イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

死にゆく街Civita Bagnoregio(チヴィタ・ディ・バーニョレージョ)

2020年07月18日 15時45分12秒 | イタリアの小さな街・大きな街(Fi以外)

今年は雨多いですねぇ。
首都圏の感染者も増えているし。
なんとなく鬱々とした毎日、に加え、突然来月引っ越しをすることになってバタバタしています。
まぁ引っ越すと言っても、2キロくらいの場所なので、大きなものだけ業者にお願いして後はコツコツなんですけど、何が大変って、今まで溜めに溜めた、溜まりに溜まった不用品。
いや~今の家に来たのは約25年前で、その頃はまだ兄弟も同居。
彼らは、所帯を持って自立したのだが、彼らの荷物も少しだけど実家に残っている。
他人の荷物、更にもう何年も放っておいたものを捨てるのは簡単だけど、とにかくごみが多い。
外出自粛の時期、断捨離した人が多くて、ごみが増えて処理に困っているというニュースを見ながら、ごめんなさい!!と思いながらもせっせとごみ捨てちゃっています。
自分の荷物は…紙ばっかり!!
本はなかなか捨てられなくてねぇ。
しかし、ここで捨てて置かないと、もうこの先の人生、これ以上荷物を持っててどうするの?ということで、必要なものはスキャンして、写真なんかも、他人の結婚式の写真なんかは惜しげもなくビリビリ捨てています。

そんな中、無くなったと思っていた古い写真を撮り込んだDVD(いや、まだCDだった)が出て来ました。
懐かしい~本当に色々な場所に行ったんだなぁ、と郷愁が溢れてきました。
ということでしばらくは今はいけないイタリアの素晴らしい景色でもお届けしましょうね。(折角出て来た写真を役立てるために)

第1弾は、今でもあの時のことは忘れがたい。
あそこに行ったのは2004年の7月、熱い日でした。
私は当時Tidi(トーディ)というUmbria(ウンブリア州)の片田舎(失礼!)の語学学校に通っていました。
平日は授業が有ってやることも有るのですが、土日は車もないとどこにも行けず、部屋にいると冷房がなく暑いので、扇風機の有る部屋や公園で当時一緒だった日本人とうだうだしていたりしていました。
そんな暑い日、顔なじみのイタリア人の”じいさん”(私たちはこう呼んでいました)が、これ本当に動くの?というくらいのおんぼろな車でドライブに連れて行ってくれたのです。

じいさんは、私たち(アラサー日本人女子3人)に行く先を告げませんでした。
彼のおんぼろ車にはエアコンは有りませんでしたが、山道に入ると車に流れ込む涼やかな風で、後部座席に座っていた私と友人はウトウト。(助手席の友達ごめん!)
気がついたのは車が止まった時でした。
目を開けると、広がったのはこの光景。

どこここ?何これ?
当時は全然知らなかったんですよ、イタリアのこと。
ところが助手席友人が歓びの声をあげているではないですか。
「ここラピュタのモデルになったって言われる街なんだよ。車がないと来られないと思っていたのでうれしい~」と。(ちなみに公共交通手段を使っても行けるはず)
ふ~ん、そうなんだ。
「宮崎駿映画のモデル」、という形容詞はこの先色々な場所で聞くことにはなるので、そこの信憑性はおいておきます。

ここはCivita di Bagnoregio(チヴィタ・ディ・バーニョレージョ)
「死にゆく町」(il paese che muore)と言われています。
2500年以上前にエトルリア人によってつくられた都市なのですが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされています。
当時は確か人口14人だったと思います。

街に入るためにはこの300メートル程度の長さをもつ狭く急な橋を渡る以外にはありません。


どんな小さな街でも、欠かせないのが教会。

あれ?これホントにこの街のDuomoだったのかな?というくらい教会は立派だ。
写真はなかったけど、美味しいブルスケッタ(オリーブオイルが美味しいからなんだけど)が食べられるお店が一軒だけあります。

最近は日本のツアーでも、ここを入れるツアーが増えていて、行ったことが有る人も増えたようだし、イタリア国内でも「死せる街」としてメディアで散々取り上げられているので、「死せる街」の荒廃感はないけど、イタリアには、いや世界中に、こういう街は多いと思います。
利便性を求めた結果ですね。

街から降りてきたら珍しくカルチャーフィの花が咲いていた…ようです。

イタリアでカルチョーフィの花を見るのは珍しいと聞きました。
なぜかというと、花が咲く前に食べちゃうから。

近くには美味しい水を湛える噴水。
ローマ時代のものかしらん?
でもよく見たら飲水ではないと書いてあります。

私たちはこの後Lago di Bolsena(ボルセーナ湖)の湖畔で涼を求めてぼ~、アイスクリームをじいさんにご馳走になった気がします。
あのとてもやさしかったじいさんは既に鬼籍に。
あ~懐かしい、もう16年も前なんだねぇ。
イタリア滞在があれほど長くなると思っていない、滞在初期の非常に良い思い出の1つでした。
 



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (fontana)
2020-07-24 13:40:05
山科様
コメントありがとうございます。
暑さもありますので、気を付けようと思います。
これから暑さ本番ですので、山科様もくれぐれもご自愛ください。
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引越と病気 (山科)
2020-07-22 16:56:32
 当方の場合、引っ越すたびに、寝込むことになってしまいました。やはり相当無理しているのでしょう。そのため、直近のひっこしのときは、できるだけ業者に頼みました。
  病気のリスクとコストを秤にかけて、まあしょうがないかな、、というところでした。
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私も最初はツアーでした。 (fontana)
2020-07-20 15:20:14
カンサンさん
お気遣いありがとうございます。
こまごまとした手続きもさることながら、とにかく不用品の処分に手を焼いています。

私も最初のヨーロッパはツアーでした。「南フランスとパリ10日間」というフランス旅で、ゴッホの軌跡を巡るようなツアーでした。最後の2日がパリ自由行動だったのですが、8月の40℃も有る時で、郊外のホテルは今までそんな暑さになったことがないので扇風機すら無く、汗だくで寝たのを覚えています。また近所の小さな商店で買ったぶどうが非常においしかったです。そんなツアーの資料なども今回の引っ越しで出てきて、捨てるべきか、残すべきか悩んでいます。
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引っ越し (カンサン)
2020-07-19 19:24:22
fontanaさんへ、お引越しですか。暑い時期に大変ですね。住所が変更になると手続きしなければならないのが数多くあるでしょう。
イタリアの小さな町におじいさんと一緒に行ったところはいいところですね。私が最初にイタリアに行ったのはナポリ、ローマ、フィレンツェ、ベニス、ミラノの5
都市を回る8日間のツアーでした。定番中の定番のコースですね。
最後に訪れたのがミラノでした。午後の半日、自由時間になって、一人でコモに行ってきました。これが私にとって海外で一人で電車に乗って、自由に歩きまわった最初の体験でした。コモ湖では一時間くらいで一周する観光船に乗りました。
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