先ほど書き忘れてしまったのですが、Rossiniのこと。
あっ,その前にAureliano in Palmiraでのこと。
ヤギが出てきたんです。いきなり。それもすごくおとなしいの。
糞したり、どっか行っちゃったらどうすんだろう・・・ってすごき気になりました。
でも役者です彼ら。
それがこちらのAureliano in Palmiraのバックステージの動画で見られます。
Veronaでは像とか馬とか見たこと有るけど・・・かなり衝撃でした。
さて、カラカラ浴場に行くバスの中でガイドさんが話していたことを思い出して面白い話だったのでその話と、少し調べたことを織り交ぜて書き残しておきましょう。
RossiniはPesaro生まれ。
両親は共に音楽家、ということで芸術家家庭で育ったわけです。
音楽への興味だけではなく、彼の食に対する情熱も只者ではなく、子供の頃はよく教会に入り込んでお供え物(?)を食べていたとか。
そんなRossiniはオペラ作曲家として油が乗りに乗った44歳、37歳で発表した傑作「ウィリアム・テル」(これオペラなんだって初めて知った)でオペラ界から引退します。
引退してどうしたかというと、念願の食の道へ。
若いときはハンサムで浮名を流していたRossiniもこんなふうになっちゃいました。
余生はもっぱら料理の創作や高級料理店の経営に費やしていたそうです。
パリに招かれたロッシーニは、フランス国王シャルル10世の即位に際、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得ました。そのために経済的余裕がうまれ、食材に贅をつくす料理家、美食家としてその名を知らしめます。
ここからはWikipediaの引用
「フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」(ヒレステーキにフォワグラとトリュフのソテーを添えた「トゥールヌド・ロッシーニ」など)とは、彼の名前から取られた料理の名前である。彼はあまりにも料理が好きだったためか、料理の名前を付けたピアノ曲も作っている。晩年には淋病、躁鬱病、慢性気管支炎などに悩まされ、ついには1868年に直腸癌になり、手術を受けたが、それによる丹毒に感染して生涯を閉じた。
ロッシーニは従来は教会の儀式などでしか聞くことが出来なかった宗教音楽を、一般のコンサートのレパートリーとして演奏するように尽力した人物である。ロッシーニのこの分野での傑作である『スターバト・マーテル』も、実は一般のコンサートを念頭において作曲されたものである。」だそうです。
更にガイドさんの話ではRossiniは人生で3回だけ泣いたことが有るそうです。
3回しかないの?って感じですけどね。
1回はパガニーニのバイオリン演奏を聴いたとき。
これは分かる気がするなぁ。同じ音楽家だしね。
1回は自作のオペラの『セヴィーリアの理髪師』の初演の後
これは大失敗に終わってしまった為。
そして最後の1回はなんと
ピクニックに行った時、トリュフを詰めたチキンの丸焼きが河に落ちて流されてしまったからなんですって。
なんともしあわせというかあほらしいというか・・・
晩年彼は「ピアニストとしては三流だったけど、美食家としては世界一」と言ったとか言わなかったとか。
彼はこのFirenze、Santa Croce教会に眠っています。
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