イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ヴィクトリア&アルバート博物館

2016年03月11日 05時00分00秒 | 他の国

久しぶりに真面目な話をしましょう。
ようやくお腹の調子が戻り…と思っているんだけど…
ちょっと油断したけど、80%くらいは元通り。
あ~食べられるって幸せ。

え~さてさて、ロンドン初日に向かったのがヴィクトリア&アルバート博物館。
実はここ2番目に楽しみにしていた場所なんです。
もちろん一番はナショナルギャラリーですが。
この博物館、ガイドブックには
「1852年に、若いデザイナーや芸術家を支援する目的で、工芸品、装飾品っを集めた博物館が造られた。その後1899年に、ヴィクトリア&アルバート博物館(通称V&A)と改名され今に至っている」と書いて有る。
またWikipediaには
「1851年のロンドン万国博覧会の収益や展示品をもとに、1852年に産業博物館として開館した。1857年、現在のサウス・ケンジントンに移転しサウス・ケンジントン博物館と名を改める。
もともと、ヴィクトリア朝の産業・技術の発展を背景に、イギリスの工芸品やインダストリアルデザインの質を高め、工業の振興を図るための博物館として構想された。
こうした、殖産興業・デザイン発展のために博物館を作るという構想は1830年代からサー・ヘンリー・コールらを中心に政府内部にあったものの、その実現はヘンリー・コール自身が立案したロンドン万博成功を待たねばならなかった。
製造業の労働者たちにデザインの重要性を啓蒙する教育機関を目指していたため、当初入場料は徴収しなかった。
1899年、ヴィクトリア&アルバート博物館と改称。1909年に現在の建物が竣工している。」
と書いて有る。

しかし私の中で「ここにはフィレンツェやイタリアから持ち出されたものがいっぱい有る」、というイメージが。
というのも18世紀、国際的に有名だった古物商Stefano Bardiniがその頃まだ法制度が整っていなかったイタリアから大事な美術品を売りに出していた。
その最たるお客さんがこのヴィクトリア&アルバート博物館とその前に行ったボストンのイザベラ・ガードナー美術館
だから私の研究材料(ちょっと大げさか?)の金唐革も収蔵されているはずなんです。
それを楽しみにしていたんですけどねぇ・・・

それはおいておいて、とにかくすごい収蔵物。
更にこうまで統一されていないと、最後には何を見ていたんだか分からなくなりますねぇ。
部屋数は145、通路の船長は13キロだとか。 
それでも全部見ましたよ久しぶりに全部ね。アメリカでは見逃し多かったですけどね。

入り口
こちらは無料です。
どこの美術館、博物館でも荷物検査は有りましたね。
だからちょっと入り口辺りが込んでいますが、まぁそれほどでもないですね。
コートは入り口入ってすぐのクロークに預けます。
ここは無料でした。

入り口入ってすぐにインフォメーションがあります。

この真下。
そこで地図をもらいました。一応1ポンドの寄付を求めていましたが、申し訳ない、小銭がなかったんです。
多くの人があげてなかったし。まぁ、あくまで寄付ですから。

さて、どこから始めよう。
そうそう、まずはあそこへ。
入り口に向かって真っすぐ、売店を抜けて行きます。

すると中庭に出ます。
コート預けちゃったから寒いのなんの。
足早に向かいの建物へ入ります。
そこにはカフェが有るのですが、ここウィリアム・モリスのデザインという素敵なカフェなんです。

ここが中央の部屋

すごく素敵なんですよ。いつも満席。
私が行った時もそうでした。

こっちはギャンブルルームかな?

そうそうこれがギャンブルルームですね。(実際にギャンブルしてるわけではなく、名前ね)

こちらが緑の部屋です。

食べ物は普通かな?

試してみたかったけど、とにかく1つが大きくてお昼食べた直後で、夕飯も早めに食べようと思っていたので実際ここでお茶することはできませんでしたが、色々見たけど評判はいいですね。
モリスのデザインを見ただけで結局ここからスタートです。
まず

