拙ブログを読んでくださる方の中には、ボッティチェッリのファンの方が多数いるようなので、今回もちょっとした情報を。
今週、9月10日からパリのMusée Jacquemart-André(ジャックマール・アンドレ美術館)で”Botticelli
Artiste et designer”という特別展が開かれるらしい。
作品数は彼自身や工房の作とされるおよそ40点と同時代の作品。
偉大な名前の割に、彼の軌跡には謎が多く、いろいろな研究結果の発表の場としての展覧会になるようだ。
来年1月24日まで。
美術館公式サイト(英語)
https://www.musee-jacquemart-andre.com/en/node/2207
美術館の公式サイトで出展作品を見ると、自由に旅ができない今の状況を心の底から呪う。
来年の1月じゃあ、どう考えても行けないし…
2016年に現地へ行った時は見られなかった「エジプト逃避」も今回は有るらしい。(日本に来てたのよね)
写真:https://www.musee-jacquemart-andre.com/fr/node/2205
ジャックマール・アンドレ美術館と言えばやはり日曜午前中のブランチ。
2016年に行った時の記事は珍しくちゃんと(なぜか写真が小さいが)残っていた。(こちら)
そして美術館内の話はこちら。
館内の話でも書いたが、この美術館はミケランジェロ作、という彫刻を持っている。
今回の特別展でフィレンツェのアカデミア美術館(Galleria dell'Accademia)が所蔵しているボッティチェリと工房の「トレッビオ祭壇画《聖母子と聖コスマス、聖ドミニクス、聖フランチェスコ、聖ラウレンティウス、洗礼者聖ヨハネ」(Pala del Trebbio ーMadonna col Bambino e i santi Domenico, Cosma, Damiano, Francesco, Lorenzo e Giovanni Battista)
写真:https://www.arte.it/notizie/italia/botticelli-pittore-e-designer-al-via-la-grande-mostra-a-parigi-18651
が貸し出される代わりに、ジャックマール・アンドレ美術館のミケランジェロ作の彫刻が12月からフィレンツェのアカデミア美術館で行われる特別展見られることになるという。
あ~、パリ行きたい、パリ行きたい。
パリじゃなくてもいい、箱根でも良いから行きたいよ。
とほほ…
参考:https://www.arte.it/
詳しい説明ありがとうございます。
非常に勉強になりました。
カタログレゾネで高く評価している聖ヨハネと聖ドミニクスについては、聖ドミニクスはボッティチェリ作の類似作品がないのでよく分りませんが、洗礼者ヨハネについては、類似作であるウフィツィの素描、コートールドの三位一体の聖ヨハネを比較すると、ウフィツィ素描、コートールド三位一体、トレッビオ祭壇画の順に質が落ちると感じるので、私はトレッビオ祭壇画の聖ヨハネも真筆のレベルまで達しているとは思っていません。ボッティチェリの描いた洗礼者ヨハネの真筆としてはウフィツィのサン・バルナバの聖母とベルリン絵画館のバルディ家の聖母に描かれた聖ヨハネがあり、これらはかなり癖の強い作風を示すので私は好きではありませんが、絵の出来は素晴らしいものであり、この2点やウフィツィの素描の聖ヨハネと比べると、トレッビオ祭壇画の聖ヨハネはやはり工房作だと感じます。
なお、上記のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコとボッティチェリの関係を示すもう1通の手紙は、貴ブログ記事「ミケランジェロの『ブルージュの聖母』-ベルギー」への5/8のコメントで書いたミケランジェロからピエルフランチェスコ宛ての手紙(眠れるキューピッドの件)をボッティチェリが取り次いだというものです(1496年)。ピエルフランチェスコはミケランジェロに眠れるキューピッドを古代彫刻と偽って売るようにそそのかした張本人であり、上記の金払いが悪い件と言い、この件と言い、ピエルフランチェスコという人物は芸術家のパトロンとしては少々問題がある人間かと思います。(5月の貴ブログ本文やミケランジェロの手紙からはロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコがキューピッド事件の張本人ではないように感じますが、ライトボーンの本では「ロレンツォの勧めに従って古代の作品と偽ってローマに売りに行った」としています。)
