また一週間が始まってしまいました。
何もしてないのに1週間があっという間に終わってしまう。
そしてあと数日で10月!?
月日の流れの早いこと、早いこと。
うかうかしていると卒論間に合わなくなるぞ~と思いながらも短い秋のひと時を有効に使うべく、今週は明日からしばらく巡礼(単なるフレスコ画巡りですが)に出るので、今週も恐ろしく早く終わってしまうでしょう、ということで月曜の朝からブログを書くことに。
というのも水道屋から連絡が来るかもしれないので、家で待機中。
今日来なければ、後は大家にアポ取ってもらうしかないので…早く来いよ!
さて、変なところで終わっているGrado編の続きです。
1939ー51年の間に行われた修復で579年もともと有った初期キリスト教の教会の場所に建てられた頃の原型に戻されています。
こちらの鐘楼はずっと後の時代のもので(15世紀)頂点には大天使の風見鶏(風見天使?)が付いています。(1462年)
中に入ると
床は一面モザイク
お隣のBasilica di Santa Maria delle Grazie同様、幾何学模様が多い。
そしてラテン語表記が多いこと…この上のやつはラテン語の知識があまりなくてもイタリア語と同じ単語なので分かります。
誰かを称賛しているんですが、残念!写真切れてます。(わざと?)
fecet?
fecitならイタリア語のfareということは誰かが何かをしたのか?
3人称単数、現在か過去完了。
ということは主語はどちらにせよ3人称だからVigilius→Vigilio
pedesは歩兵?
これも3人称単数だから主語になりえる。
あ~分からん、分からん。
ははは、こんなんでよく試験パスしたわ。
落ち着くわぁ。
モノトーンだけではなく、結構色もついています。
ちょっとこれは分からないけど…
モザイクは6世紀のもの。
ここのモザイクは図式や幾何学模様がビザンチン様式に非常によく似ている。
モチーフの一番卓越したものは海面の波の表現。
そして教会の床のモザイクには約40の碑文が残されていて、そこにはこのモザイクを作る費用を出した人の名前が書かれているので、当時の記録として著しい価値のあるものなんだそうです。
ということで先ほどのラテン語の碑文はたぶん「Vigilioという(名前の)人が25リラ(当時のお金の単位が分からないので適当に書いておきました) を出資してこのモザイクを作りました。」
ということになるんでしょうね。(間違っていたらごめんなさい)
教会の中で特に目を引いたのはこちら。
見たことない、こんな説教壇。
新しいものなのかと思って写真をあまり撮らなかったんだけど、こちら色々な時代の寄せ集めで。
柱はローマ時代のもの、福音書家のシンボルがついていて、ガイドブックには9世紀のものと書いて有るけど別のところでは11世紀と言っているものもある。(200年も差が有りますが?)
頭についているドームはムーア(人の)スタイルでカーブした三葉飾りのアーチはたぶんゴシック時代(14世紀)のものだろう。
後陣は
アーモンド形の中に入ったキリスト。
周りには福音書家のシンボルとMadonna, Santa Ermacora, San Giovanni Battista、San Fortunatoがいる。
フレスコ画は15世紀に書き直されたもの。
そして
後陣のモザイク。これは時代がかなり新しい。
後陣の周りに張り巡らされた壁
pluteoというんだけど、教会の祭壇、聖歌隊席の装飾的仕切り、大理石の柵。
ここに結構面白い彫刻が残されていることが多いんだけど
これねぇ、よ~く見ると面白いの。
一部に古いレリーフが残っている。
6世紀のものですって。
一部上から塗りこめられたような跡があるので、じっくり近づいて見て下さいね。
後陣に入り込むと主祭壇の上には
銀に金を施した祭壇画
ヴェネツィアの金細工Donato Mazzalorsaの傑作。
1372年にヴェネツィアからGradoに贈られた。
これはヴェネツィア金細工職人の十八番
有名なのはやはりSan MarcoのPala d'oro でしょうねぇ。
右の方に行くと一段下がった小さな部屋が
ここのモザイクもすばらしい。
う~んここで埒が明かないので、本棚の下に埋まっていた最強のガイドっブックを発掘。
少々脱線しますが…
有った有った、さすがです。この本。
Guida Rossaというイタリアでは最良、最強のガイドブックです。
これ昔新聞のおまけで毎週ついていた時確か12ユーロくらいだったので、全20州+RomaとかFirenzeは別で集めたんだけど…
何でイタリアのガイドブックってこうも写真や図がないんだろう…更に重いんだよ。
ということでほとんど開かない。
ということで本棚の下の方に押し込められていた。
これよりもオールカラーの
Mondadoriのガイドブックが好きなんだけど、こちらは品ぞろえが悪いんだよね。
そしてこれも決して軽いとは言えない。
日本のようにレストランやショッピングメインのガイドブックもどうなの?と思うんだけど、もう少しなんとかして欲しいわけです。
さっ、ガイドブックを引き出してきたので、行きましょう...と思ったら水道屋が来たのでここで再び中断…
そして復活直後に何のアクシデント?
