イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Museologia(博物館学)-その2museoの成り立ち

2014年01月28日 23時28分39秒 | イタリア・大学

昨日なぜかとってもPCの調子が悪くて、この記事しっかり&たっぷり書いたのに、なんか半分位消えてしまって・・・
ホント悲しい。
何だったんだろう???
もしやウィルス?
今日は普通にいい子に戻っています。
反抗期?
仕方がないなぁ、気を取り直して書き直しましょう。

Museo(博物館のことですがあえてmuseoという単語をそのまま使うことをご了承ください。)に絵画や彫刻を見に行く時、それらの作品がmuseoにたどり着いたいきさつや、その作品の背景、歴史などを考えたことがありますか?

最近でこそ、博物館や公共のスペース、特定の場所のために作品が作られることはありますが、かつて作品は博物館のために作られることはありませんでした。
じゃあどうやってmuseoはできたのか?
イタリアの場合、museoの原点にはcollezionismoと呼ばれる王族、貴族、知識人そして法王など権力者のコレクションが有ったんです。

人間はいつの時代も、何かを収集したいという気持ちを持っています。
かくいう私もそうだし、皆さんも何か1つくらい集めているものがあると思います。
人間には”所有欲”が有るからなんですね。
それは他人が見たらホントどうでもいいものから、不思議なもの、綺麗なもの、高価なものも取るに足らないものの、宝石からごみまで・・・
何を集めたいか、なんていうのはその人次第。
ただ集めたものは何処かに保管しておかないといけないですよね。
そういう理由で最終的には博物館ができるわけですが、そこまでたどり着くにはまだ数世紀かかります。

ローマ時代、個人のコレクションはこっそりと自分もしくは本当に親しい人だけが見ていたのですが、
広場などの飾られていた彫刻は公のものと考えられていたそうです。
こういうところからもローマ人の懐の深さが読み取れる気がします。
そしてこの”公の財産”というローマ人の概念は、この先のmuseoの歴史にとって1つの鍵になるので、ちょっと覚えておいてくださいね。

日本でも状況はさほど変わらないなぁ、と思ったのは昔、大学の研修旅行で金比羅山に行った時、ある博物館に人魚のミイラがあったの思い出したからなんです。
なんでこんなところに人魚のミイラ???
本物か偽物か、そんなことはどうでも良いわけ。
東西問わずそういうものを集めたくなるのは人の世のならいなのか?
そして中世、そういうものを保管しておける場所というのは、支配者層のお金持ちのお屋敷と教会だけだったわけです。。

ちょっとこの写真をご覧ください。

ちょっとグロい。
空飛ぶワニ、ではありません。
実はこれ神聖な教会の中なんです。
ふざけているわけでも、いたずらでもありません!
これはSanta Maria delle GrazieというMantova近くの教会の天井からぶら下がっているワニの剥製。
現在もぶら下がっているそうです。

何でこんなものが教会に?と思いますよね。
教会には色々な物がいろいろな人から寄贈されるわけです。
こういう神秘的な、エキゾチックな物は宗教とは全く関係なくても教会も集まってきたようです。
なぜなら、他に保管する場所がない。
そして教会は信者でも信者でなくても唯一自由に出入りできる場所で、こういう変なものも、貴重なものも、唯一万民が見られる場所だった。
もちろん信者だけにしか特別に、特別な日にしか見られないものもあったわけですが、それらはTesoro(宝物)として厳重に保管されていたりしたわけです。
何世紀経っても外そうとしないところもすごいと思うんですが・・・

ところが1100年位になると、そのごちゃ混ぜだった教会のコレクションにも変化が訪れます。
イタリアではないのですが、その筆頭はなんと言ってもSuger(シジェール)
フランスのサン=ドニ修道院の院長。
一度サンードニには行ったことがあるので写真を探したのですが、みつからん。
う~んどこに行ったんだ?日本かしら?
ということで拝借

パリ市内から電車で30分位だった気がするんですけど・・・
フランスゴシック建築の祖とも言われております。
そうそう、確かステンドグラスが綺麗だったような・・・

さてそのステンドグラスですが、ゴシック建築ではこのステンドグラスがすごく発展します。
有名どころではやはりフランス、シャルトルですかねぇ。
こちらはまだ行ったことないのよねぇ・・・