また、前コメントで書いたアカデミア・ショペラーティの件ですが、ホーンのボッティチェリとライトボーンのボッティチェリの巻末資料で原文を確認したらaccademia di scioperatiでした(delではなくdi)。日本語ではライトボーンの森田訳では「ぐうたら者の集い」、高階秀爾編のボッティチェリ全作品(中央公論美術出版2005)収録の鈴木杜幾子解説では「のらくら者のアカデミア」としています。サヴォナローラ処刑の首謀者の一人とされる人物(ドッフォ・スピーニ)がここに出入りしていたことなど、具体的な内容が書かれているので、このaccademia di scioperatiのことは単なる町の噂話といったことではなく、事実を伝えていると思います。晩年のボッティチェリ工房の実態を示す話であり、こういった場所でトレッビオ祭壇画も描かれていたということになります。
詳細な解説ありがとうございます。
当時は”下書き”を使って弟子がコピーを繰り返す、というのは他の工房でもやっていたので、本来は反転させる(左の人物の首が右へ傾いていれば違和感ないですから)べきところをそのまま写したかな?と考えていました。
まず、聖会話の登場人物に関して、「ルネサンス時代では人間らしい動きが出てくる」というfontanaさんのご説明、私も原則としてはその通りだと思います。そしてボッティチェリ工房のこの作品が何故皆同じ方向に首を傾げているか、私の結論は「ボッティチェリ工房の凡庸な弟子が師匠の原画をよく考えずにそのまま使ったため」です。
まず、手元にあるボッティチェリのカタログレゾネ(ライトボーン、ポンズ、マンデル=Rizzoli集英社版)を確認しましたが、この件のヒントになることは出ていませんでした。次に、この作品とともに2016年の都美ボッティチェリ展に出品された「モンテルーポの祭壇画」(図録No.60)がこの絵と大変よく似た作品であり、大きさ・年代も近いので、合わせて考えることとしました。
モンテルーポの祭壇画では、中央の幼児キリストがウフィツィにあるボッティチェリの真筆作品「サン・バルナバの聖母」祭壇画のキリストのコピーです。また、トレッビオ祭壇画の聖ラウレンティウス(ダルマティカの祭服を着て、火あぶりの殉教を示す鉄の網を持った聖人)とモンテルーポの祭壇画の同人物はほとんど同じ絵となっていて、これらの絵の基になった下絵の存在が想定されます。さらに、トレッビオ祭壇画の洗礼者ヨハネはウフィツィにあるボッティチェリの素描(洗礼者ヨハネ)やロンドン・コートールドの三位一体に描かれた洗礼者ヨハネに近いものです。
一方、ボッティチェリの真筆作品で聖会話の絵がどのように描かれているかを見ると、(トレッビオ祭壇画が1490年代頃の後期作品に対し)1470年頃の初期作品ですが、同じ聖コスマスとダミアヌスが描かれた絵として比較に都合がいいものがウフィツィにあります。この絵は聖母マリアとコスマスとダミアヌスの顔が後世に塗りなおされたとのことで、ボッティチェリらしくない表情となっていますが、それ以外の部分はヴェロッキョの影響を示すとても良い出来の作品であり、聖人たちの姿勢もトレッビオ祭壇画やモンテルーポの祭壇画のように横一列に並んで同じ方向に首を傾げるといった不自然な姿勢は取っていません。また、聖会話の絵ではありませんが、トレッビオ祭壇画よりも少し前の真筆作品として、上記のサン・バルナバの聖母やウフィツィの聖母戴冠(元サン・マルコ)が画面前方に聖人たちを並べていますが、これらの聖人も変化のある姿勢となっています。
トレッビオ祭壇画の人物について、ライトボーンのカタログレゾネには「この絵の下絵は多分ボッティチェリ。人物間の品質には著しい差異があり、少なくとも二人の手が認められる。ヨハネと聖ドミニクスが最も出来が良くて、真筆のレベルである。コスマスとダミアヌスはよく表現されているが、そこまでは達成できていない。他の人物は凡庸な工房の弟子によるもの」と書かれていました。
以上のことから、私はトレッビオ祭壇画やモンテルーポの祭壇画では、ボッティチェリ工房にいた凡庸な弟子が師匠からあまり指導を受けない状態で、ボッティチェリの原画のうちの各人物の部分を寄せ集めてそのまま使ったために、皆同じ方向に首を傾げるような絵になってしまった、と考えています。