数は少ないけど絵画を見ましたね。
これはミレーですね。
そこから

宝石
一体いくらよ~という素晴らしいものばかりでした。
ここ写真禁止だったの知らずに撮影してしまいました。

ステンドグラス

金細工
ここら辺はドイツ、フランスからのものですね。

図書室
そしてこの部屋、気になりましたね。

この部屋に有るもの、全部どこかで見たことが有るものばかり…全部偽物。もといレプリカ。
学術研究用なのでしょうか?
奥に見えるのは”天国の門”ですよ。

本物がフィレンツェに有るものがいっぱいです。
調べて行くとこれらはどうやら17,18世紀、グランド・ツアーが流行って金持ちのイギリス人が大勢イタリアに遊学に来ていたころ
貧乏でイタリアに来られなかった学生のために国王が各国の王家に依頼して、プラスターで型を取って製作されものなんだそうです。
「ダヴィデ像などのイタリアの彫刻はイタリアで製作されたので型も残っていなく壊れたら修理も出来ないとの事でした。」と書いてる人いましたが、
ダヴィデは有ります。数年前にCarraraで作られた新しいコピー見たもん。
大体イタリアで作られたからコピーがないって変でしょう…とちょっとイタリアびいき。

この隣の部屋には

RomaのForo di TraianoにあるColonna traiana(トラヤヌスの記念柱)です。
これ本物のレプリカを半分に切った形で展示しています。
”レリーフの石膏型は19世紀と20世紀にとられた。1世紀に渡る酸性物の汚染により、今では過去の石膏型の方が本物よりも詳細がわかりやすく、間近に見られるという利点がある。”ってWikipediaには書いて有りますが、本物を知っている私としてはなんか変な感じです。

こっちの記念柱の有る部屋は結構面白いものが有りました。

この十字架とか

フランスですかね。
このキリストの周りの天使?

ふざけているわけではないでしょうけど、体操の選手みたい。
ロマネスクの作品でしょうか?

これもすごいですよ。
Plaster castって書いて有りますが... ギブス?なんですか?素材ですよねたぶん、石膏?
用途は何なんでしょう?
洗礼盤ではないでしょうね?
ドイツです。
何よりもこの足の部分。

すごくリアルですね。

良いですねぇ~これ。
上だって

この細かな彫刻ですからね。
この部屋には面白いものがいっぱい

これとか

こういうの丸ごと持ってきちゃう?
これ、私はまだ本物見てないので分かりませんでしたがなんとこれはサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の「栄光の門」なんですって。
「巡礼者がサンチアゴに着いてこの門の下に跪き円柱に右手を当てて祈るのですが、数百年に渡って手形が円柱にかたどられています。その手型までもが写し取られています。」と書いている人がいました。
私はそこまで確認していませんが、どんだけコピーしてきたんだよ…本物盗んでくるよりはいいけど。
まぁそれもしてるけどねイギリス人は。
この部屋に有るものは全部レプリカだったのかしら?
何はともあれ、この部屋はかなり興味深かったです。

これは空間をこんな感じに飾っていました。

外の様子。
この日は全然雨の気配はなかったです。

これはフィレンツェから持ってきた天井でしたね。
何でもはがして持ってくるんですね。
この部屋には

おっ、Carlo Crivelliかぁ~?と色めき立ったけど、残念ながらの弟のVittoreでした。
San Girolamo(聖ジローラモ。ちょい悪オヤジじゃない)

こちらもVittoreでSanta Caterina d'Alessandria(アレクサンドリアのカタリナ)
この車輪が彼女の目印(attributo)
ちなみに唯一のCarloの作品は6月までBergamoに行っています。
Bergamoへは近々行くつもりなので、また会えますね。
実はナショナルギャラリーで思う存分みたんですけどね、Carloの作品。

そうそう、それからこれもすごく興味深かったのですが

木製の柱、柱頭もかなりいい状態で残っています。

ここまで保存状態が良いもの、というより木製の装飾された柱頭は初めて見ました。
装飾のモチーフも珍しいものでしたね。
そして

下も。
ライオンですかね?犬みたいな感じですが…
すごいですね、良いですね。
英語がちゃんと読めれば…
あれ、びっくり。
念のために写真に撮ったキャプチャーを読みました。英語だけど。
これなんと南イタリアですって。
私絶対フランスだと思った。
これ、やはりライオンです。
1225-50年のもので、この4本で説教壇を支えていたそうです。
おっもしろ~
モチーフはキリスト誕生から受難までのようです。
南イタリアのこの時期の説教壇ならこのライオンも納得。
これすごく面白い。他に例は有るのかしらん???
何を調べたらいいのかなぁ??? 

