Paolo Uccello(パオロ・ウチェッロ)という画家をご存知ですか?
日本人には決してメジャーではないこの作家。
でもこの人すごく人間味のある人なんです。
パオロ・ウッチェロ(Paolo Uccello, 1397年 - 1475年12月10日)は初期ルネサンスの画家。国際ゴシック様式の潮流と遠近法に代表されるルネサンスの科学的アプローチを融合させた絵画を創出した。しかし、あまりにも遠近法に固執したため、ルネサンス後期の画家のみならず、19世紀のロマン主義においてもしばしば批判の対象となった。
Wikipediaにはこんな風に紹介されているけど・・・
Vasari(ヴァザーリ)曰く、奥さんがベットに誘っても断るくらい遠近法に固執していた、と。
でも、この人の遠近法って考えすぎてちょっと変なんですよね。
まぁVasariの言うこと、全てが信用できるわけではないけど、この人ホントちょっと変わった人だったみたい。
なんで、いきなりこの人の話かというと、S.Stefanoの月曜日、普段は目にすることが出来ない、この人の傑作をみたからなんです。
San Miniato al MonteはFirenzeの???どの方角?
とにかくPiazzale Michelangelo(ミケランジェロ広場)のすぐ近くに位置する。
ローマ皇帝Decio(デーチョ)の時代(紀元後249-251)キリスト教迫害にアルノ川のほとりで斬首されたSan Miniato(サン・ミニアート)が打たれた自分の首を小脇に抱え、Mons Florentinusと呼ばれていたこの地までたどり着き、力尽きた。
惨殺されたほかのキリスト教徒と共に彼のなきがらをこの地に葬り、そこに教会を建てたのが始まり。
記録は確かではないが1013(1018か)年、ベネデット派により現在の教会の形へと改修が始まったといわれる。
教会が建立された正式な記録は床に残された1207年という年号によるものである。
現在は6名(7だったかな)のmonaco(修道士)がこちらの修道院で生活している。
Firenzeでは2大重要ゴシック建築物の1つ。
ちなみにもう一つはBattistero(洗礼堂)。
Facciata(ファサード)はmarmo bianco di Carrara(カラーラの白大理石)とserpentino verde scuro(暗い緑の蛇紋岩)のコントラストでかたちどられた幾何学模様が特徴的。
Brunelleschi(ブルネレスキ)やAlberti(アルベルティー)が影響を受けたといわれる。
さて、今回はこのSan Miniato al Monteの普段は公開されていない、修道士が生活しているmonastero(修道院)の部分が公開される、と聞いて面倒だ・・・と思いながらも行ってみた。
結果は、行ってよかった~と。まぁいつものことなんですよ。
10時、11時半、3時半の3回行われたVisita guidata(ガイド付きツアー)
10時には気合不足で間に合わず、11時ごろ教会に着いた。
たまたま入り口で、このツアーを探している人がいたので、くっついて行った。
集合場所に行くと既に50名くらい私の前にいた。
時間になるまで待っていたらなんと約200人まで膨れ上がったんだよ。
すごいなぁ・・・
11時半少し過ぎて、ドアが開き、Chiostro(回廊つき中庭)に突入・・・人数が多いからホント突入という感じだった。
するとメガホンを持った・・・修道士さん。
修道士さんもすごい人数でびっくり!!
「皆さんどうして知ったんですか?」と聞くと
「新聞」「ネット」などでと。かくいう私も数日前からネットでチェックしていた。
ものすごい人なので、押し合いへし合いにならないように誘導してくれます。
全員がCortileに入るまでどれくらい掛かったのかな???
中庭が一杯になった。
このmonaco(修道士)Bernardo(ベルナルド)さんが私たちを案内してくれる。
話がものすごくうまいの!!
今までここまで話が分かりやすいイタリア人見た(聞いた?)ことがない・・・というくらい。
でも、それって普通なのかもしれない。
私はキリスト教徒ではないので、修道士さんなどの話を聞く機会はないけど、
中世のイタリア文学を勉強した時も、所謂"説教"は、教養の低い人にも分かるような分かりやすい話が多かった。
でも・・・
それにしても面白い。
まぁ本人が「まじめな案内を希望しますか?」とみんなに質問すると
「No~」という返事がものすごいボリュームで返ってくるくらいだったから、私だけでなくみんな面白かったんだと思う。
写真が撮れなかったんだけど、まず最初に1529年スペインによるAssedio di Firenze(フィレンツェ包囲)の交戦に使われたという石の説明があった。
1553年San Miniatoは要塞へと変貌を遂げる。
そして場所を移して・・・
その包囲後フィレンツェは共和国制が崩壊、再びメディチ家の統治が始まる。
共和国のシンボルだった旗が今もcampanile(鐘楼)でははためいている。
そして私がものすごく感動したのはChiostroの説明。
確かmonasteroにはchiostroが付き物なんだよね。
Chiostroはもともとアダムとイブが追放された楽園を意味している。
そしてなぜここには屋根がないのか?