なお、1490年代以降の晩年のボッティチェリについては、
あまり仕事がなかった(時代の変化についていけなかった)
ボッティチェリの工房は怠け者のアカデミーと呼ばれていた(accademia del scioperati、メディチ家のアカデミアをもじったもの)
1510年の没後すぐに、すぐ上の兄シモーネと甥のベニンカーザがボッティチェリの残した借金の額が多いことに憤慨し、相続放棄をした
ということが分かっています。
ルーベンスは手紙の中で、親方の描いた部分と工房の弟子が描いた部分の比率で絵の値段が違うことを書いていますが、ボッティチェリ工房でも親方が仕事をせずに弟子に任せてばかりいたのでは、収入が減って借金が増えたのも仕方がないという気がします。(昨年の西美LNG展に来ていた聖ゼノビウスの奇跡の絵は晩年作ですが、従来言われていたほど腕が落ちた絵ではなく、真筆だろうと思いました。それに比べると2016年の都美ボッティチェリ展に出ていた上記の2点の祭壇画やパリスの審判の絵はほとんど弟子が描いた絵だろうという印象を持ったことを思い出します。)
はじめまして。
コメントありがとうございます。
「トレッビオ祭壇画」はSacra conversazione(聖なる会話)スタイルで、聖母とキリストを中心に据え、両脇に聖人や作品のパトロンたちを配置し、会話をしているようなスタイルで、このスタイルの作品では登場人物が会話をしているように描かれています。中世からルネサンスに移行する過程で、絵画はより人間らしく、動きが出てくるので、頭を傾けたり上を向いたりするしている人もいます。
と答えを考えたのですが、それにしてもこの聖人たちはなぜみんな左に頭を傾けているのでしょう???
イタリア語の資料も2016年日本に来た時の図録も見ましたが、特に詳しい記述は有りませんでした。
もう少し調べてみようと思います。
「トレッビオ祭壇画《聖母子と聖コスマス、聖ドミニクス、聖フランチェスコ、聖ラウレンティウス、洗礼者聖ヨハネ」は、どうして頭を傾げているのでしょうか?
素人の単純な疑問です。
時々こんなポーズをとっている絵画を見かけますがいつもナンデ?と思っています。
どうかご教示いただけたら幸いです。
コメントありがとうございます。
そうなんですね、私はてっきり日本に来ていたのだと思っていました。ここには私も是非もう一度行きたいと思っています。
ベルガモはイタリアでも初期のコロナの死者数が多かった街で、当時は街の様子が一変していました。
アカデミアには修復後2度ほど行きました。町中にあるロレンツォ・ロットの作品を見ることが目的でしたが、中々見るものが多くて、こちらもまたゆっくり行きたいです。
アヴィニョンにはツアーで行ったことが有るのですが、初のヨーロッパで知識も全然なかったので、是非もう一度行きたいと思っています。
さて、同館の「エジプトへの逃避」は日本へは来ていないはずです。私もジャックマール・アンドレへは2、3回行っているのですが、この絵はまだ見たことがありません(よっぽど運が悪いのか)。最後に行った後には貴過去ログでご紹介のボッティチェリ?作 初期聖母子(入手当初はヴェロッキョ工房作とされていたもの)も購入しているので、次にパリへ行く機会があったら必ずジャックマール・アンドレには行くつもりです。
ご紹介の英語サイトを見ると、見たことのないボッティチェリ作品はマイアミの聖母戴冠(数カ月前にこの貴ブログ:クイエテの聖母戴冠 で話題になった作品)、シンシナチのユディト(ウフィツィの同テーマの別バージョン)、ベルガモのジュリアーノの3枚(+マニフィカートのコピーが1枚)です。ベルガモへは将来必ず行くつもりなので、私としては一生のうちに行けるかどうか分からないマイアミとシンシナチの絵を見たいと思います。マニフィカートの聖母のコピー作もちょっと面白いですが、それほど価値があるものではないでしょう。アヴィニョン・プチパレの聖母子は昔仕事でフランスへ行った時に、アヴィニョンのホテル(例の橋の近く)に泊まり、そのすぐ近くにこの美術館があったので、出張でアヴィニョン行きが決まった時は思わず「ラッキー!」と思ってしまいました(シモーネ・マルティーニのフレスコ画のシノピアも当然見てきました)。アヴィニョンは教皇庁があった場所なので、フランスでは最もイタリア的な雰囲気の町だと感じました。フランスで見られるボッティチェリ作品としては、パリ以外ではアヴィニョンとシャンティイの2か所です。