イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

清瀧神社ー浦安三社

2018年12月02日 11時59分24秒 | 日本・史跡

11月23日、甥っ子の七五三のため、浦安の清瀧神社に行きました。
車で行くので、行程をチェック、神社のサイトを見ると、なんと素晴らしい彫刻があるとか。
下の甥っ子のお宮参りのために2年前に行った時は全然気がつかなかった…今回は一眼レフカメラを持って、レッツゴー!!

こちらは拝殿。明治29(1896)年建立、大正12(1923)年に拝殿は修繕され、神輿・灯籠が奉納されました。
昭和46(1971)年に社務所と境内周囲の玉垣が建築され、現在に至っています。

浦安市内の豊受神社、稲荷神社と合わせて浦安三社と呼ばれ、4年に一度浦安三社例大祭が行われます。
今年はそのお祭りの年だったそうで、お祭りの前は市の職人ですらひげをはやすことが許されたりと役人もお祭りモードが許され、お祭り当日は大小100基以上の神輿や山車が街を練り歩くという規模も熱気もすごいお祭りなんだそうです。
今でこそTDLのおかげで、おしゃれな街感たっぷりの浦安ですが、もともとは漁師町。
海で揉まれた男たちの勇壮なお祭りなんでしょうけど、地元ではない妹夫婦のような人はどうも気後れしてしまうようです。

写真は閑散としていますが、七五三の家族連れで大賑わいでした。


狛犬たち

子狛犬?2匹って珍しくないですか?
って、実はそうでもないみたいですね。(私が注意深く見てなかっただけ?)
これ「子取り狛犬」と呼ばれているそうで、子孫繁栄を願っているようです。
子狛犬の位置や動きは結構自由らしいですが、それにしてもここの子たちは動き有りますね。
ちなみに玉を持った「玉取り狛犬」もいるそうです。

”狛犬(こまいぬ)とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。”(Wikipediaより)
教会の入り口にいるのもライオンやそれに似た動物が多いことから、ここら辺の感覚は東西問わず、ということなのでしょうね。

素晴らしい彫刻が有るのは、この後ろに隠れた本殿のほう。

本殿は、創建建久7(1196)年。


本殿は、過去数度の大津波の被害に遭っていて、安政2(1855)年9月に建て替えられたそうですが、そのために村人たちが長年に渡って再建費用をこつこつ貯めたそうです。狛犬もこの時に奉納されました。
海の神様、大綿津見神(おおわたづみのみこと)が祀られていて、絵図師の高間惣治郎が構図を描き、上総国から買い求めたケヤキの大木一本で棟梁、肥前松五郎によって造営されました。
木造三間社(正面の柱間が3つ)流造り(屋根の前面を長くした造り)になっています。







こんなの初めて見たのですが、これ浦島太郎が助けた亀に連れられて、竜宮城に赴くシーン。

大田区の御嶽神社、群馬県の雷伝神社にも浦島太郎の彫り物があるそうです。
石塀や覆屋根などのせいでちょっと見ずらいのが残念ですが。

正面の龍はとても立派です。

本殿向拝木鼻にいる宝珠を持つ龍。
実はこの神社の境内には龍神社も鎮座しています。


左は龍神社、右には浅間神社と富士塚があります。
富士塚とは、富士信仰に基づいて、富士山に模して造営された人工の山や塚で、富士山に登れない人がこれに登っただけで同じご利益が得られると言われている「2分で登れる富士山」
実はこれ、前回はよく見なかったのですが、


登っている人がいました。






海の神社にふさわしく、波間の千鳥がいたり。
拝殿内にも非常に立派な彫刻が有ったのですが、そちらは神域。撮影禁止でした。
唯一撮影できたのが

1861年、後藤三四郎の作品。
房総半島には「波の伊八」と呼ばれる名工もいたので、彫り師たちは切磋琢磨して良い作品を制作したのでしょう。
ちなみに御朱印もしっかり頂きましたが、この人は七五三で忙しかったからでしょう、直書きではなく紙でした。

清瀧神社の彫刻に関してはこちらの本を参考にしました。

関東だけでこんなに面白い彫刻が有るのかぁ…とどこかに出かけたくなる本でした。
清瀧神社



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