「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がひところ流行っていたが、私は地図が読める方だと思う。
特技は一度通った道は忘れない、一度行った場所にたどり着けないことはない。
ただ、最近Googlemapを使うようになって、道に迷うことが増えた気がしてちょっと困っている。
人間楽をしたら退化するということだろうか?
そんな私だがフィレンツェに約10年いたのに、通りの名前がなかなか覚えられず、イタリア人の友人たちによく呆れられていた。
イタリアでは(外国はだいたい)どんな細い通りにも大抵名前が付いていて、イタリア人は本当によく覚えていて感心する。
しかし、私は…
主だった通りの名前はさすがに憶えているけど、細かいのは分からない。
どちらかというと「××銀行の有る通り」とか目印を言ってもらえれば分かるんだけど…
ってイタリア人に言うと不思議がられる。
よく知っている通りも、名前言われても全然ピンと来ないのよねぇ。
だから「子守歌」という名前の通りがどこに有るのかも全然知らなかった。
その通りはここ。
写真:Wikipedia
フィレンツェを一度でも訪れたことが有る人なら、きっと通ったことがあるのでは?
ちなみにこの写真の左の切れた辺りに両替屋が有るけど、ここはフィレンツェで一番レートが良い。
このウフィツィ美術館(Uffizi)とヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)の間を走る道が「子守歌」通り。
いや、via della Ninna(ヴィア・デッラ・ニンナ)というのだが、ninnaとは「ねんね」などと訳すいわゆる赤ちゃん言葉で、ninna nannaで「子守歌」のことを指す。
何でそんな名前が付いたのかというと、ここに元々有った教会に有った絵に由来しているとか。
実は夏から持ち越していた宿題を片付けようと調べていたところ、ある記事が目に入ってしまい、結局宿題はまた先延ばしに。
Uffizi. Riapre al pubblico, dopo il restauro, una parte della chiesa medievale di San Pier Scheraggio
「ウフィツィ、修復後、中世のSan Pier Scheraggio(サン・ピエル・スケラッジョ教会)の一部を一般公開」と有る。
はて、San Pier Scheraggioとは?
ということで調べたところ、この通りに行き当たった。
この辺り、昔はこんなだった。
写真:Wikipedia
これはランツィの回廊(Loggia dei Lanzi)からの眺めで、左の建物はヴェッキオ宮殿。
右に教会が、有ったのだが、1410年via della ninnaを広げるため、教会の左側の身廊が取り壊された。
更に1560年ヴァザーリ(Giorgio Vasari)によって教会に現在のウフィツィ美術館が貼りついて、今の形になった。
写真:Wikipedia
そんなこんなで残った教会がこれ。
左側廊と身廊の間に立っていた柱とアーチ。
ちなみに中央右に見えるプレートにはダンテ(Dante Alighieri)の言葉が刻まれている。
Avanzi e vestigia / Della chiesa di San Piero a Scheraggio / Che dava nome ad uno dei sesti della città / E fra le cui mura nei consigli del popolo / Sonò
「San Pier a Sceraggioの名前は6つに分けられたうちの1つの街の名前を残している」と有り(現在は4つに区画されている)、ヴェッキオ宮に移るまでは純粋な宗教施設としてだけではなく行政機関としての役割も果たしていたらしい。
ダンテはここによく通っていた。
教会の名前は、どうやら近くに流れていた「下水道」から来ているらしい。
ローマ時代には既に城壁が作られ、下水道はなくなったらしいのだが。
教会は1068年献呈され、内部には通りの由来ともなった「Madonna con il Bambino Gesù addormentato in grembo(膝の上で眠る赤ちゃんキリストと聖母)」が有ったというのだが、それがチマブエ(Cimabue)作か?とか、そうではなくMaestro di San Martino alla Palmaが1340年頃に描いたものでは、とか。
他にもある文書には”Madonna del Cantone”という作品が”della Ninna"になったとあり、この作品は楕円で、その周りを小さな宗教的なシーンを描いたものが飾られていたともある。(Notizie Istoriche, Richa)
残念ながらこの記録には作者が言及されていないので、それが上記どちらかの作品なのか、はたまた第三者か定かではない。
聖母像が有ったことは確かのようで、”Madonna della Ninna"(ニンナの聖母)と親しみを込めて呼ばれていた、ということで全く別の説もある。
それによると聖母は子どもを寝させるような図ではなく、2人の天使が聖母に戴冠する図だという。
”Madonna della Ninna”は「子守歌」から来ているのではなく、Compagnia della Ninna、ニンナ組合の注文で作品が製作されたことによる、という説である。
どちらかというと後者の説が有力。
というのも1781年ウフィツィ美術館はこの教会からある聖母像を入手していて、その作品が”Madonna della Ninna"の名で1959年から展示されている。
写真:Fondazione Zeri
ウフィツィ美術館の公式カタログにもちゃんと出ていた。(1340年にMaestro di San Martino alla Palmaに描いたとして。)
はて真相はいかに?
