イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Pinacoteca Brera ブレラ絵画館

2016年05月31日 23時00分57秒 | イタリア・美術

今朝、カジキマグロの角(?)に靴下が引っかかって、抜けられなくなる、という変な夢をみました。
こんな夢を見たのは、今日が1年で一番ストレスのかかる日だったから。
海外で生活する外国人なら避けては通れない、移民局出頭の日だったんです。
ということで朝からストレス…という感じでしたが、何とか無事終了。
げんきんなもので、無事済んでしまえば、ストレスもどこかに行ってしまい、予想より早く終わったので、久しぶりに本屋に行ったりしていました。

あ~ちょっと本題に入り前に、さっき夕食を取りながら、テレビのニュースを見ていたのですが、北海道のしつけとして子供を置き去りにしたニュースがこちらでも流れていました。
イタリア人はこのニュースを見てどう思うんだろう???いや世界各国で話題になっていると言われていました。
キャスターはコメントは避け、最後に「無事見つかるといいですが、もう3日ですからね…」と言葉を濁していました。
親ではない私が何か言うのも何ですが、”しつけ”って一体なんなんでしょうね?
こういう親こそしつけがなってないと思うのですが…

さてさて、本題に入りましょうね。
って実は午前中に半分くらいは書いて有ったのですが…何でだろ?普通の人はもっとさらっと書けるのかなぁと最近特に思います。
結局Piero della Francescaの話は奥が深くて、一朝一夕には語れませんわぁ(と言って闇に葬ってしまうのは良くないのですが)、ということで行きついたのがBreraの話でした。

Pinacoteca Brera(ブレラ絵画館)に行ったのは何年ぶりだったんだろう???
もう一度学割で入れるうちに、と思ったのに、学割が使えなかった…というか私が悪いんですけどね。
「10年も学生?信じられない。何か証拠は?」と言われて、うっかり2月に卒業したと言っちゃったんです。
そしたら「卒業したらダメでしょう」と
卒業したって今年の学費は払ってるのに…でも半分だし。
で、泣き寝入り。って私が悪いんですけどね。
ということで、お金を払って入りましたよ。10ユーロ。
これが最後だからじっくり穴が開くほど見てやろう!

さてさて、なぜBreraに行こうと思ったのか、と言いますと

これ~
初めてPerugino,Rafaello子弟が描いた同じテーマの作品が並んで展示されているんですね。
PeruginoとRafaelloの師弟関係については疑問視される部分も多いのですが、これだけ似てればねぇ、オマージュってやつですか?
まぁコピーだったとしても、誰も訴えたりしませんけどね。

1504年にCittà di Castello (Pg)のSan Francesco教会のために描かれたラファエッロの”Lo Sposalizio della Vergine”(聖母の結婚)はこのブレラ絵画館に所蔵されています。
それに反してペルジーノの方は1501-1504年にPerugiaのDuomoのSanto Anello礼拝堂のために描かれたものですが、現在はフランスのMusée des Beaux-Arts di Caenが所有しています。
ということでこの状態で2作品を拝めるのは6月27日までなんです。

面白いのは、この2作品ともどもナポレオンによって接収された作品なんです。
以前も話したことが有ったと思いますが、Brera絵画館はナポレオンがイタリア各地から集めた美術品のうち、本国フランスに持っていけなかった作品の多くを収蔵しています。
このラファエッロの作品もその1枚。
ペルジーノの方はというとナポレオンに押収されて、1797年フランスに持っていかれてしまいます。
ナポレオンはこの作品を叔父の枢機卿 Joseph Feschに譲ります。
その後1845年にこの枢機卿のコレクションをノルマンディーのカーンの本屋のBernard Mancelが買い取りますが、彼の死後、1872年には地元の美術館に寄贈されます。
ペルージャ市の方では何度も作品を返して欲しいと訴えていますが、全然返す気配は有りません。
ということで今回この作品がイタリアに里帰りするのはなんと200年ぶり。
なんでも昨年末から今年の頭までCaravaggioのCena in Emmaus(エマオの晩餐)を先方に貸し出していて、そのお返しに貸してもらえたようです。
ちなみにこの作品は今東京に行っていますけどね。

