ヴァザーリ(Giorgio Vasari)の”Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori ”(画家・彫刻家・建築家列伝)のボッティチェッリ(Botticelli)の1550年版(通称Torrentiniana)を訳していて、2点気になる所が有った。
今日はその1つ目で、この部分。
Nella via de’ Servi in casa Giovanni Vespucci - oggi di Piero Salviati - fece intorno una camera molti quadri, chiusi da ornamenti di noce per ricignimento e spalliera, con molte figure e vivissime e belle.
これは1550年版でも1568年版(通称:Giuntina)でも文章は同じ。
私が持っている日本語訳は白水社の「ルネサンス画人伝」(1989年第8刷)と最近出たばかりの中央公論美術出版の「美術家列伝完全版第2巻」の2冊。
白水社ではこの部分を
「ヴィーア・デ・セルヴィのジョヴァンニ・ヴェスプッチの家ではーそれはいまではピエーロ・サルヴィア―ティの家となっているがー、一室のまわりに盛期溌剌とした美しい人物を何人も描いた図をたくさん作った。その図はくるみの木の枠が装飾用につけられていた。」
とある。(溌剌の「溌」は旧漢字)
また最新版でもある中央公論美術出版には
「セルヴィ通りのジョヴァンニ・ヴェスプッチの家(今日ではピエロ・サルヴィア―ティの所有になる)では、部屋の周りをぐるりと囲む腰板や装飾羽目板(スパリエーラ)のために、たくさんの生き生きとした美しい人物のいる胡桃の木の額縁で飾られた絵をいくつも描いた。」
となっている。
しかし、声を大にして言いますが、これはおかしい!!
これを訳した人は、絵画と額縁のこと全然わかってない!!
とちょっと文句が言いたい!!
まずこの文章を文法的に見ていくことに。
「サルヴィア―ティの家」までは文句はない。
その後、主語は書かれていないけど、これはSandro(サンドロ)だということは文脈とfeceという三人称単数の遠過去から分かる。(イタリア語は主語を省略できる)
fece、原形はfareでこの単語は非常に使い勝手が良い、英語だったらto doやto make、「~する」などと訳すが、この場合は「描いた」とか「作った」とか意訳で問題はない。
では何をか?
というとmolti quadri、「たくさんの絵画」だし、
どこに?
かというとintorno una camera、「ある部屋の周り」にということになる。
だから文章の骨組みはこう。
「(サンドロは)ある部屋の周りに沢山の絵を描いた」
そしてここから読点(コンマ、)で文は続く。
このコンマ(イタリア語ではvirgola)をおろそかにすると痛い目に合う。
コンマの役割は、坂本文法(現代イタリア語文法、白水社)によると以下のようになる。
「単なる休止を示し、語の休止および説の休止を示す。」のだが、このパターンは⑦の「説明説であってもその存在が不可欠でないような関係節を分ける。」
に当たると思う。
つまり、主文以外のコンマ以降は無くても話はつながる、ということ。
で、このコンマの中身は絵がどのような状態かという説明になっているわけだが、
まず最初のコンマ
chiusi da ornamenti di noce per ricignimento e spalliera,
まずchiusiはsono chiusi daということで、受動態。
sono(essere英語のbe動詞に当たる)がないのは、分詞の用法で、訳は「止められていた」となる。
daは「~によって」
ここでは胡桃材(di noce)で出来た装飾(ornamenti)によってということで、とりあえず意味が通った。
しかしper(~のために)がある。
この前置詞perは<目的>を表す「~のために」が良いだろう。
だから「ricignimentoやspallieraのための」となる。
従って「クルミ材の装飾の囲い(ricignimento)やスパッリエーレ(spalliera)に止められた。」
となる。
これが絵画を修飾するのだから、
「(サンドロは)ある部屋の周りにクルミ材の装飾の囲いやスパッリエーレに止められた沢山の絵を描いた。」
となるわけだ。
そして最後に残ったのが、con molte figure e vivissime e belle
これもコンマだから、絵画の説明。
molte figure「たくさんの人物」
vivissimeこれはvivoの最上級で女性形だからquadro(絵)ではなく、figuraを修飾していることが分かる、だから「たくさんの生き生きした人物」になり、最後のbelleも同様だから「たくさんの生き生きした美しい人物」になり、前置詞conがあるので、「絵の中に」描いたとなる。
だからこの文章は
「(サンドロは)ある部屋の周りに、クルミ材の装飾の囲いやスパッリエーレに止められた、たくさんの生き生きした美しい人物が描かれた、沢山の絵を描いた。」
となるわけだ。
ということで、白水社の翻訳はまだ許容範囲だが、中央公論美術出版の方は完全に間違っている。
ここまで自信を持って文句をつけるのはなぜかというと、「胡桃の木の額縁で飾られた絵」という部分が完全な間違いだからだ。
もっと言うなら「部屋の周りをぐるりと囲む腰板や装飾羽目板(スパリエーラ)のために」というのも駄目出ししたいところだけど…
何がおかしいのかというと、この原文では一言も額縁は出て来ない。
というのもこの時代、私たちが思い浮かべる「額縁」はほぼ存在していなのだ。
というと、「祭壇画にはついてるじゃん!」と言われそうなので、日を改めてそっちの話はする予定。
ここですると話が長くなるからね…既に長くなりそうな予感。
祭壇画は飾る場所柄、またその大きさから額縁が元々付いていたものが多い。
ただし、宗教画以外の絵画、プライベートな作品に「額縁」が付くのは1500年代末のころ。
この頃はまさに過渡期だった。
というのもそれまで板に描いていた絵がキャンバス(カンバス)に描かれることになった。
これも「額縁」が発展する一因となった。
じゃあ、絵をどうやって飾っていたのか?