ちなみに同じころ、同じ場所からウフィツィに収められた作品が有る。
コジモ・ロッセリ(Cosimo Rosselli)の「サン・ピエル・スケラッジョの聖母(Madonna di San Pier Scheraggio)
ninnaはさておき、1971年からこの旧教会の唯一残った身廊部分は時々公開されていた。
私も数回中に入ったことが有るが、当時は今ウフィツィ美術館内のボッティチェリ(Botticelli)の部屋に移されたフレスコ画の「受胎告知」
写真:Uffizi
カスターニョ(Andrea Del Castagno)のフレスコ画
ポライオロ(Pollaiolo)の le Virtù (徳)などの作品が飾られていて、現代美術の特別展などの会場として使われていた。
実は今日の本題はここから。(笑)
で、この旧教会スペースが修復され一般に公開される運びとなった、というのが最初に書いた気になった記事のお話。
以前の面影ないし、こんなに狭かったかなぁ…というのが正直な感想だが。
このガラス張りの床は、San Pier Scheraggio教会が建つ前に有った教会の後などが見られる。
これ話し始めると長くなるので、一言だけ。
大聖堂の地下の遺構、ヴェッキオ宮地下の遺構、そしてこことフィレンツェの街にはローマ時代などの遺構を見ることが出来るスポットが有る。
写真:https://museoarcheologiconazionaledifirenze.wordpress.com
例えばSan Pier Scheraggio教会の地下にはロンゴバルド時代の教会のアプシス。
フレスコ画の断片も残っている。
この部屋が10月3日、聖フランチェスコ(San Francesco)の日を記念しての再オープンになったのは、教会に残されたこの断片のせい。
そして現在聖フランチェスコに敬意をこめた特別展が開催されていて、嬉しいことにネットで見ることが出来る。
https://www.uffizi.it/mostre-virtuali/san-francesco
ウフィツィが所蔵するフランチェスコに関する20枚のイメージと説明などで構成されていて、アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto)やエル・グレコ(El Greco)の作品なども有る。
この部屋に入ってフレスコ画などを近くに寄ってみることは現在出来ないし、ウフィツィ美術館の拝観コースにも含まれてはなく、特別な機会の時しか入れないとのことだが、ゆくゆくもっと広く公開してくれればと切に願うばかりだ。
参考:http://www.artemagazine.it/restauri/item/11805-uffizi-riapre-al-pubblico-dopo-il-restauro-una-parte-della-chiesa-medievale-di-san-pier-scheraggio
http://www.virtuteconoscenza.it/la-chiesa-dimenticata/
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航空会社は、路線縮小、従業員削減と、再開した時のスタッフは確保できるのかという心配もあります。イタリアやその他ヨーロッパの国々に観光で行けるのはいつになるでしょうか。
イタリアやその他の国からのオペラ劇場の引っ越し公演やオーケストラの公演も当分、ありそうもないですね。
そうですね、イタリアも再び感染者が増加しているようです。状況が良くなっても、航空券がとても高くなったりしたら、容易にはいけないですしね。来年中くらいにはまた行けると良いのですが…
カンサンさんは秋を満喫していますね。金木星の香りが匂ってくるようです。