あっPerugino
キャプチャー見て確認しましたが、間違えようがありません。 
これは1階のメインホール(?)の奥の方にあるんですけど、そこには見慣れたような礼拝堂が。

Santa Chiara教会から持ってきたGiuliano da San Gallo作の礼拝堂だそうです。
こんなものまで持ってきたのね。
何でもイタリア国外で唯一見られるルネッサンス・チャペルなんですって。
全然うれしくない…
丁度この写真を撮った方の位置にあります。
 
そうそうそしてこれもPeruginoですね。

どんだけの作品がイタリアの外に流れてるんだよ、と思う反面以前も書いた気がしますが
イタリアに置かれたままだったら今のような保存状態ではいられなかったのではないか、と思うと
流れてしまって良かったのでは、と思わずにはいられない今日この頃です。
しかし見に来る方は大変です。
やっぱり元の位置にそのまま作品を残しておいて欲しいと思う気持ちは変わりません。
この作品はOratorio dell' Annunciazione in FontignanoというPerugia近郊に有ったものらしいですね。
ここには現在Peruginoのお墓が有るそうです・・・知らなかったけど。 

このフレスコ画が飾られていたのと同じ部屋にこの博物館の目玉の1つである「ラファエロ・ギャラリー」というものが有るんです。
何でだろう、疲れていたせいかな、写真も残ってない。

こんな感じ…ではなくてすごく暗かったんです。
だから写真を撮っても無駄だし、これほど有名な作品ならネットで写真を取った方がきれいだろうと思ったんですね。

システィーナ礼拝堂のArazzi(つづれ織り)の下絵のCartone(カルトン)が飾られた部屋なんですけど、あまり感動がなかったんです。(失礼)
”『ラファエロのカルトン』は、ルネサンス盛期の芸術家ラファエロ・サンティが描いた、ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂の特別な儀典のときにのみ内装に飾られるタペストリの制作用下絵(カルトン)。
原寸大で10点のカルトンが描かれたが、現存しているのはイギリス王室のロイヤル・コレクションが所蔵する7点のみで、1865年からはロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館への貸与絵画として一般公開されている。
『福音書』と『使徒行伝』のエピソードをモチーフとして、ローマ教皇レオ10世の依頼で1515年から1516年にかけて描かれた。
このカルトンをもとにした版画も流通し、当時ラファエロの競争相手と目されていたミケランジェロが描いた『システィーナ礼拝堂天井画』などと並んでルネサンス期の芸術に多大な影響を及ぼした作品のひとつで、ルネサンス期、バロック期のあらゆる芸術家たちに非常によく知られていた作品だった。
18世紀から19世紀には「現代美術のパルテノン彫刻」として高く評価されていた。” (Wikipediaより)
なぜだろう?なんかあまりありがたみがなかったのよね。 

これを見たことしか記憶にない…
私は同じカルトンならPinacoteca AmbrosianaのこちらのCartone

Scuola di Atene(アテネの学堂)の下絵の方が感動しましたね。

この時代、Arazziは大変貴重なもので、それの下絵を有名な画家が描くことは普通に行われていました。
すごいのはその下絵に沿ってタペストリーを織ることが出来る職人で、当時はブリュセルの工房が一番。
この作品はPieter van Aelstの工房が制作しています。

Arazziが見たかったな。

地図を見てくまなく歩きまわったはずなのに、目的のものが発見できず「あ~あ展示されたないのかぁ」とがっかりしながら帰ろうと思った矢先
ひっそりと隠れて有りました。


金唐革で覆われた部屋が。
何でこんなに薄暗いんだよ~
全面が金唐革んですが、何せ暗くて狭くてうまく写真が撮れない…く~残念。
しかし、説明もないし…どこへ行ってもひどい扱いです。

実は先日私の卒業祝いをしてくれた友人夫婦とその友人に卒論のテーマについて話していたんです。
旦那さんと友人は職人さんなので。
すると卒論のテーマに興味を示してくれてねぇ…
彼らが、というのではなく、旦那さんの仕事仲間で革の古い技術の興味が有るという人がいるらしいんです。
だから卒論のことも少しずつ日本語にしておこうかな、と考えています。 
色々考えているだけで一向に何も進まない今日この頃ですが。

とまぁ、こんな感じでとりあえず全部を見て回りましたとさ。

いやいや、とにかく見ごたえあるし、最後は何見たんだか分からなくなりますよ。
まぁこれで無料ですから、時間が有ればカフェしながらゆっくりテーマ別に見たいものですね。
ここでは紹介しませんでしたが(写真も撮ってない)、ファッション系とか、日本(日本の美術工芸品のコレクションとしてはヨーロッパ最大を誇るらしいです。)や中国、アジアのものとか、とにかくものすごい数です。
もうお腹いっぱいです。
閉館少し前にここを出て、ちょっと時間が有るので、あそこへ向かいました。
ということで続きはまた次回。

お疲れ様でした。 



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