イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ブリューゲル展

2018年01月26日 17時27分26秒 | 展覧会 日本

寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?
昨日、その寒さの中、先日23日より上野東京都美術館で公開が始まった「ブリューゲル展」に行って参りました。

実はこれ、数年前にRomaで見てるはずなんですよね…全然思い出せない。ん?ボローニャか?どちらも見たけどな。
見終わった今でも、「本当にこれ見たのか?」感が否めません。

平日、そして開催したばかりということで、それほど混んでないのは良いですね。
昨年の「バベルの塔」、ブリューゲル続きますね。
日本でもまだまだマイナーかと思っていましたけどね。
大作はなく、すべてが小ぶりなのに柵が結構遠くに張られていて、作品に近づけなかったのが残念です。
まぁ、単眼鏡を忘れた私が悪いんですけどね。

今回の展示はブリューゲル1世に始まる、ブリューゲル一族の作品を一挙100点を公開。
そのほとんどは日本初公開なんですって。
個人的にはもっといい作品あるけどなぁ…と思ってしまいますが、それはやはり現地に行かないとね。

今回私が気になったことを2点だけどここに書いておきます。
まず初めはこれ


どう考えてもこれ、見たことないと思うんですよ。
ブリューゲル1世から見るとひ孫にあたるやん・ファン・ケッセル1世の作品で、これ大理石の上に描かれているんですよ。
このリアルな昆虫たちもすごいですが、大理石の上に描かれた油絵なんて、もしかつて見てたら記憶に残ってないはずないと思うんだけど…自信ないけどね。
ちなみにこの作品が展示されている会場の2階は2月中旬まで撮影が可能です。

まるで標本みたいにリアルですよね。
専門家曰く、大理石に描くことで、蝶の透明感が際立たせているようです。
更に中には新大陸からやって来た珍しい種類のものも描かれていて、画家の知識の深さを思い知らされる作品となっています。

今まで知らなかったんだけど、ブリューゲル一族は銅板や大理石などにも絵画を描いていたんですね。
イタリア絵画には私が知る限り(という非常に数少ないものですが)そんなのない…と思うんですけど。
このような支持体は板やカンヴァスに比べれば高価だったと思うんですけど、それでも敢えて使う理由ってなんなんだろ?
勿論そんな高価な支持体を使えるということは、相当お金持ちが注文主だったことは容易に想像がつきますけどね。
カタログに特集記事が有りました。

カンヴァスが使われるようになったのは15世紀、本格的に使用されるのは16世紀以降のことで、それまで支持体のほとんどは板でした。
板は大抵その土地のものが使われ、イタリアではポプラ、フランドルを含むネーデルランドでは主にオークが好んで使われていました。
板を使用する時は、下処理に石膏を塗っていたため、非常に重く、持ち運びの問題やカンヴァスの方が安価だったことからイタリアでは次第に板からカンヴァスへと支持体は移行していきましたが、ネーデルランドでは16世紀に入っても相変わらず主流は板でした。(17世紀に入っても板は結構使われています)

あ~ここで間違い発見!
なんと銅板を支持体に油彩画を描いたのはイタリア人が最初でした。
それもセバスティアーノ・デル・ピオンボとかコレッジョ、パリミジャニーノなど有名どころじゃないですか!!
1520年から30年代に銅板油彩画を制作したことが、いくつかの資料から分かるそうです。
ということは、これは現存しないのね。
現存する作品は1560年代にヴァザーリやブロンズィーノがフィレンツェで描いているそうです。
あれ?どの作品だろ…
とにかく無知ですみません。

その銅板画の技法がネーデルランドに持ち込まれ、最盛期を迎えたのが16世紀末から17世紀。
代表作家がヤン・ブリューゲル1世なんだそうです。
彼はローマに滞在していた1590年頃から銅板画を描き始めたそうです。
彼の手掛けた388点の作品のうち、実に半数近くの177点が銅板画なんだそうですよ。

