Bergamoに行った翌日、朝前日のような霧がなく、青空さえ出ていたので、急きょ予定を変更して、2カ所気になる街を訪れることにしました。
しかし、イタリアって本当に公共交通手段が不便過ぎる…
直線距離なら大したことないBergamoからこの2つの街ですが、車を使わない場合は、一度ミラノに戻らなくてはいけない。
ただ予定していたより1本早い電車に乗れたので、まぁいいか、ということで出かけました。
最初の街はCremona
結構大きい街なのに、ミラノ行きの電車は2時間に1本しかない!?
ということでご注意あれ。
さて Cremonaと言えば
バイオリンですよねぇ。
このバイオリン(?)からは音楽が流れていました。
ストラディバリやグァルネリなどの弦楽器製作者の名がこの街を世界的に有名にしているわけです。
アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari)の像
なんかちょっとメルヘン入っていますが…
言わずと知れた名器、ストラディバリウスを製作者。
ヴァイオリンやヴィオラやチェロ、マンドリン、ギターなど約1100-1300挺の楽器を製作したとされ、約600挺の存在が確認されているそうです。
ここでちょっとWikipediaを見て驚いたことが、
”多くの職人を抱え、短期間に大量の弦楽器を作っていたにも関わらず、ストラディバリの死後、ストラディバリ・ファミリーの純然たる後継者はおらず、1745年、ほとんどの楽器職人がクレモナから逃避したことを機に、楽器製作の伝統は途切れた。その間のクレモナ市の参事会を構成する地元の貴族や有力者は、外国の王侯貴族の庇護で裕福になる楽器職人の存在を快く思わなかった。
そのためストラディバリの死後、三男のパオロ・ストラディバリは父アントニオと二人の兄から相続した楽器の製作道具を「クレモナ市内で使用しないこと」を条件に売却した。
これらのことによりストラドの弦楽器製造技術は失われてしまった。
今日クレモナは弦楽器製作の町として復興しているが、それは他の地区からの移入であり、ストラドの技術自体が継承されている訳ではない。
もちろん再現する試みは行われている。”
知らなかった…なんて残念なお話。
街のあちこちで工房を見かけました。
が、お昼時ということもあって何軒も見かけた工房で、職人さんは たった一人しかお仕事していませんでした。
リュートの工房
バイオリン職人の人形
とても落ち着いた街並みは、職人気質が溶け込んだ感じがしました。
しかし、当然私はバイオリンを見にここまで行ったわけではありません。
勿論時間が有れば博物館とかにも行きたかったですが、いつも駆け足。
一か所で十分満喫するか、駆け足でも多くの場所へ行くか…いつもすごく悩むところです。
更に、「2カ所行けそうだけど、どこ行こう」「よしCremonaか」と安易に決めてしまったので、情報が全然ない。
それでも以前調べた見たいもの、だけはチェツクしてあったので、その目的地へ向かいます。
駅から歩いて20分弱
白いんだなぁ…特に塔の上の方。
この地域は仕方がないですけどね。
Google Mapの不調で地図もなく、勘でここまでたどり着いたのが丁度12時。
Duomo,(Cattedrale di Santa Maria Assunta、聖マリア被昇天のカテドラル)
残念ながら大聖堂の中には入れませんでした。
しかし、私が特に興味が有るのは外観なのでまぁ良しとしましょう。
(いや、本当は帰って来て、ガイドブック読んでやはり中も見た方が良かったかなぁと後悔しましたが)
向かって左側に建っている塔(Torrazzo)は1671年G.B.Nataliによって天文学の絵が描かれた時計台。
時計のシスエムは1500年代のものを今も利用しているみたいです。
この塔には登ることも出来ます。(階段約350段)
高さは111メートル、街のシンボルとなっています。
こちらの洗礼堂と共通の入場料5ユーロ
この天気だし、時間もあまりないので、私は登りませんでしたが。
ロマネスク・ロンバルディア様式の代表傑作。
ベースのロマネスクにゴシック、ルネサンス、バロックの要素を加えた北イタリアの宗教建築な中でもとりわけ大きなもの。
1107年に現在の前身の教会が建設されたものの、1117年の大地震により崩壊、その後再建され、1190年献納され、13-14世紀には増築をされています。
身廊(68メートル)よりも翼廊の方が若干長い(74メートル)ちょっと珍しいスタイルで、
この正面のファサード以外に、両側に側面ファサードを持っています。
側面のドアが開けられたのは1562年のことです。
