イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

紙の歴史ーイタリアの場合 追記

2020年11月03日 15時02分13秒 | イタリア・文化

昨日、イタリアの紙の歴史について書いたら、いつも非常にためになるコメントを頂く山科様から追加情報を頂いた。
「製紙法の西漸とタラス河畔の戦い」について最近異論があったという話。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185996227.html
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/186000405.html
非常に勉強になりました。

そして、1つ気になることが有った。
「アマルフィには12世紀に、西ヨーロッパ最古の製紙工房がありました。」
という一文。
もちろん、この文章がアマルフィの製紙工房が唯一無二の最古と言っているわけではないことは理解したうえで。
あれ?アマルフィの製紙工房が先?最古はFabriano(ファブリアーノ)では?という疑問が沸き上がってきた。
そんなこんなで今日はイタリアの絹の歴史について書こうと思っていたけど、こちらを調査。
結果…さすがイタリア!な結果が出ましたよ。

まず、最古の製紙工房はどちらでもない説⁉
最初のcartiera(製紙工房)はPolese da FabrianoがBologna(ボローニャ)に建てた。
da Fabrianoなのでファブリアーノ出身の人という名前なのだが、これにはちょっとびっくりした。
まぁ、この人物は実在の人か分からず、これはあくまでも伝説の域を出ないらしいけど。
この記事では、紙の製法をイタリアで一番最初に知ったのは、海洋貿易が盛んだったAmalfi(アマルフィ)だと言っている。
記事を書いている人がアマルフィ出身で、典拠も示されていないので、信憑性がどれだけあるのかは不明。
参考:https://storienapoli.it/2018/05/08/storia-della-carta-carta-di-amalfi/

次の記事
13世紀の終わり、イタリアにはファブリアーノ以外にも多数の製紙工房が有った。
ファブリアーノは、1283年のファブリアーノの文献にこの時期既に地元の製紙工房の技術の高さが記されていた。
製紙工房はPrato(プラート), Amalfi(アマルフィ), Venezia(ヴェネツィア),  Cividale del Friuli(チビダーレ・デル・フリウリ)や他のコムーネにも有った。 最近Carlo E. Rusconi氏がCartiere Burgo(ブルゴの製紙工房)の歴史を書いたモノグラフィーに1292年、ヴェネツィアの文献によると今まで知られてはいなかったがModena(モデナ)の街にも製紙工房が有ったことが分かるという。
参考:http://montanari.racine.ra.it/iper_agenda21/carta/storia.htm

次はこう。
1235年公証人の記録によると、Genova(ジェノバ)に製紙工房があった。
工場の責任者はリグーリアの製紙工房の人と、Lucca(ルッカ)の製糸業者だった。
13世紀の終わりごろには確実にアマルフィ、ジェノバ、ボローニャに製紙工場が有った。
しかし、carta bambagina(コットン・ペーパー)の製造ではUmbria(ウンブリア州)との境にあるMarche(マルケ州)のファブリアーノの発展は目を見張るものがあった。
参考:https://www.lavoroeditoriale.com/estratti/Antica-cartiera-di-Fabriano-estratto.pdf
そう、山科様のブログに書かれていて、はっとしたのだが、
「西洋の紙は、伝統的には、亜麻、綿。廃布などで作る紙であって、竹、楮、三椏、雁皮などで作る東洋の紙とはちょっと違います。」
carta bambaginaはまさにこの綿毛で作る紙のことだった。
bambaginaとはビロードのような肌触りとまるで赤ちゃんの肌のような柔らかさ、という意味から名付けられた。
Wikipediaなどを見るとこのbambagina=アマルフィの紙と書かれているが、bambaginaはファブリアーノでも作られている。

結局、ちょっとサイトを探しただけではどちらが最古かという決定打はみつからなかった。
見れば見るほど違う話が出て来るのがイタリアって感じ。

親から子へ、口から口へ伝わった紙づくりは、戦後本来の作り方が分からなくなってしまった。
アマルフィではそれを憂いた人がいた。don Luigi Amatrudaだ。
資料を探し、再制作を試みた。
そして1980年代、ファブリアーノとアマルフィ、どちらが優れた手すき紙かという”戦い”に終止符が打たれた。
アマルフィは勝利し、ファブリアーノは頭を垂れた。
勝敗の決め手は、アマルフィが古いやり方を踏襲しを復元したことと、その品質だった。
参考:http://www.amatruda.it/rassegna-stampa/la-preziosa-bambagina-gioiello-di-amalfi

今アマルフィでは13世紀に有った製紙工場の中を博物館として見学することが出来る。
(新型コロナの影響で現在は一時的に閉館中)
写真は2013年私が現地で撮ったもの。
1時間くらい説明してもらったんだけど、既に何の器具か思い出せない…














この板の上に繊維を載せる。透かし入り。





紙を薄くプレスする。1700年代のもの。

プレス機。
1969年にこの工場で生産された最後の紙が挟まれている。
博物館のギフトショップの片隅に置かれていた。

漉いた紙を乾かしてる。


水槽だったかな?


ここに置かれている機材は全て修復され、現在でも動くようになっているという。


さりげなくPresepioが有るぞ。

紙はきれいな水がないと作れない。


透かし。錨マークがいかにも海洋都市だ。

最後に光にかざして透かしを見せてくれた。
https://www.museodellacarta.it/

1954年11月、大洪水があって印のところまで浸水した。

アマルフィのほとんどの製紙工房はつぶれ、残ったのは3家族だけだった。
1軒は Francesco Imperato。ここは数年後にPalermo(パレルモ)に新しい工房を建て、現在もCartiera F.sco Imperato & F.gliの名前でティッシュペーパーを作っている。
2軒目は現在この博物館になっているMilano。
そして3軒目が今でも最高級の手作り紙で世界的にも有名なAmatruda(アマトゥルーダ)だ。
Amatrudaに関してはこのサイトが詳しい。
私もアマルフィでお店に入ったけど、非常に素敵だが、お値段も良かったので、買えなかった…
体験した手すき紙はどこかに有るはず…見当たらず。
Amatrudaのオフィシャルサイト:http://www.amatruda.it/it/cartiera-amatruda

そういえば、この博物館に行ったのは美濃市とアマルフィ市「紙の文化交流」のニュースが取りざたされていたころだった。(参考:http://www.city.mino.gifu.jp/pages/6224)

需要とは別に、こういう伝統を永遠に伝えていく必要性を強く感じる。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