Buon Natale!!
一年で一番静かな朝です。
レストラン、お店など今日はほとんどが閉まっています。
クリスマスは家族で過ごすもの。
家族がいない私はくりぼっち(っていうらしいですね、独りのクリスマス)
でもこの方が気も胃も楽なので、敢えて一人という感じです。
ということで今日はようやくたどり着いたPiemonteのCastello della Manta(マンタ城)へ。
実はここに行く前に立ち寄った場所。
そこに行くためにミラノから乗った電車の最初の駅が先日ベルリンでのテロの犯人が射殺された駅だったんです。
この駅自体は「何でこんなところに電車止まるのかなぁ」というような何もない駅に見えましたが、さすがにちょっと怖くなりました。
イタリアは襲われるほどの経済的な力,影響力はないにせよ、何と言ってもキリスト教の大本山、ヴァチカンを抱えています。
精神的ダメージを与えるなら、この国のどこを狙われてもおかしくない。
特にキリスト教徒にとって一年で一番重要な行事、クリスマスはやはりちょっと緊張しますね。
ベルリンのテロ後、イタリアでも警備が強化され、人が集まる場所にはかなり低いものですが、コンクリートのバリケードが設置されました。
フィレンツェではDuomoやPalazzo Vecchioの警備の数が増やされたそうです。
気をつけようがないテロですが、気を付けねばと思う今日この頃。
他にも観光客の方は、この時期出稼ぎに来ているスリやひったくりにくれぐれもご注意くださいね。
さて、本題に入りましょうね。
最近それでなくても「ブログが長い!」と言われているので、無駄話はほどほどにね
ここ、行きにくくはないんです。
ただ、どこから行くか?
トリノから日帰りでも行けるかもしれないですが、Saluzzoのレストランは当たりなので、是非1泊して欲しいですね。
目的地まではSaluzzoのバスターミナルから20分弱だったかな?
ただバスは1時間に1本くらいしかなかったでご注意を。
でも大雨の中でもちゃんと来ていました。さすが北、という感じ。
あとすごく不思議だったのはバスターミナルなのに、切符を売ってないんです。
切符は車内。ということで割高なんですよね。
ん?外国人だと思って騙したか?と思い出して今調べてみたら、なんとSaluzzoの街ではバス券販売している場所が一軒もないみたい…
そんなこと有りなんだろうか???
トリノ市内で買って行けば良かったってことね。
Cuneo行きに乗車します。
バス停は多分Mantaの一番端になると思うのですが、運転手さんに「城に行きたいので、一番近いところで下ろして欲しい」と言って前の方に座っておきます。
バス停を降りるを右手にお城が見えるし、街の方に行けばあちこちに表示が出ているので、間違えることはないと。
でも山道に舞い込む可能性はあるので、ちょっと注意。
目印はこの教会かな?
ここを左に入って、駐車場を横切って
坂を上がって行きます。
結構登りますよ。
天気が悪かったこともあり、ちょっと時間がかかったけど、バス停から20分位かな?
見えてきました。
1227年から記録には出てくるCasello della Manta、マンタ城ですが、1984年FAIというFondo ambiente italiano(”イタリア環境基金”と訳すか?)に寄贈され今はこの団体が管理している。
この団体はイタリアの文化財保護の為に本当に精力的に活動している団体で、私も毎年会員になろうかなぁ、と思っていたのですが…結局一度も入会しませんでしたが。
ここはFAIの持ち物なので、会員だったら無料です。
入り口です。
天気が良ければねぇ…
「切符売場はPrimo piano」と書いて有るのですが、Primo piano,日本で言うところの2階と思われる場所には
大きな台所。トイレもこの階にありましたが。
ここには何もなく、更に上にチケット売り場は有りました。
感覚的には3階くらい。
大雨警報が出ていたので、チケット売り場のお姉さんにすごくびっくりされました。
「今日は多分あなただけね~」と。
入場料は7.5€。これに写真代を払います。(3€)
オーディオガイドは入場料に含まれています。(イタリア語だけかな?)