それは空が唯一の屋根だから・・・と日本語で言ってしまうと全然感動がないんだけど。
あ~私このままキリスト教徒になってしまうかも・・・という感動具合。
不思議なんだけど、キリスト教ってすごき詩的だと思うんだよね。
そうか、屋根が神が私たちに与えた屋根なのねぇ・・・
なんて感動していたのは私一人だと思う。だってみんな知ってたみたいで答えていたもんね。
この後民族大移動で
こちらの部屋に
「何も知らずにこの部屋に誘導して、実はガス室だったりして」とちょっときわどい冗談も混じっていましたが・・・
冗談抜きで何か起きたらどうするんだろう・・・というくらい人人人
身動きできない・・・
今正面に写っているドアの向こうがSala Capitolareという部屋なんだけど、そこを見るためにみんなが移動するのも大変だった。
Sala Capitoraleという名前は、修道士が1日聖書1章(capitolo)読む為の部屋、というところからきているんだとか。
部屋の壁には12世紀のフレスコ画の跡が残っています。
このあといよいよPaolo Uccelloのフレスコ画を拝みに2階に上がるのですが、とにかく人が多いので動きが取れない。
何とかたどり着いた・・・う~ん感動。
Santa Maria Novella(サンタ・マリア・ノベッラ教会)のChiostro Verde(緑の回廊)にあるPaolo Uccelloの作品もいいですが、こちらもいい。
かなり痛んでいますが、Verde di Paolo Uccello(パオロ・ウチェッロの緑)と呼ばれる特徴的な緑。
あれ?最近人名が付いた色について、という話をどこかで読んだ?聞いた?気がしたんだけど???
(この件は数時間後どこで聞いたか、どんな話だったか思い出した。忘れないように書いておくと、イヴ・クラインの青からだった。よかった・・・すっきり!)
"色"というのは、絵画にとって非常に重要な要素。特に宗教画にとっては。
服の色で誰だかわかるように出来ている。
日本だって聖徳太子の冠位十二階の冠位に対する色の考え方など共通していると思っている。(あくまでも個人的な見解ね)
ちょっと気になるので、これは来年への宿題とします。
ちなみに他にはBaccafumi(ベッカフーミ)のviola(紫)とかGiorgioneo(ジョルジョーネ)のverde(緑)とかが有った気がするんだけど・・・
明日、多分美術書専門の本屋に行くので何かないか聞いてみよう!
そして、ここでも面白い話
この時代今ほどチーズを食べる習慣がなかった。
もちろんコレステロールのことなんか知らなかったね。
で、またまたVasariじいさん曰く「Paolo Uccelloはチーズの食べすぎで、自分がチーズになってしまうのではという恐怖に襲われ、このフレスコ画を描くのを途中で止めてしまった」とか
おいおい、どこまで変な人なんだよ。
こちらの真ん中はBuontalentiのサインがあるフレスコ画なのですが
「Buontalentiと言えば、何を発明した人?」と修道士さんが問いかけると
「Gelato(ジェラート)」とみんなが答えるというような楽しい説明がありました。
人数が多かったのでたっぷり2時間のツアー。
最後に「強制ではなく寄付をお願いします。」という挨拶で占め。
しかし、すごかった、修道士さんが持ったざるは紙幣でいっぱい。
宗教ってすごいなぁ・・・と思ってしまった。
Santo Stefanoの休日はこんな感じで一日が過ぎて言ったのであります。
イタリア人と同じタイミングで笑えるようになった自分に自己満足!
でももっともっと色々なことを知りたいという気持ちはつきません。
昨日もお話した「ストレングス・ファインダー」
収集心の欄には
世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。-中略ー
保管する時点では、いつ、またはなぜあなたがそれらを必要とするかを正確に言うことは難しい場合が多いでしょう。
でも。それがいつか役に立つようになるかどうか、誰が知っているでしょうか。
あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、ものを捨てることに不安を感じます。ですから、あなたはものや情報を手に入れ、集め、整理して保管しつづけます。それが面白いのです。それがあなたを常に活き活きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう。
と書いてあった。
本当に的を得ています。
部屋がこれ以上狭くなるのは困りものですが、来年もPaolo Uccelloのようにマニアックに自分が興味のあることを収集し続けていこうと思います。
そして来年こそは、"役に立つもの"を見つけていければいいなぁと思っています。
ツアーの後、彼のまつPiazzale Michelangeloへ
「やぁ、待った?」
2時間以上も掛かったよこの記事書くの・・・
やばい洗濯取り込んで出かけなきゃ。
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