作品のことを少し調べようと思って、昔買ったブレラ絵画館の日本語のガイドブックを読んでいたら
この絵は「若きラファエッロの最高潮の時期を示す作品である。この絵で、当時21歳だった画家ラファエッロはペルジーノに公然と賛辞を表すと共に、師の作品は突然古くなったように見え、ラファエッロ(が)決定的に超えられたことを示すのである。」
と有りますが… 少々疑問
当時ペルジーノの名声は不動のものでした。
既にシスティーナ礼拝堂にフレスコ画を描き(現在ミケランジェロの”最後の審判”が描かれていた場所にはペルジーノの作品が元々描かれていました)、彼の工房には沢山のお弟子さんがいました。
Vasari曰くその中に若きラファエッロもいた、というわけです。 
ただ、父から絵画の基礎を教わっていたラファエッロ、彼のたぐいまれなる才能故、既に教えることはなかったという話もありますけどね。
ラファエロのたぐいまれなる才能は絵を描くことだけではなく、他人の良い部分をうまく自分のものにするところだった、と誰かが言っていました。
師と言われたペルジーノからだけではなく、彼は同期のLeonardo da Vinci, Michelangeloからも美味しいところだけもらっちゃっているんですよね。
ラファエロは他の2大巨匠のように偏屈ではなく、誰からも愛される性格だったようで(女性にもすごくもてたというし)、うま~くこの偏屈なマエストロたちに近づいて行き、最終的には頂点に上り詰めてしまったわけですね。

この作品、確かに構図など非常によく似ていますが、似て非なる感じです。

こちらはペルジーノの作品。

これがラファエロ。
奥行き感の差などはさすがラファエロって気がしますけどね。
私が気になった大きな違いは聖母、Giuseppeの立ち位置。
ペルジーノは聖母が右、ラファエロは左に描いています。
これ以前に描かれた”聖母の結婚”を見ると聖母が右のパターンが多いんですよね。

ここで気になったのは例えば”キリスト磔刑図”の場合など、キリストの右側(見てる方からは左)に重要な人を描く、という決まりが有ったとか。
右と左では右の方が上っていうことで、この決まりはこれにも当てはまるのか?
う~んなんかそれに関する資料が見当たらないので、これ以上追及するのは控えます。

この2作品と同じ部屋に、時代的には全然新しい(と言っても1825年ですが)の作品がありました。

これはJean-Baptiste Wicarという新古典主義のフランス人画家の作品で、ペルジーノの作品がペルージャのDuomoから持ち去られて後に代用品として置かれたものだそうです。
でもこれはラファエロ同様聖母が左だ…?
う~ん気になる。

そうそう、この部屋にはPiero della Francescaの

Pala di Brera(ブレラの祭壇画)も有りました。
時間も有るのでしょうが、私一人この部屋に~という何とも贅沢な感じでした。

他にも

Gentile、Giovanni Belliniの”エジプトのアレキサンドリアで聖マルコの説教”の超大作。(347×770センチ)
ブレラ絵画館所蔵の作品の中でも、最大の作品の1つ。
この作品は1504年にGentileによって作成が開始されたが、1507年にGentileが死亡したことを受けて、弟のGiovanniが引き継ぎ完成に至った。

ちょっと気になったのがこれ

空飛ぶキリスト!?(失礼)
1469年、Cosme Turaによる、Cristo crocifisso(キリスト磔刑図)
前の作品とは対照的ですごく小さな作品です。(22×17センチ)
これは元々Constabiliコレクション(現在はロンドンのナショナルギャラリー)のSan Girolamo penitente(贖罪の聖ヒエロニムス)の描かれた板絵の断片です。
通りで小さいはずだ。
ロンドン所蔵の作品とこのブレラの作品を調査したところ、元の板絵には、1400年代聖ヒエロニムス信仰を考慮に入れると、たぶん”法悦の聖フランチェスコ”など、他にも人物が描かれていたと思われています。

そしてなんといってもこれ

遠くに見えているのは

これでした。
この部屋には大好きなCarlo Crivelliの作品が4点もあります。
今回ブレラを訪れたもう一つの理由は、もう一度しっかりCarlo Crivelliの作品を見ておく事でした。
この先日本に撤退してしまったら、「これ見たい」と言ってすぐ飛んでいけるわけではない。
そう考えるとやはり寂しいですね、仕方がないんですけどね。

Trittico di Camerino(カメリーノの三幅対祭壇画)

元々はこんな感じだったようです。
ブレラに保管されているのは
中央の聖母子像(Madonna col Bambino che stringe un fringuello) firmato
向かって左の聖ピエトロと聖ドメニコ(Santi Pietro e Domenico)
右の殉教者聖ピエトロと聖ヴェナンツィオ(Santi Pietro martire e Venanzio)
それにPredellaと呼ばれる、祭壇画下部の小壁板絵
左の大アントニウス、聖ヒエロニムス、聖アンドレア(Santi Antonio Abate, Girolamo e Andrea)
右のヤコブ、シエナのベルナルディーノ、ニコデモ(Santi Giacomo maggiore, Bernardino da Siena e Nicodemo)

