これだけです。
もっとも、日本で普通に暮らしていると、「何も考えずに、言われたことには唯々諾々と従う」という「クセ」が知らず知らずの間に(その多くは幼少期からの学校や家庭での教育によって)、身についてしまっています。
この唯々諾々と従うクセについては、いい面も悪い面もあります。例えば、神戸の震災の時に緊急避難をしていた住民がすごく統制が取れていて、集団生活を行っていたことについては海外の視察団は驚愕したそうです。通常はおおいう場面では、意見が対立してなかなかまとまらず、暴動すら起こりがちだからです。一定の命令系統が確立されていれば、それに反感なく従うというのが日本人の特長です。
他方、自分で考えるということについては、たいへん面倒がる人種でもあります。たとえば「チップ」ひとつにしても、外国人はだいたい10から15パーセントぐらいが標準で、おいしかったら20から25パーセント、まずかったら気持ち5パーセントぐらいにしておくといった相手へのフィードバックを繰り返しますが、日本人は、「チップの額を決めてほしい」
「サービス料を統一してほしい」
ということを求めてしまいがちです。<一部省略>
つまり、私たち日本人は、与えられた枠組みの中で最大の価値を出すという訓練は高いレベルで受けているのですが、与えられた枠組み自体を問い直す「クセ」が残念ながら、社会文化的な資産としてはついていないのです。
そういう環境で、ぼうっとしているうちに、日本人は「思考停止」になってしまいます。また、思考停止を望む私たちにとって、いわゆる終身雇用・年功序列賃金というのはたいへん文化的な背景にフィットしたものだったため、ここまで強く普及したわけです。
しかし残念ながら、もうグローバリゼーションの方向性には逆らえず、すべての環境変化が日本ペースではなく世界ペースで起きてしまっているため、私たちもそれに対応した生き方、すなわち「断る力」や「交渉力」を一人一人が発揮しないと、自分たちが結局は幸福になれない時代になってしまったということも出来ます。(本文より抜粋)
このあといかにして「交渉力」をつけるかという話に、2人で飲茶を食べに行き、どの蒸篭にも3つずつ入って来るのを見て、2つにしてもらうように交渉するという例が出ている。
う~ん、先日3人で食事に行ったとき、サラミの盛り合わせを頼み、2枚ずつしか乗っていないのを見て、3人なんだから3枚ずつにしてもらう?と話し合いながら、結局言わなかった私たち、「交渉力」に欠けている?
そうかと思えば、買い物する時はとりあえず値段交渉をしている。
先日もバックを買うのに1つ75€のバック、2個買うから100€にして(どういう価格設定よ?)してもらった。
しかしこれはイタリアですから、日本人の私でも割と簡単に「交渉力」を発揮できます。というより、発揮しない場合自分が損をする
最後に
「断る」ということにリスクがあるのはわかりつつも、そのリスクを取るのには勇気が必要です。しかし、一回でも、意識をしてそのリスクをとってみることができれば、うまくいっても、行かなくても、その体験を
「成長の糧」として、自分の軸の形成に役立てることが出来ます。特に、友情関係・愛情関係において◎互いの成長のために、忌憚のない意見を言い合える関係がほんの少数の相手とでも育てることが出来れば、それを育んでいく必要があります。また、長期的な関係を築ける真の友人、真の配偶者、真の親子関係は、このようなお互いを尊重した関わり合いのプロセスの中でしか生まれないと思います。
何度も繰り返しますが◎すべての人に好かれるのは不可能ですし◎すべての相手に真剣な関わり合いを求めるのも不可能だからこそ、どの相手であれば、◎互いが生まれ持った素質をなるべく発揮する関係性を築けるのか、人生の中で私たち一人一人が、この人であれば長い間、お互いを高めあえるという最愛の人を探し続けることが、他者を尊重しながらも「断る力」をつける最良の方法なのかもしれません。<本文より抜粋>
難しいなぁ
でも、自分の為にも周囲の為にも「断る力」は必要だと思う今日この頃です、はい。
興味を持った方は是非全てを読んでみてください。もちろん人の意見は鵜呑みにせず、「断る力」を使ってくださいね!
