昨日で閉幕したが、フィンランドのアーティスト、ルート・ブリュック(Rut Bryk)の日本初の個展が、東京ステーションギャラリーで開かれていた。
全然名前知らなくて、興味のなかったのだが、「日曜美術館」でほんの少し紹介されていたのを見て、俄然行く気になった。
気がついたのが遅かったので、閉幕間近の混んでる時期だった。
ブリュック没後20年、日本 フィンランド外交樹立100周年ということで、開催されたこの展覧会は、東京を皮切りに2年かで約5か所を巡回するということ。
ルート・ブリュックは名窯アラビアの専属アーティストとして約50年に渡って活躍し、初期の愛らしい陶板から膨大なピースを組み合わせた晩年の迫力あるモザイク壁画まで、幅広い作品を手がけたフィンランドを代表するセラミックアーティスト。
建築の道に進みたかった彼女は、周りの反対によってグラフィックアートに方向転換。その才能が認められ1942年アラビアのデザイン部門のアーティストとして入社。
陶芸の知識も経験もなかったブリュックだったが、その才能はすぐに開花、イタリアのデザイン展(ミラノ・トリエンナーレ)でグランプリを受賞するなど、美的価値を追求したアプライドアート(応用美術)として高く評価された。
50年代になると、作品は具象から抽象へと大きく変化。
もともと「建築家になりたい」という希望をもっていたブリュックは、1970年代後半から教会や市庁舎など公共建築のための大型壁画を手がける。数千数万という膨大な数のタイルを手作業で組み合わせ、繊細さと力強さと共存するモザイク壁画は、高度な技術と類まれな造形・色彩感覚が融合した、ブリュックの芸術の真骨頂。
初期のスグラフィートを使った作品は、シャガール風。
テーマは「お葬式」なのだが、あまり悲しさは感じられない。
こちらも「お葬式」
6人の黒衣の人物か、花輪で装飾された棺を担いでいる。
1957年に父親を亡くしたブリュックの喪失感は大きく、この作品は彼女が自分自身のために制作したものともいえる。
棺の下の部分に描かれた小さな花はリネア(リンネ草)で、ブリュックのミドルネームで、父親が近代分類学の父カール・フォン・リネンにちなんでつけたものだったそうだ。
「リアルト橋」
”ブリュックは少女の頃からイタリアの美術や建築を愛していた。
旅の多い父がフィレンツェやヴェネチアから送る絵葉書を眺めては、その町並みを思い描いていたブリュック。
はじめて現地を訪れたのは、36歳の時だった。
憧れの地でブリュックは一切スケッチなどはせず、ただただ心ゆくまで、全身でその場所を感じていたとか。
この鮮やかなターコイズブルーの作品は、ヴェネチアの建築を象った陶板シリーズ「ヴェネチアの宮殿」のなかのひとつ。”
実際のリアルト橋は白だがブリュックの目にはこのような色に映ったのだろうか?実物はこの写真より更に美しかった。
魚の皿
「最後の晩餐」
ドーナツをつかむユダ…なわけはないけど。反対の手には金貨。
「ノアの箱舟」
この時期は鋳込み成型(スリップ・キャスティング)による新しい表現を模索していた。
石膏にえを彫って型を作り、その型に泥漿(でいしょう)を流し込み、彫った部分を凸線として浮かび上がらせる。この凸線の内側に釉薬を厚く施すことで、深みのある豊かな色彩を実現した。
石膏型を使って同じ形の陶板をいくつも作ることが出来たが、それぞれの異なる釉薬や文様を施すため、ひとつとして同じ作品はなかった。
ら
「ライオンに化けたロバ」
ライオンのお腹にロバ。
同じタイトル。でも全然印象が違う。写真と実物の色もかなり違う。
(ここまでの写真は自前。)
このように前半は女子が思わず「かわいい~」と叫んでしまうような作品ばかり。
そして後半になると雰囲気はがらっと変わって、抽象的に。
彼女にとって最も大切なテーマだった蝶は、戦後の自由の象徴だった。
また蝶や昆虫の研究者だった父との思いででもあった。
この蝶の作品は、どうやって作られるのか、ビデオも流れていて非常に分かりやすかった。
建築への志は遂げられなかったが、”約150センチ☓約180センチの大きな作品は、まるで都市模型のよう。
ほかのレリーフ作品は壁掛けであるのに対し、この作品は平面上にタイルを並べているのが特徴。ビルのように見える立体は、実は、「煙突」「サイコロ」「アッシュトレイ」といった別の題名の作品。まるで“セラミックのつみき”のように、これらのタイルや立体を自由に組み合わせてさまざまな街を作ったらしい。
この頃からブリュックは、同じ形のパーツを組み合わせて大きなサイズの作品を作ったり、企業の経営者から頼まれて特定の場所に設置するための作品を作るようになる。20代の頃、「建築家になりたい」という夢を一度は断念したブリュックだったが、セラミックという表現方法を使って空間や建築に関わるような仕事を手がけていった。”
そしてここまで抽象的に。
60年代後半に入ると、ブリュックは小さなタイルピースを使い、抽象的な表現に挑戦していきます。
この作品のタイトルは「スイスタモ(Suistamo)」。1944年に旧ソ連領となるまで、フィンランドの国土であったラドガ・カレリア地方の地名。この地には古くからある口伝の詩歌や、伝統的な生活、そして言語体系があり、フィンランドの人びとにとって精神的な故郷のような場所で、 両親がまだ仲良かった頃(後に離婚)、家族でカレリア地方をたびたび訪れていたらしい。
このような抽象的な作品が並ぶなか、特に印象に残っているのがこの作品。
「イコン」
これ、パッと見ただけでは分からないのだが、まず金色の十字を形作るパーツの多くにバラが描かれ、中には羊や聖母子像などがある。
薔薇は純潔を表し、聖母の象徴でもあります。
羊はキリスト。
そして十字架の下にアダムとイブ。これは衝撃だった。
磔刑図の下に、髑髏が置かれた絵を見たことがありませんか?