このオーディオガイドは最新で、付けていれば、説明が有るところになると勝手に流れて来ます。
勿論リプレイも出来ますよ。
ちなみにここ、開いているのは3月から11月の間。
詳しくはこちらのページを確認してくださいね。
ということでいざ出発。
私しかいない(警備の人もいないので) ので自由気ままにぐるぐる出来ました。
まず上の階へ。
いきなり出たのはこの部屋。
玄関、とかロビーの役目を果たしていたお部屋ですが、壁の葉っぱのフレスコ画は1800年代のもの。
暖炉の下の部分にはLeitと書かれていますが、これはGuida(導く)という意味でこれを描かせたValeranoの格言
このValeranoですが、marchese di Saluzzo(サルッツォ侯爵)Tommaso IIIの庶子で、1416年にこの城を遺産として相続します。
彼の意図でこの城には素晴らしい装飾が残っています。
ただこの部屋で当時のものは
Vergine che allatta il Bambino(授乳の聖母)15世紀の作品。
La Madonna del Latteとかgalactotrofusaとも呼ばれる作品で、聖母がキリストにお乳をあげている姿です。
ラテン語ではMadonna lactans とかVirgo Lactansと呼ばれ、キリスト教芸術の中では繰り返し描かれた図像で、時には「monstra te esse matrem(汝、御母なることを示したまえ)」という聖母マリアを称える一節が加えられる息子に乳をあげるため、胸をあらわにし、まさに授乳している姿や乳が飛び散っている様子の他、
キリストや他の聖人、高位聖職者(prelato)やキリスト教に強い関係の有る人物の口の中に聖母の乳が滴り落ちる瞬間を描いたものなど微妙なバリエーションが有ります。
最初の図像タイプは聖母マリアが正面を向いたポーズで、神の母、産婦の守護神として描かれていました。
その後マリア信仰の発展で、特にマリアを教会と見立てる信仰が蔓延、強くなったことから、聖母マリアが慈愛に満ちた母の愛情いっぱいの表情で描かれるようになりました。
どこかでこの図像を見た人が「珍しい」と書いていましたが、この図像は全然珍しいものではありません。
一番最初の公式の「授乳の聖母」は6ー7世紀、既にキリスト教化されたエジプトで発見されていますが、
この作品はかなり図案化されたものだったらしく、「聖母子像」の図像のバリエーションの1つと考えられています。
エジプトのコプト人(エジプト、エチオピアのキリスト教徒)によって東教会のビザンチン美術ではギリシャ語で”Galaktotrophousa”と呼ばれ、非常に人気の有る図像パターンの1つとなりました。
実際のビザンチンのものが見つからなかったので、ビザンチン様式の影響を多分に受けているこちらをご覧ください。
ちょっとポーズが固い。動きが不自然。これがビザンチン美術の特徴ですけどね。
そんなこんなで西の方へ入ってくるわけです。
特に1300年頃からトスカーナや北ヨーロッパでポピュラーな構図となりました。
西ヨーロッパでは土着の信仰と混じり合い、産婦で母乳が出ない人に母乳が出るようななるという奇跡を起こす聖母の乳(il Sacro Latte、聖なる乳)が保存された聖遺物なるものが教会で保存されるようになりました。
しかし1300年代「授乳の聖母」から、本来のカクカクと様式化された図像表現がなくなり、よりリアルな感じが追及されるようになります。
それは勿論この図像に限ったことではありませんけどね。
この時代のリアル感を追求した「授乳の聖母」で一部の美術史家たちが一番と太鼓判を押しているのがこれ。
Ambrosio Lorenzettiの作品です。
この作品では既にビザンチン美術の典型だった正面向きの聖母ではなく、30度(から45度くらい?)横向き(tre quarti)で息子のキリストの方を向き、その表情は母親らしい愛情に満ちています。
片や赤ちゃんキリストは、私たちの方を見ていますが、こちらも足を上げたりといとも自然なポーズ。
こういうリアルな表現で、神ではあるけど、共感できる人間らしい質感や動きを持った聖母とキリストは徐々に信者を取り込んで行きます。
キリストに乳をやるという行為は神聖化され、この図像はヨーロッパ全土へ広がり、特に奇跡を信じる田舎の農民の多くの女性たちたちに信仰されて行ったそうです。
だから校外のTabernacolo(小さな壁龕)にこのテーマが見られることがあります。
また200年くらいの間、多くの有名画家たちがこのテーマで作品を残しています。
主な画家はこちら
Leonardo da Vinciか?のMadonna Litta(リッタの聖母)
Jean Fouquet(ジャン・フーケ)の Dittico di Melun(ムランの聖母子)
Robert Campin(ロベルト・カンピン), Madonna del parafuoco
Jan van Eyck(ヤン・ファン・エイク), Madonna di Lucca(ルッカの聖母)
Correggio(コレッジョ), Madonna del Latte e un angelo(授乳の聖母と天使)
などなどです。
お乳を含ませていなくても、聖母が胸を出している作品は一応にMadonna del latte(授乳の聖母)と区別しています。
他にも
Lactatio Bernardiと呼ばれる図像で、San Bernardo e il miracolo della lattazione(聖バーナードと授乳の奇跡)
分かるかな?聖母の胸から父がバーナードの口に入っています。
バーナードが”Commentario al Cantico dei Cantici”を書いていると、その行動を称えるために聖母が現れて彼の唇を乳で濡らした、というシーン。
これも「授乳の聖母」のバリエーションの1つです。
ただこの作品聖母が胸を露にしているのが良くないとトレント公会議以降の宗教改革で、手を加えられたリ、壊されたりしてしまいました。
とこの「授乳の聖母」が描かれたこのロビーを抜けると、この城最大の遺産がお目見え!
そのお話はまた次回。
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