「ふ~ん、この人一体何者?」
こちらは浦島太郎ですから
勝間和代さんねぇ・・・
日本にいるわけではないので、帰国したら本を読むか~と思っていたら、先日帰国した友人が最新のこの本を買ってきた。
「断る力」ね
ここに"チップ"に関して面白い話が出ていた。
"「交渉力」はクセである"という見出しの中
相手に断る力を発揮するということは、「交渉力」と言い換えることも出来ます。すなわち、すべてのものごとにおいて、相手の問題設定と自分の問題設定のすりあわせを行い、より高度な提案を行っていくという思考のクセです。
ただ残念ながら、「交渉力をつける」というと、日本人の多くにとって高度なことだと思われがちです。例えば、日本では買い物1つするにも、すべてきっちりとした値札がついていて、交渉力を発揮する必要はほとんどありません。また、チップの習慣がないため、相手のサービスの度合いに応じて価格設定を変えるということも行いません。すべては与えられた範囲でその枠組みを着々とこなすことが効率的であり、空気が読める重宝される人間として扱われてしまうのです。
しかし、「交渉力をつける」ことは、実際にはたいして高度なことではなく、せいぜい「思考のクセ(習慣)」くらいに思っていた方がいいのです。
このクセをつけるのに必要なことはたった一つです。上司であっても、親兄弟や友人であっても、相手が出してきた要求や条件に対して、何でも即座に「ハイ」と返答するのではなく、まずはいったん「よりよい方法はないか」と一歩進んで考えるクセをつける、これだけです。
もっとも、日本で普通に暮らしていると、「何も考えずに、言われたことには唯々諾々と従う」という「クセ」が知らず知らずの間に(その多くは幼少期からの学校や家庭での教育によって)、身についてしまっています。
この唯々諾々と従うクセについては、いい面も悪い面もあります。例えば、神戸の震災の時に緊急避難をしていた住民がすごく統制が取れていて、集団生活を行っていたことについては海外の視察団は驚愕したそうです。通常はおおいう場面では、意見が対立してなかなかまとまらず、暴動すら起こりがちだからです。一定の命令系統が確立されていれば、それに反感なく従うというのが日本人の特長です。
他方、自分で考えるということについては、たいへん面倒がる人種でもあります。たとえば「チップ」ひとつにしても、外国人はだいたい10から15パーセントぐらいが標準で、おいしかったら20から25パーセント、まずかったら気持ち5パーセントぐらいにしておくといった相手へのフィードバックを繰り返しますが、日本人は、「チップの額を決めてほしい」
「サービス料を統一してほしい」
ということを求めてしまいがちです。<一部省略>
つまり、私たち日本人は、与えられた枠組みの中で最大の価値を出すという訓練は高いレベルで受けているのですが、与えられた枠組み自体を問い直す「クセ」が残念ながら、社会文化的な資産としてはついていないのです。
そういう環境で、ぼうっとしているうちに、日本人は「思考停止」になってしまいます。また、思考停止を望む私たちにとって、いわゆる終身雇用・年功序列賃金というのはたいへん文化的な背景にフィットしたものだったため、ここまで強く普及したわけです。
しかし残念ながら、もうグローバリゼーションの方向性には逆らえず、すべての環境変化が日本ペースではなく世界ペースで起きてしまっているため、私たちもそれに対応した生き方、すなわち「断る力」や「交渉力」を一人一人が発揮しないと、自分たちが結局は幸福になれない時代になってしまったということも出来ます。(本文より抜粋)
このあといかにして「交渉力」をつけるかという話に、2人で飲茶を食べに行き、どの蒸篭にも3つずつ入って来るのを見て、2つにしてもらうように交渉するという例が出ている。
う~ん、先日3人で食事に行ったとき、サラミの盛り合わせを頼み、2枚ずつしか乗っていないのを見て、3人なんだから3枚ずつにしてもらう?と話し合いながら、結局言わなかった私たち、「交渉力」に欠けている?
そうかと思えば、買い物する時はとりあえず値段交渉をしている。
先日もバックを買うのに1つ75€のバック、2個買うから100€にして(どういう価格設定よ?)してもらった。
しかしこれはイタリアですから、日本人の私でも割と簡単に「交渉力」を発揮できます。というより、発揮しない場合自分が損をする
最後に
「断る」ということにリスクがあるのはわかりつつも、そのリスクを取るのには勇気が必要です。しかし、一回でも、意識をしてそのリスクをとってみることができれば、うまくいっても、行かなくても、その体験を
「成長の糧」として、自分の軸の形成に役立てることが出来ます。特に、友情関係・愛情関係において◎互いの成長のために、忌憚のない意見を言い合える関係がほんの少数の相手とでも育てることが出来れば、それを育んでいく必要があります。また、長期的な関係を築ける真の友人、真の配偶者、真の親子関係は、このようなお互いを尊重した関わり合いのプロセスの中でしか生まれないと思います。
何度も繰り返しますが◎すべての人に好かれるのは不可能ですし◎すべての相手に真剣な関わり合いを求めるのも不可能だからこそ、どの相手であれば、◎互いが生まれ持った素質をなるべく発揮する関係性を築けるのか、人生の中で私たち一人一人が、この人であれば長い間、お互いを高めあえるという最愛の人を探し続けることが、他者を尊重しながらも「断る力」をつける最良の方法なのかもしれません。<本文より抜粋>
難しいなぁ
でも、自分の為にも周囲の為にも「断る力」は必要だと思う今日この頃です、はい。
興味を持った方は是非全てを読んでみてください。もちろん人の意見は鵜呑みにせず、「断る力」を使ってくださいね!
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