最悪…
何故かこのあと1時間くらいでようやく書き上げたのに、投稿したらこれ以降の記事が消えてる。
ショックくくくくく・・・
あ~もう超がっかり。
何なのよ~
え~気を取り直してこれですが 後陣右脇の小さな部屋。
この真ん中のひときわ目立っているのがこの教会を建てたEliaのdiagramma(線図)で、HELIAS EPISCOPUS、司教エリアを意味しています。
一段低くなっているので、これが古い部分だとということが分かります。
というのも教会内に2カ所ほど穴が開いていて
現在ある教会の下に古いものが残っていることが分かります。
これで教会内は終了。
隣にあるLapidarioへ向かいます。
Lapidarioとは古い石碑を収蔵している美術館…ここは美術館とまでは言えないですけどね。
だってこんな風に屋外に無造作に置かれていますから。
一応ローマ時代や初期キリスト教時代の遺跡。
凝った柱頭。Ravennaみたい。
とにかくいっぱいあるので、端から端までゆっくり見てたら日が暮れる。
ということで気になるものだけ写真を撮って終わり。
教会の外へ
17時のバスまでまだ時間が有ったので、もう1か所見たい場所があるので、それを探しに海の方へ。
途中から磯の香りがしていたけど
出た~海。この夏(既に秋だが)初めての海だよ~
やっぱり海はいいなぁ~浜育ち。
たなびいているbandiera blu(青旗)は海がきれいな証拠。
砂浜の方に行っちゃおうかなぁと思ったけど、まず探しているものを。
やっぱり紙の地図がないと不便だわ…
と思ったけど何とかすぐに見つかった。
4世紀末から5世紀に建てられた教会と洗礼堂の跡。
モザイクと建物の基盤(?)が残っている。
結構きれいに残っている部分もある。
こちらは後陣の方だね。
柱の跡かなぁ???
ここの説明はGuida rossaに出ていなかった。
なんだ、全てを完全に網羅しているわけではないのね。
bandiera bluの説明
そして再び
残念ながらすっかり秋の海。
でもテトラポットの上で日焼けしている人結構いました。
向こうにパラソルが立った砂浜が見えるけど、そこまで行ってもねぇ…
ということで引き返して一杯。
おっここのgelateria並んでるけど美味しいのかな?
でもいかにも並んでいるの外国人観光客みたいだからやめた。
トイレにも行きたいからBarに行かねば…ということで発見したのがここ。
地元Friuliの白。
冷えてて、辛口でうまい。
こっちの方って本当に立ち飲み料金が安くて助かります。
立ち飲みなので、一杯2.5€。
座ったらいくらかは分かりませんが
この景色なら座ってもいいかなぁという気もしたけど、あまり時間もなかったし、これで良し!
お店はこの一番左。
バスターミナルに戻って来たけど、橋が見たくてちょっと散策。
この橋がイタリア本土につながっている。
自転車に乗る家族。
ここら辺は不便だからか、自転車の人が多かった。
そして17時を少し過ぎたところでバスがやって来た。
これに乗って約1時間、今晩の宿Udineに向かいます。
ということでUdine編は…また結構先になってしまうかも。
明日から行くところはどこも交通の便が悪く、山の上というところも多いのに、あいにく天気があまりよくなさそう…
てんこ盛りの予定だから、雨降ると困るなぁ。
完全に”保護”しているわけでなく、人と一緒に生活することで更に美しくなるのではないでしょうか?(なんて…)
イタリアではなかなか自分が知りたいことを完全に1冊の資料で網羅できないので、どうしても時間がかかってしまいます。一人でも多くの人に興味を持ってもらえれば何よりです。
いつか1冊にまとめられたらいいですが…
今日はこれから北へフレスコ画行脚へ行ってきます。また書くことた溜まっちゃいますね。(笑)