イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

素描考 その1

2017年09月25日 08時35分30秒 | イタリア・美術

ちょっと寄り道をしてしまいましたが、満を持して(?)素描について少々真面目に考えてみました。

日本には”白描”とか”白描画”という「色彩のない絵」を表す言葉は古くから存在していたものの、
”素描”という言葉は意外と新しく、その歴史を大正時代以前にさかのぼることができないことから、これは”デッサン”の訳語として当てられた言葉になるだろう。

目の前にたまたま広辞苑(第2版。古っ)が有ったので、その意味を調べてみると
素描(dessinフランス)
或る1色、殊に黒色の線もしくは点で、物の形象をあらわした絵。絵画の基礎となるもの。すがき。デッサン。
とあった。
じゃあ”デッサン”って何?
単色の線や筆触によってものの形・明暗などをえがいたもの。素描(そびょう)
とあった。

ついでに隣に三省堂の新明解国語辞典も有ったので、そちらも引いてみたけど…
「デッサン」の漢語的表現
だって…だから”デッサン”も引いてみた。
①絵画・彫刻の下絵。素描。
②線がきによる単色画。

辞書によって全然違う。
共通するのは単色ということかしら?
この説明ではなんとなく自分の頭にあるイタリア語のdisegnoとは一致しないんだよねぇ…まぁ言葉の方はいいか。

さて、素描が引っかかった原因となったのは、すでにお話した通り

こちらの展覧会のせい。(本日閉幕)
2台巨匠の展覧会といえども、素描だけを扱った展覧会(1体だけ彫刻もありますが)
一見地味な素描
その価値を一般の日本人に理解できるのか?と思うところがあった。

調べてみると、実は日本で素描の展覧会が開かれるのはこれが初めてではない。
1994年東京ステーションギャラリーで「オックスフォード大学クライスト・チャーチ美術館所蔵 フィレンツェ・ルネサンスの素描展」が開催されている。
当時は全然興味がなかったので、展覧会のことは知らなかった。

今回の展覧会もそうだが、なぜトスカーナ、フィレンツェなのか?
イタリアで勉強していた時も、とりあえず
素描のフィレンツェ、彩色のヴェネツィアというのは重要と習った。
彩色のヴェネツィアの方は、フランドル地方の影響なども有ったから。
では素描のフィレンツェは?
というのが気にはなっていた。
だから今回少ししっかり調べてみた。

「素描、あるいは「ディセーニョ」は、イタリアの他の学派と比べ、フィレンツェでは非常に重要だと考えられた。
15世紀の中頃に、彫刻家ギベルティは『コメンターリ』の中で、絵画と彫刻の源泉は「ディセーニョ」であると強調している。
素描は完成作に向けての政策過程における基本的な部分と見なされただけでなく、すべての芸術作品を支える本質的概念と考えられたのである。」

とあるが、実はギベルティが活躍した時代にいきなり素描が重要視されたわけではない。
素描を単なる下絵と考えるならば、もっと前から素描は行われていたはずである。
しかしその頃はまだ紙が高く、素描を紙に書いて残すことは出来なかったと考えられている。

製紙法は中国からヨーロッパに伝わったという伝説が一般的ではあるが、初めはアラブから輸入されていたようだ。
最初にイタリアで紙が作られたのは中部イタリアのファブリアーノ。
1282年には2軒製紙工場が有ったと言われている。

話はちょっと脱線しますが、先日テレビを見ていたら美濃和紙で出来たウェディングドレスの話が取り上げられていた。
紙のドレス!?
実際画面で見たそれは、紙とは思えなかった。
実際身に着けた方も、伸縮する、軽いとべた褒め。
この強度はどこから来るのか?というと、一般的な和紙は紙を漉く時に縦に漉くのに対して、美濃和紙は縦にも横にも漉く。
これが美濃和紙の強さの秘密。
ユネスコ無形遺産にも登録されている美濃和紙は、その強さから現在ヨーロッパの美術品修復の世界でも大活躍している。
薄くて丈夫な日本の和紙は世界中で重宝されている。
日本の紙質の良さを知ったのは、実はイタリアに行ってからのことだった。
イタリアの紙質は最悪。
本が異常に重いのもそのせい。

ファブリアーノに戻りますが、1282年に2軒しかなかった製紙工場も1330年には20軒に増えていた。
今でもファブリアーノの街では当時の様子そのままの製紙場を見ることが出来る。
またイタリアの空港などでよく見かけるFabriano Boutique
この会社こそ元はと言えば1264年に紙づくりを始めたファブリアーノの製紙工場。
ミケランジェロもここの紙を使用していたようだし、ユーロ紙幣もここの紙を使っているらしい。

イタリアではほかにもアマルフィなどで盛んに製紙が行われ、14世紀にはヨーロッパ中に輸出されていた。
しかし、この時代になってもまだまだ紙は貴重品。
当時紙の値段は羊皮紙の6分の1くらいだったらしい。
具体的な値段まで調べる気がないのだが、羊一頭から6枚程度しか羊皮紙を作ることはできなかったと聞くから決して安いものとは思えない。

このような物質的な事情からルネサンス以前の素描は残っていない、と考えられている。
では素描について初めて言及されたのはいつなのか?
ギベルティよりほんの少し前だけど、Cennino Cennini(チェンニーノ・チェンニーニ)によって書かれた「Libro dell'Arte(絵画術の書)」がそれ。
チェンニーノ・チェンニーニはGiottoの弟子だったAgnolo Gaddi(アンニョロ・ガッティ)の下に10年あまりいた画家だったのだが、彼の作品と特定できるものは現存しない。
彼の名前を有名にしているのはこの絵画の術を記した本。
そこに彼は
「絵画の基本は素描と彩色」であったと記している。
「画家を志す者は、何においても素描の習得に努めなければならず、最初の1年間は練習板を用いて素描の勉強をすべきとされた。」

練習板、やはりそうなんです。
紙に素描を描くのではなく、板に描いていた。
そういえば、伝説によるとGiottoは子供のころ石に絵を描いていた。
それを見たCimabueが彼の才能を見抜き、Firenzeに連れて来たという。
やはり紙は超貴重品だったのだ。

チェンニーノ・チェンニーニは練習板の作り方や、紙や羊皮紙に銀筆やペンを用いて素描を描く方法まで説明していて、再三再四素描の練習を怠けてはいけないと言っている。
とにかく何においても素描なのである。

ということで長くなりそうなので、今日はここまでにしておきます。

参考資料:フィレンツェ・ルネサンスの素描展 カタログ



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