ミケランジェロが手がけたPietà(ピエタ)は3体ある。
その中でも一番有名なのはヴァチカンにあるこちらだろう。
写真:Wikipedia
このピエタによってミケランジェロの名声は一気に上がる。
またミケランジェロは2体のピエタを制作している。
遺作と言われるミラノ(Milano)スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)のロンダニー二のピエタ(Pietà Rondanini)と本日のテーマ、フィレンツェのドーモ美術館(Opera di Santa Maria del Fiore)にある通称バンディーニのピエタ(Pietà Bandini)。
写真:Wikipedia
日本語の資料では、ミケランジェロのピエタは4体、としている人が多いが、フィレンツェのアカデミア美術館が所蔵しているパレストリーナのピエタ(Pietà di Palestrina)は、イタリア語の資料では入れないことが多い。
真贋問題は依然決着していない。
ともかくヴァチカンのピエタ以外のピエタはどれも未完だ。
ミケランジェロが、バンディーニのピエタの制作に取り掛かったのは1547年から1555年の間でかなり晩年、ニコデモ(Nicodemo)はミケランジェロ自身の顔だと言われている。
このピエタはローマのとある教会の祭壇に置かれ、その足元にはミケランジェロが埋葬されることこなっていた、というのが定説だ。
しかし、この作品はミケランジェロ自身によって彼の召使だったAntonio da Castelduranteに譲られ、その後200スクーディ(Scudi)で銀行家のフランチェスコ・バンディーニ(Francesco Bandini)に売られた(名前はここから来ている)。
バンディーニはローマのMontecavalloに有ったヴィラの庭にこのピエタを置いていた。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)もここでそれを見ている。
1649年、フランチェスコの死後家族によって 枢機卿ルイジ・カッポ―二(cardinale Luigi Capponi)に売却、 ローマのモンテチトリオ(Montecitorio)の宮殿に置かれるも、4年後にはPalazzo Rusticucci Accoramboniに移された。
Montecitorioの宮殿は現在イタリアの国会議事堂となっている。
1671年7月25日、カッポ―二枢機卿(cardinale Capponi)の曾孫のピエロ(Piero)がトスカーナ大公コジモ3世・デ・メディチ(Cosimo III de' Medici)に売却した。
1674年、ピエタはオペラ「トスカ」にも登場する港チヴィタヴェッキア(Civitavecchia)から船でリボルノ(Livorno)へ上陸、アルノ川を使ってFirenzeのサン・ロレンツォ教会(San Lorenzo)にたどり着き、メディチ家の墓がある地下に1722年まで置かれていた。
ちなみに慶長遣欧使節として宮城県石巻の月の浦港を出港した支倉常長は、スペイン領メキシコ、スペインを経由して1615年このチヴィタヴェッキアに上陸している。
1722年、コジモ3世は大聖堂(Santa Maria del Fiore)の主祭壇を飾るためにピエタを移動させた。
1933年、サンタンドレア礼拝堂(Cappella di Sant’Andrea)に移動、最終的に1981年ドゥオーモ美術館に移された。
今回の修復・調査ではっきりしたことミケランジェロがこの作品を途中で放棄せざるを得なかったのは、この大理石の質のせいだったということ。
このピエタに取り掛かった頃のミケランジェロは70代後半、既に自分の思うように鑿をふるえなくなっていた。だからミケランジェロ自身がキリストの左足とマリアの腕を破壊した、とも言われるこのピエタだが、1565年、ミケランジェロの助っ人?弟子?でもあるTiberio Calcagni(ティベリオ・カルカ―二)が調査した時も、破壊しようとした痕跡は見られなかったという。
今回はそれ以来およそ500年後にして初めての大掛かりな調査、修復だった。
ヴァザーリ(Vasari)も、この大理石が不良品だったことを書き残している。
修復は、後ろ側から始められた。
まずコットンにイオンを除去した少しだけ温かい水を含ませ、それで押さえて汚れ落とすことから始まったのだが、大聖堂の主祭壇に飾られていた時に着いた蝋燭の蝋が表面についていたという。
そして調査を進めると、この大理石には小さな黄鉄鉱(pirite)やほかの鉱物がが非常に多く含まれていることがわかり、鑿でたたくと火花が散っただろう。
それ以外に一番の問題は、ものすごい数の小さな小さなひび。
特に下部の前や後ろに多く見られたこのひびのせいで、ミケランジェロはキリストの左腕や聖母を彫りながら、この作品を作り続けることは出来ないだろうと感じたのではないか。
この大理石の出所は大理石の一等地、同じミケランジェロが製作したダビデ(David)のカッラーラ(Carrara)ではなく、ルッカ(Lucca)のセラヴェッツァ(Seravezza)。
これが今回大きな発見の1つ。
高さ2m25cm、重さは2,700㎏の巨大は大理石は、将来レオ10世(Papa Leone X)となるメディチ家のジョバンニ・デ・メディチ(Giovanni dè Medici)が所有していたセラヴェッツァのもので、ミケランジェロにサン・ロレンツォ教会(chiesa di San Lorenzo)のファサードを飾る彫刻を注文するために、新しい海路まで開いた。
どちらにせよ、ミケランジェロは思うように彫れない自分に嫌気がさして投げ出したのではなく、大理石の質が悪く、それ以上彫れなかった、というのが今回の調査の結果だ。
2019年11月から始まった修復は、コロナのせいで一時休止されていたが、ようやく終了。
修復されていたその場所を残して2022年3月30日まで一般公開、ガイド付きツアーで間近で見ることが出来る。
ツアーはおよそ45分(伊・英語)、金額は20€
詳細はこちらから
https://operaduomofirenze.skiperformance.com/it/negozio#/it/acquista
これも実物は見られないからこちらの動画で我慢我慢。
参考:https://www.nove.firenze.it/terminato-il-restauro-della-pieta-di-michelangelo.htm
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今回もとても興味深く読ませて頂きました💕
私は一応カトリック信者なのでイタリアの教会や芸術にはとても興味があるのですけれども、こんなには詳しく知りませんでした。
これからも楽しみにしております。
ちなみに私がローマに行った時に泊まったホテルの前の教会にモーゼ像がありました。普通に入れたのでびっくりしました😳
後で確かその教会だったかどうか忘れましたが御ミサには与かりました。
又、イタリアに行きたいです。今度は前回行けなかった場所へゆっくりと行きたいです。出来ればイタリア全土を回ってみたいと思っています😍
娘婿の家族が来たイタリア出身なので、まだ多く住んでいます。
コメントありがとうございます。
私は信者ではないので、分からないことも多いので、間違ったことを書いていたら是非ご指摘下さい。
イタリアでは小さな教会にも日本なら国宝級のものが普通においてあることも多いですよね。どれだけどれだけ見ても見切れないのがイタリアのすごさですね。
早く現地へ行けるようになると良いですね。