その他上の段の
受胎告知の大天使ガブリエル(Arcangelo Gabriele)、マリア(Vergine annunciata)はフランクフルトのStädelに
キリスト復活(Resurrezione)はチューリッヒのAbegg-Stockarコレクションが所蔵しています。

中央の聖母子像には"OPVS CAROLI CRVELLI VENETI M48II" と作者のサインと制作年(1482年)と入っています。
記録が少ないCarlo Crivelliの作品の場合、このサインが作品の重要な決め手になっています…という話はしましたよね。 

この作品、是非とも実物を見て下さい。そうしないとこのリアル感がどうしても伝わらない。
というのもSan Pietro(聖ぺトロ)が持っている鍵が本物、というかなんと言えばいいんだ?絵ではないんです。
絵の中の宝石が本物、というのは結構あるけど、この鍵・・・すごいわぁ。
聖ぺトロはキリストから”天国の鍵”を預かります。
だから必ず彼の肖像にはシンボル(アトリビュート)として鍵が描かれています。
そのカギが立体なんですよここでは。
いやいやびっくり。

それから実は昨年末ドイツに行った時フランクフルトで見られなかったので、今年ボストンまで追いかけて行ったのがこの受胎告知でした。
勿論理由はそれだけではないですけどね。

これの隣に有るのが

Polittico del Duomo di Camerino(カメリーノのDuomoの多翼祭壇画)
おっとびっくり、じゃあ前の多翼祭壇画はどこのよ?と思ったらあちらはSan Domenico教会のでした。
この真ん中の作品はMadonna della Candeletta(小ろうそくの聖母)と呼ばれています。
こちらの中心にも彼のサインがKAROLUS CHRIVELLUS VENETUS EQUES [L]AUREATUS PINXITとあります。
Cavaliereの称号を受けたことを自慢していて、実は1490年にFerdinando d'Aragona(シチリア王のフェデリーコ2世)からCavaliere、騎士の称号を授かっています。
今でもこの称号って結構使われていて、某前首相はこの称号を付けて呼ばれることが多いですよ。
それはさておき、この騎士の表記は、この絵が1490年以降に描かれたという確実な証拠になるというわけですね。

この作品もナポレオンのせいで、元の場所からここにやってきました。
私は基本的に作品は、それが求められた場所に置いておくことに賛成です。
でもこのご時世、保存ということを考えるとこうして美術館に収められていた方が幸せなのかなぁ?と思うことも多々有ります。
まぁ美術館に収蔵されている作品でも、保存状態が決して良いところばかりではないのが実情ですけどね。

Politticoというからには当然この3枚で構成されていたわけではありません。

実際はこんな感じだったそうです。
ブレラに有るのは中央のMadonna della Candeletta...あれ?これだけのはずなのに???
向かって左の左半分が欠落しているSanti Pietro e Paoloと
右側のSanti Ansovino e GirolamoはVeneziaのGallerie dell'Accademia所有のはず。
あれ?もしかして得したのかな?
詳しい事情は探しあてられなかったけれど、どうやらVeneziaから一定の期間貸し出されているようです。
もしかして2002年から?2010年の展覧会の時は有ったもんね…

他のパーツは
Sant'Agostino, Avignone, Musée du Petit Palais
San Nicola, Avignone, Musée du Petit Palais
Santa Caterina da Siena, Avignone, Musée du Petit Palais
Santa Lucia, Avignone, Musée du Petit Palais
Sant'Antonio Abate, Denver, Art Museum
San Cristoforo, Denver, Art Museum
San Sebastiano, Denver, Art Museum
San Tommaso d'Aquino, Denver, Art Museum
San Francesco che riceve le stigmate, Portland, Art Museum
Beato Beato Ugolino Magalotti da Fiegni (?) Portland, Art Museum

以下の2枚はおひざ元に
Santa Caterina di Alessandria,Firenze, Museo Stibbert
San Domenico, Firenze, Museo Stibbert

あっ、しまった、見に行かなくちゃ、と思ったものの、2009年の展覧会のカタログを見たら一堂に揃ったところを見ていました。

これと

この2枚、というか3枚というか…
左は

キリスト磔刑図
これ”小ろうそくの聖母”と一緒にCamerinoのDuomoから来ています。
板絵のサイズや遠近法の使い方などからこの前に書いた多翼祭壇画の一部ではないかと考えられていましたが、最近の調査では大きさも合わないし、背景や絵の描き方も違うということでこの案はボツになりました。