一番下の部分のアーケード(Portico della Bertazzola)はLorenzo Trottiが15世紀の終わりに造ったもので、その上にはGiorgio Antonio作の全部で10体の彫像と天使が置かれている。
典型的なロマネスク様式に登場するprotiro(柱廊式小玄関)の左壁には
板状の薄肉彫りがあり、「Peccato originale(原罪)」と「Cacciata di Adamo e Eva(アダムとイブの楽園追放)」が彫られています。
他にも
Sarcofogo di un dottore dello Studium cremonese(クレモナの学校の学者の石棺)が有りました。
玄関の方は
各所に気になる彫刻が。
まず
この人たち
下のおじさんなんか陽気な感じで、手を挙げてるよ。
全員で4人いますが、これは最初からこの場所に置くために造られたものではなく、どこからか持って来た再利用と考えられています。
不謹慎なことを言いましたが、彼らは預言者のGeremia(エレミア), Isaia(イザヤ),Daniele(ダニエル), Ezechiele (エゼキエル)の4名。
誰が作ったか分からないので、Maestro dei Profeti(預言者のマエストロ)作とされています。
伝統的なビザンチンーオットー美術の影響が見られるものの、1099年から1120年にかけて、モデナを中心に活躍したWiligelmo (ヴィリジェルモ)の影響も見られます。
同じ彫刻家の作品と考えられているのが
羽根を持ったライオンと
翼を持った雄牛。
これは福音史家のシンボルですね。
こちら1200年代のもので4人の福音書記者のシンボル。
更に玄関の柱を支えている
こちらの2頭のライオン
こちらはGiambono da Bissone、1285年の作品。
他にも
興味深い彫刻が盛りだくさんなのですが、更に面白いのはこれ。
玄関のアーチの上のフリーズ(帯状)には
1220年から30年に作られた”i mesi”と呼ばれる、一年の農作業の様子を描いたカレンダーのような彫刻が生き生きと彫られています。
この上に有る3つの大きな彫刻は
1420年頃の作品で、中央はMadonna col Bambino(聖母子像)で、後の二人はSan OmobonoとSan Imerio vescovoで、
13世紀半ばに活躍していたトスカーナの彫刻家の作品と考えられています。
(昔はGiovanni di Balduccio、現在はMarco Romanoと考えられています。)
もう一か所興味深かったのは、このメインのファサードに対して左側のファサード
この全面レンガ作りがいかにも北という感じです。
全体はあまり面白味はないのですが、よく見ると居ますよ~
ゴシック様式の玄関はメインの玄関と同じくGianbone da Bissoneが作ったと考えられる2頭のライオンで支えられ
上の方には「受胎告知」のシーンが彫られていて、こちらはWiligelmoの作品ではないか?と考えられています。
この美しいアーチの下、アーキトレーブ(まぐさ)には
キリストと弟子たちが。(1107年)
これS.Pietro(聖ぺトロ)ですが、中心に近い何名かは、上にちゃんと名前が書かれていました。
ペトロの場合は鍵を必ず持っているので、分かりやすいですけどね。
と、まぁまだ色々面白いものは有ったのですが、これらが特に注目に値すべきものでしょう。
(だってガイドブックに説明が有ったのはこれらだったので)
ロマネスク好きにはたまらない、かわいい彫刻がてんこ盛りのCremonaの大聖堂でした。
ということで(どういうことだ?)、明日からしばらく念願だったイタリアのかかとへロマネスク巡礼に向かいます。
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当時、ストラドヴァリウスが作ったのはバロックバイオリンという、現代ヴァイオリンとはかなり違った形の楽器です。現在、演奏家が使うストラドヴァリウスは殆ど大改造されていて、胴体ぐらいしか残っていない状態だと思います。 実際に演奏しているクレモナ ヴァイオリンでほとんど改造していないものは、いわゆる古楽(バロック音楽)の演奏にしか使えないでしょう。 このへんが、どこまで本物、というか苦しいところです。古いオルガンも改造があるものが多いですね。
マドリードの王宮に豪華な装飾のあるストラドヴァリウスがヴァイオリン・チェロなど何本も展示されていて瞠目したことがありますが、あれは改造されているのかどうかはわかりません。
そうなんですねぇ、確かに「ストラディバリは現在のバイオリンの原型を作った」としか音楽史の先生は言ってなかったですね。改造されても何億なんですねぇ…