この「水浴する人たちの風景」他5点が今回の展覧会に出展されています。

こちらは息子のヤン・ブリューゲル2世の作品。(「愛の寓意」)
88×104cmとかなり大きい銅板に描かれています。
息子の銅版油彩画も3点出展されています。

なぜ銅板が支持体に選ばれたのか、という点も詳しく書かれていました。
それは16世紀に入って圧延技術が完成し、銅板を均等に伸ばすことが出来るようになったことや、銅の色が下地として活用できたことなどを上げることもできますが、一番の理由は
”細密描写を必要とする小型絵画において、銅板が細かな筆さばきや油絵具の輝きを引き出す、理想的な支持体であったこと。
また、作品の耐久性や輸送のしやすさ”にあったようです。(カタログより抜粋)
輸送ということに関しては、共作が多かったフランドルの画家の作品は常にそれぞれの工房への移動が伴っていたので、より輸送が容易で耐久性に優れた銅版が好まれた、ということのようです。

話は変わりますが、ここで2点目。
風景画がイタリアより発達していたネーデルランドの作品を見ていて非常に面白いのは、当時どんな動植物が有ったのかを知ることが出来ることです。
作品を見ていると、当時の植物や動物が今と大して変わらないことに気が付かされます。
中でも気になっていたのがチューリップの存在です。
今でこそオランダと言えばチューリップですが、この花もとはと言えばトルコからやって来たもの。
オスマントルコ帝国(現在のトルコ)で栽培されていたチューリップは、16世紀にオランダに伝えられました。
1554年にトルコにいたオーストリア大使がコンスタンティノープル(現イスタンブール)周辺でチューリップを見かけ、その美しい花の名前を通訳に尋ねたところ、通訳はターバンのことを聞かれたと勘違いして「チューリパム」と答えてしまったことから、「チューリップ」と呼ばれるようになったとか、花びらの形がターバンに似てるからなど命名の言われはいくつか有ります。

最初は貴族や大商人の間だけで栽培、鑑賞されていたチューリップですが、その後ライデン大学に植物園を作ったカルロス・クリシウスが本格的に栽培を始めます。
その後さまざまな新種を栽培できるようになり、それをフランスの王侯貴族に売って儲けていたクリシウスは1601年栽培方法を本にしました。
その後も人気が高かったチューリップのせいで1636年から「チューリップ狂時代」が始まります。
球根の値段が急騰、オランダのあらゆる場所がチューリップ畑になります。
オランダの気候がチューリップの栽培に適していたんですね。
なんでも零下10度以下になるオランダで冬を越すことで、ひときわ美しい花を咲かせるんことができるそうです。
しかしそんな景気の良い時代はいつの時代も長く続くはずがありません。
「チューリップバブル」はなんとわずか1年で崩壊。
一瞬にして球根の価格が100分の1まで暴落し、業者や貴族、富豪でチューリップに投機していた人は見事に破産してしまいました。
これって世界で最初の「バブル経済崩壊」として歴史に残っているものなんだそうですよ。
でも、バブルは崩壊してもチューリップ栽培を止めなかったオランダ人は素晴らしい。

そんな時代背景からブリューゲル一家の静物画にはよくチューリップが描かれています。

ヤン・ブリューゲル1世とヤン・ブリューゲル2世の共作
ヤン1世の花の静物画は「花のブリューゲル」とあだ名が付けられるほど人気が高く、”16世紀末ごろから確立される静物画の中に、花の静物画という分野を開拓した画家の一人”。(カタログより抜粋)
そしてこの絵に描かれた縞模様の入ったチューリップが実は病気だったということを今回初めて知ったのです。
当時もこの柄がウィルス性の病気であることなんて分からなかったので、珍しいものとして非常に高値で売買されていたそうです。
そんなに貴重なチューリップをモデルに出来たということは、この絵の依頼主のステイタスもおのずと理解できるということですね。
親子共作としては最高レベルの作品です。

私が特に気になったのはこの2点かな。
ということで展覧会全体の感想ではなく、マニアックな部分をつついてみました。
4月1日まで開催、その後愛知、北海道、広島、福島を巡回します。



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6 コメント

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ありがとうございます。 (fontana)
2018-01-28 15:53:30
情報ま。さん
確かに、これ見たわ(笑)というかこれが目当てで行った気がする…
Romaのカタログも有るかも…自分のものだけど、全然把握できてないし、下手したら買った時のままビニール付いたままかも。(笑)
ただ日本のカタログはちょっともの足りない感じなので、イタリア語探さないとな。(笑)