片や右の方はこれまた豪華なんですよねぇ・・・

Pala di San Francesco a Fabriano(ファブリアーノの聖フランチェスコ教会の祭壇画)
勿論中心にCAROLVS CRIVELLVS VENETVS MILES PINXIT MCCCCLXXXXIII、完成年(1493年)とサインがあります。
ここではヴェネツィア出身で有ることを入れていますね。
この作品はこのサインからだけではなく、地元の公証人の記録も残っているそうです。
画家は1930年上の半月部分のPietà(ピエタ)とその脇の苦しむ人たち、戴冠の聖母とそれを囲む聖人たち、帯状装飾などの装飾、ここにはないけど下部の小壁板絵を描いて250ドゥカーティ支払われています。
最初作品完成までには2年の歳月が必要とし、その間画家には住むところ、食べ物、ワイン、暖を取るための薪が無料で支給され、画家はそれに満足していたそうです。
修道士たちは画家の腕を買っていたのは、この作品の前にLa Madonna col Bambino in trono tra i santi Francesco e Sebastiano(玉座の聖母子と聖フランチェスコとセバスチャーノ)

ええええ、ちょっと待って。この作品ロンドンのナショナルギャラリー所蔵になってるけど、なかったよ~
どこに隠してんだ?もしくはどこに出張中だったんだよ… 
く~まぁそれはさておき、この作品を主祭壇の脇に描かせていたからなんだそうです。
まぁだからと言って結局4年もかかった、ていうのはいかがなもんですかね? 
この作品はCarlo Crivelliの手によることが確かな最後の作品なんだそうです。

で、S.Francescoの祭壇の方は

元々こんな感じ。
この再構築は有名な美術史家Federico Zeriのもの。
ブレラに有るのは中心のIncoronazione della Vergine(聖母戴冠)とPieta(ピエタ)
そしてCristo benedicente(祝福を授けるキリスト)Sant'Onofrio(聖オノフリオ)の2枚がRomaのMuseo di Castel Sant'Angeloに。
そしてこちらは3月、パリで見てびっくり Santi Ludovico di Tolosa, Girolamo e PietroとSanti Paolo, Giovanni Crisostomo e Basilioの2枚がMuseo Jacquemart-Andréに
そして残りの San Bernardino da Siena, Sant'Antonio da Padova, San Domenicoはハンガリーのエステルゴム(Esztergom)のキリスト教美術館に有るそうです。

とまぁこんな感じで、ナポレオンに感謝ですかね?
これも私の独り占め。
近くに係員は居るけど、携帯に夢中で全然監視なんかしていませんね。
あ~もうこの部屋が欲しい。

また須賀敦子さんの話になりますが、「フィレンツェー急がないで、歩く街」というエッセイで
「美術館や展覧会に行くと、あ、これほしい、うちに持ってかえりたい、と思う作品をさがして、遊ぶことがある。見る焦点が定まっておもしろい。街中が美術館みたいなフィレンツェには、『持ってかえりたい』ものが山ほどあるが、どうぞお選びください、と言われたら、まず、ボボリの庭園と、ついでにピッティ宮殿。絵画ではブランカッチ礼拝堂の、マザッチオの楽園通報と、サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコすべて、それから、このところ定宿にしている、『眺めのいい』都心のペンションのテラス、もちろん、フィエゾレの丘を見晴らす眺めもいっしょに。夕焼けのなかで、丘にひとつひとつ明かりがついていく。そして、最後には、何世紀ものいじわるな知恵がいっぱいつまった、早口のフィレンツェ言葉と、あの冬、雪の朝、国立図書館のまえを流れていた、北風のなかのアルノ川の風景」(本文より引用) と書いていた。

すごく気持ちが分かって、思わずほくそ笑んでしまったのでした…私は早口のフィレンツェ言葉、更に強い訛りありはいらんな。
私だったらこの部屋が欲しいなぁ。
この部屋には他にもGentile da Fabrianoの作品も有ったしね。

とまぁそんなこんなで今回も長くなってしまったので(写真込みで1万文字を超えると読む方はかなり厳しいですよね)、この辺りでいきなりですが終了ということで…今日中に区切りがついて良かった、良かった。



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2 コメント

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読みごたえ (Leslie)
2016-06-02 14:26:49
読みごたえ満点、何度も繰り返し読ませていただきました。感激しています。ありがとう
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こちらこそ (fontana)
2016-06-02 21:11:23
Leslieさん

こちらこそありがとうございます。励みになります!
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