そこに登場するのがSpalliera
Spallieraを検索すると、まず出て来るのは体育館で見かける肋木(ろくぼく)。
今も有るのかなぁ???
Spallaは「肩」とか「背中」という意味なのだが、Spallieraを辞書で引くと
1.(いすの)背、背もたれ
2.(ベッドの枕元及び足元の)板
3.樹しょう(カ術の幹や枝を支える棚)
4.(ボートの)より板
5.(体育用具の)肋木
6.(ヴァイオリン・ヴィオラ用の)肩あて
と出てきてあまりピンとこないのだが、例えば(ベッドの枕元及び足元の)板としてのSpallieraは、こちら。
これ、ルネサンス時代のベッド。
(写真・参考:https://affascinarte.altervista.org/vivere-nel-rinascimento-parte/)
フィレンツェスタイルで、非常にシンプル。
頭と足の部分がSpallieraで、2つないし4つのCassone(カッソーネ)で囲まれていたらしい。
カッソーネについては続きでどうぞ。
もしくはこちら。
これ、トスカーナ特有の長持ち、Cassone(カッソーネ)とSpalliera
写真は2016年ロンドンのCourtauld Gallery(コートールド・ギャラリー)で見たもの。
ここ、嫌な思い出が有るのよねぇ…
ここから悪夢が始まった。
実はここを訪れた時、ロンドン旅行の最終日、お腹に来る風邪に襲われたみたいで、何を見たのかより、トイレに何度駆け込んだか、という思い出が強くて…残念でなりませぬ。(美術館はどの国もトイレがきれいで良いんだけど)
あの時丁度ボッティチェリの特別展をやっていた。
カッソーネとは
”14~16世紀のイタリアで製作された婚礼用長持。通常外面には浮彫や象眼細工が施され,絵で飾られているものもある。しばしば結婚の贈り物にされた。伝統的には2セット作られ,それぞれに新郎,新婦の家紋が描かれた。ウッチェロ,ボティチェリ,アンドレア・デル・サルトなど,イタリア・ルネサンスの主要な美術家の手に成るものも少くない。”(引用:ブリタニカ国際大百科事典)
この写真のカッソーネは1472年9月Lorenzo MorelliがZanobi di Domenicoに注文、 Morelliは1組に対しフロリン金貨21枚支払った。
半年後、Jacopo delSellaioとBiagiod’Antonioが表面の装飾を手掛けた。
ロレンツォは、Vaggia Nerli(ヴァッジャ・ネルリ)との結婚のためにこのカッソーネを作られた。
(詳細はこちら)
カッソーネに関しても、日を改めて特集(?)したいと思ってはいる。
やばいやばい、勉強する事いっぱい有るじゃん。
とりあえず、この中に衣類を入れたりしていたから、衣装ケース兼ベンチとしての役割を果たしていたカッソーネにはこのようなSpalliera、つまり背もたれが付いていたことが有った。
現在このカッソーネように描かれた絵が、衣装ケースから外されて保管されている。
例えばここのところ話題になっているFilippino Lippi(フィリッピーノ・リッピ)のLa Morte di Lucrezia(ルクレツィアの死)現在Galleria Palatina(パラティーナ宮)所蔵。
これはルーブルにある「聖母の物語」と共にもとはカッソーネだったと考えられている。
また
これもカッソーネだと思われているフィリッピーノの作品だが、こちらには額が付いている。
フランスのChantilly(シャンティイ)にあるコンデ美術館にある「アハシュエロス王によって選ばれたエスター(Ester scelta da Assuero)」
額はこの絵の為の物ではないし、後世のものだろう。
それにしてもフィリッピーノが多くのカッソーネを手掛けていることからも分かる通り、カッソーネは当時重要な絵画の媒体だったのだ。
しかし、ヴァザーリの言う、ボッティチェリ伝にあるSpallieraはこれではない。
じゃあ何か?
Domenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)がSMN(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)に描いたこの図。
この背後に見える、壁に貼りついているのがSpalliera。
もしくはヴァチカン図書館に有るもの。
現存するSpallieraには大抵象嵌細工がはまっていることが多い。
San Miniato al Monte(サン・ミニアート・アル・モンテ教会)の聖具室。
絵画がはまっているSpallieraというものは現存しないので、これらから想像するしかないのだが、こういう枠の中に絵をはめ込んで飾っていたと考えられている。
まぁ、額縁と言ってしまえばそうかもしれないんだけど…
とここまで来て、今日もかなり書いてしまったことに気がついた!
ということで、Spallieraの役割などなどは次回のお楽しみ。
今回、別に大先生の翻訳のあら探しをしたかったわけではない。
ただ、翻訳には言語能力だけではなく、色々な知識が必要で、それだけ”正しく”訳すことが大変だということを分かって欲しかっただけなのです。
だから「1ページだから簡単でしょう!」とか言って、翻訳料をケチらないで下さいよ~!!
朝日グラフ別冊美術特集西洋編4「ボッティチェリ」掲載、1988年6月発行
「また彼はセルヴィ通りのジョヴァンニ・ヴェスプッチの家(今日ではピエロ・サルヴィアーティの所有になる)で、部屋の中をぐるりとかこむ腰板や背板のために、たくさんの生き生きとした美しい人物のいる、くるみの木の額縁で飾られた絵をいくつも描いた。」
央公論美術出版「ボッティチェッリ全作品」掲載、2005年11月発行
「ヴィア・デイ・セルヴィのジョヴァンニ・ヴェスプッチの家―今ではピエロ・サルヴィアーティの所有であるが―の一室のまわりに、生き生きとした美しい小さな多数の人物を描いた多くの絵を制作した(注18)。その用途は部屋の周囲に取りつけた背もたれ〔スパリエーラ〕で、クルミの縁がつけられている。」
(注18) 図115、116≪ウィルギニアとルクレツィアの物語≫と思われる。
訳者名については、11/14貴ブログ「VasariのBotticelli伝Torrentiniana版)」のコメント(Re:引用ではありません11/19 01:07)をご覧ください。
図115はベルガモのアカデミア・カラーラ所蔵、図116はボストンのイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館所蔵のボッティチェリ作品
朝日グラフ別冊1988年発行の方は、今回本文に取り上げている中央公論美術出版美術家列伝完全版第2巻とほぼ同じ文章です。
ボッティチェッリ全作品2005年発行の方は、白水社版(初出は美術出版社ボッティチェㇽリ1968年)に近く、後半部分が少し変えられています。
これら4つの日本語訳は(美術出版社)白水社版―ボッティチェッリ全作品の系列と朝日グラフ別冊―中央公論美術出版美術家列伝完全版系列の2系統のようです。
いつも長文を書き込んでいただき、詳細を教えて頂きありがとうございます。非常に参考になりました。
個人的には白水社は語学書なども多く扱っているせいもあるでしょうが、平川祐弘氏は文学が専門ということで、原文にしっかり忠実に訳されているのではないかと思いました。
完全版は注が多く、情報量は多いですが、それはやはりページ数や金額に糸目は付けない(助成金が出ていますしね)せいでしょうね。しかし全部を読んだわけではありませんが気になる所も多いです。これは森田氏(本人か弟子かは分かりませんが)ですね。この方ルネサンスの専門家ですよね。意訳は必要ですが、ここでは「額縁」という単語は出て来ないし、確かにこののちスパリエーラは作られなくなり額縁に移行して行くのですが、ここではきちんと訳して欲しいと思うのは、私がここら辺を専門としているせいでしょうか?
鈴木杜幾子氏の翻訳は”per”を「その用途は」と訳すなど、苦労しているのは分かるのですが、やはり当時の室内装飾に関する知識が足りないと感じてしまいます。
専門書の場合、今までは新しい訳書の方が優れている(日本語の言い回しが古く分かり難いという点も有りますし)のではという先入観がありましたが、こうして比べてみるとそうとは言えないんだなぁ、と改めて考えさせられました。
日本の古典の現代訳などもそうですが、同じ本でも訳者が違うとここまで違うんだなぁ、と改めて思いました。