なぜか?
それは第1に建築技術が向上して、天井は高く、壁は薄くなったので窓が作れるようになります。
当時ろうそくしかなかった教会内にできるだけ明かりを取り入れようということで窓は大きく作られるようになるわけです。
そしてもう1つ。
ガラスには神秘性がモザイクやフレスコより有るんですねぇ。

教会内にはモザイク、フレスコ画で聖書の場面が描かれています。
なぜだか分かりますか?
これは字の読めない人たちに聖書を理解してもらうために描かれたものでbibia pauperumと呼ばれています。
だから私たち日本人にも分かりやすいはずですよ。
これがステンドガラスでも描かれるようになるんです。

むかしむかしアンジェラという少女がFoligno(Umbria)にいました。
(だから名前はAngela da Folignoって言うんですけどね。)
彼女がある日教会を訪れ、祈りをささげていると、なんとキリストの姿が現れたのです。
この現象はmisticaと呼ばれ、よくある話。
彼女は昨年聖人になったようですが、敬虔な信者という証なんでしょうねぇ。
本当に幻覚が見えたかはさておき、
現代では実は彼女は「スタンダール症候群」だったのでは?とも言われています。

スタンダール症候群はここFirenzeが発症の地。
私も昔「スタンダール症候群にならないようにね」と言われたことがあります。

スタンダール症候群とは
スタンダールが1817年にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂を訪ね、ジョットのフレスコ画を見た際に、至福感とともに激しい動悸に見舞われ卒倒しそうになった経験を著書「イタリア紀行」に記しているが、フィレンツェを訪ねる観光客に同様の症状が多く見られることから、1979年にイタリアの心理学者が命名した。スタンダールシンドローム。
原因は解明されていないが、壁画や天井画などを鑑賞するために長時間首を反らせることで頸部の動脈が圧迫され、脳への血流が一時的に阻害されるために起こるとも考えられている。
美術的・文化的価値の高い芸術作品を鑑賞した人が動悸・めまい・失神・錯乱・幻覚などの症状を呈する心因性の疾患。

ということで彼女も上を向き過ぎだったのでは?
さて話をサン=ドニに戻しましょう。
Sugerは教会の外側だけでなく、内部には高価な、すばらしい物を収集始めます。
このサン=ドニ修道院はフランス王家と密接な関係があり、修道院内には歴代王やその家族の墓があります。
ということでお金はあるわけですし、教会と王家の絆という点でも、このサン=ドニ修道院の存在は非常に重要でした。

このSugerが活躍した丁度同じ時代、同じ宗教人なのに彼とは全く逆の立場を取り、またキリスト教発展のために多大な貢献を果たした人物がいます。
San Bernardo di Chiaravalle
(クレルヴォーのベルナルドゥス・・・って同じ人物、場所とは思えないくらい読み方が変わるなぁ)
彼は清貧を貫いていた。
だから彼はSugerのコレクションに最初は拒否反応起こしていたのだが、後に収集の目的が、信者の獲得だと知ると態度が変わるんですよねぇ。
この時代信者獲得にとても力を入れていたので、立場、やり方は違っても許されたんでしょうねぇ。
Sugerはすばらしい、貴重なコレクションを信者に見せることは、それらを見た信者たちの注意を引きつけ、それらのすばらしい収蔵品が神の世界を髣髴させ、死後その世界に行きたいと思うことができる、だから信者になろうという意図を含んでいたようです。

そして時間は少し進んで1200年代。
教会以外のコレクションはどうなっているかというとこちらも少しずつ変化してくるわけです。
いつまでもワニの燻製、じゃなくて剥製を集めてる場合じゃない!!
そこで登場するのがこれまたフランス、ベリー公ジャン1世(イタリアではGiovanni duca di Berryと)
彼のコレクションで最も有名なのはこれでしょう。

ランブール兄弟作の『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』
ジャン1世が作らせた大変豪華な装飾写本。
時祷書とはキリスト教徒が用いる聖務日課書で、祈祷文、賛歌、暦などからなる。私的なものであり、各人が趣向をこらして作成することがあった。中でも「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は国際ゴシックの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い。

ジャン1世のコレクションは非常にすばらしく、芸術家のパトロンとしても有名なんですが、そのコレクションのための出費のせいで、彼の領地内では重税に苦しめられていたそうです。(彼の死後緩和されたそうですが)
ここら辺からコレクションに収集者の好みが如実に反映されるようになって行くようになって行きます。

ということでようやく昨日書いところまでたどり着いたので、続きはまた次回。



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