あの髑髏はアダム、原罪を犯したことによって人は永遠の命を失ったわけだが、この髑髏を磔刑図の下に描くことは、キリストが死に勝利したことを意味する。そしてこの作品は、象徴としての髑髏ではなく、アダムとイブを円の中に、そして金の枠の一番下に、まるでムカデのように足が生えてるのか?と思わせる蛇らしきものが描かれている。更に2つの目玉のようなものも有る。これは神の目?とちょっとぞっとした。作品から何か強いメッセージが発せられているのを感じざるを得ない。
(” ”で引用された文章は全てRUT BRYKの公式サイトより。
https://rutbryk.jp/
また、館内キャプションより引用させていただいた文章も有り。)
ということで、色々な意味で刺激を受けた良い展覧会だったのだが・・・
展覧会の内容ではなく一言。
実はこの展覧会、オープン当初は全館撮影可、だった。
それが途中で「シャッターの音が他のお客様の迷惑になる」ということで、前半部のみ撮影可、に変更になった。
え~そんなの気にしなくていいじゃん、と思っていたが、実際行ってみたらすごかった。
とにかくカシャ、カシャ。カシャカシャカシャ。カシャカシャカシャ。
確かにうるさい。人の話し声も結構不快だけど、これはかなりきついわ。
「写真撮るだけで、作品みてないじゃん」と声に出して言っている人もちらほら。
更に、100歩譲って音は気にしないとしても、かなり危険。
多くの人が写真を撮ることだけに気を取られ、周囲の作品に注意を配らず、撮影しない人たちのことも考えず前に割り込んだり。
最近海外の美術館では撮影可能なところが増えている。特別展でもOKというところが増えた。
でも、これってマナーを守ってのこと、これは良くない。
かくいう私も撮らなかったわけではない。
ただし写真撮影を始めると、作品に全然集中できない。
正直、日本では時期尚早だったのではないか?
もう少し、全ての観覧者が心地よく見られる方法を考えた方が良いと思う。
開催者は、来館者が勝手に宣伝してくれる効果を狙っているのだとは思うけど…
あと、毎回言ってるけど、これだけ混んでるんだからリュックサックを取り締まってくれ!!
どれだけ危険だかわかってるの?
ちゃんと前に抱えている人もちらほら見かけるけど…
そんなこんなで色々考えさせられる展覧会ではあったけど、作品はどれもこれも素晴らしかった。
良いですねぇ。
ボーローニャ歌劇場では、2014年3月「トスカ」を見ました。(https://blog.goo.ne.jp/fontana24/e/880d2533ec67ad25e57628605c53dbc0)
そのあと吉田裕史さんが主席指揮者になり、一度観に行きたいと思っていたのですが、敵わずでした。
昨日たまたま大野和士さん指揮の「トゥーランドット」が来月東京で有るのを知り、大野さんの指揮での公演を一度観てみたかったので、チケット検索しましたが既に遅かったようで、完売でした。びわ湖ホールでも開催するようですね。
私はきのう(6月18日)にびわ湖ホールに行き、ボローニャ歌劇場公演のヴェルディ作曲 "リゴレット"を見てきました。ソロ歌手の3人(男二人、女一人)のレベルが高くて素晴らしいオペラを堪能しました。合唱団も力強い歌声でした。
帰ってきて、テレビをつけると大地震のニュースが報道されていて、ビックリしました。
拳銃の事件、早期解決で本当に良かったとは思いますが、このような事件が続くとやはり怖いですよね。特に知っている場所だと…
日曜日に松方コレクションのモネの修復の番組を見たので、こちらも早く行かないと、と楽しみにしています。
大阪府吹田市で拳銃を奪った犯人が箕面の山で見つかりました。ここにはよく行くのでびっくりしました。