山科様
今回も貴重な情報ありがとうございます。
やはり支持体まで確認して絵画を見ることは稀ですよね。イタリアの作品に関しては見たことあると再確認しました。日本語様様だなと反省しております。
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銅板とボス (山科)
2018-01-28 15:15:48
銅板の絵画についてはブログに書いておきました。


ボスのこの絵については、2001年のロッテルダム展で観たはずですが、全く覚えておりません。
あまりよい作品ではなかったのでしょう。2001年のロッテルダム展のとき出た本に掲載された
Paul Vandenbroeck のエッセイのなかでは、

ボス派Boschnian とされているので、後世の模倣作ということでしょう。
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身も蓋もない (情報ま。)
2018-01-28 12:12:16
何度も新鮮な気分で観られるっていいですねっ。。。て、そういう風に
言うしかできないですよね~(T_T)
私も観て片っ端から忘れていきますから。
(しかも絵だけじゃないし)
あるいは似たような作品が多すぎるっていう。。。

ボスは版画ではなくて油彩作品だったんですけど、ボスの全真筆リストが出ている本には
その作品はないから、工房作か追随者の作品だったのかしら。
数年前のボス展でも真筆か否か何点かの作品がいろいろ揉めてたし、あの件もまだ決着ついて
ないんですよね、確か。

いずれにしても、見たはずなのに私も覚えていません。
安心してください(笑)

http://www.arte.it/calendario-arte/roma/mostra-i-sette-peccati-capitali-di-hieronymus-bosch-2821


Bologna のブリューゲル展のカタログ買われたんですか?
私は Roma の買っちゃったんですよ。重かったのに…まさか日本に来るとは。。。
都美の展覧会に行く前に、予習します(笑)
返信する
Bolognaのことは (fontana)
2018-01-27 16:56:09
Bolognaの事は書いていました。(情報ま。さんのコメント入り)
http://blog.goo.ne.jp/fontana24/e/08e8a462767bb84bd8010eb6080260e6
ここで言ってた作品は来ていました。
返信する
お待ちしてました。(笑) (fontana)
2018-01-27 16:50:54
情報ま。さん
お待ちしてましたよ~
私全然思い出せなくて。大理石有ったんですねぇ(笑)なんとなくBolognaの方は記憶にあって、これRomaだろ?と思っていたんだけど、カタログに載っていたのがBolognaのイタリア人の論文だったので、あれ?Bolognaだったっけと混乱したのよ。(こちらはカタログ買ったはずだから探せば良かったんだけど、まだ段ボールに入りっぱなしなのよね。)
まぁある意味いつでも新鮮な気持ちで見られるってことよね。(笑)
ボス?え~版画?覚えてないわ。(笑)
お金と時間を無駄にしてるわ。
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すごいけどリアルすぎてちょっと… (情報ま。)
2018-01-27 16:32:31
Roma のブリューゲル展、まさか5年も経って日本に来るなんて
思いもしませんでしたよ。

大理石に描かれた作品は、Roma 会場にありましたよ~
2Fの部屋に複数あったと記憶しています。

あの日は Roma から Venezia 行きの italo の予約をしていて
展覧会観た後すぐに一旦 Termini 駅近くのホテルに戻り、荷物を持って
Tiburtina へ向かい、昼過ぎの italo に乗るという、普通の人ならまず
立てないようなかなり強行(←人はそれを無謀という)スケジュール
だったので、最後の方の作品はゆっくり観ている余裕がなかったのですが、
大理石の作品は珍しかったので、印象に強く残っています。

ていうか、日本には来ないだろうと思ったからこそ、無理してわざわざ
あの展覧会に行ったのに。

ちなみに大理石の作品は、Bologna のブリューゲル展には出ていませんでした。
Roma と Bologna のは、どちらも似たような作品が多かったけど、一応
別のブリューゲル展でしたしね。

まぁでも展覧会2つ観たおかげで、ブリューゲル一族の関係性(親子とか兄弟とか)が
わかるようになったので良しとします。


Fontanaさん、Roma のブリューゲル展にボスも出てたの覚えていますか?
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