イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

「かわいい浮世絵 おかしな浮世絵」を見て、擬人化について考えてみた。

2019年02月01日 11時31分52秒 | 展覧会 日本

動物や植物などの擬人化された絵画、というのは日本特有のものなのだろうか?
私が知る限り、西洋で擬人化された絵を描いたのはヒエロニムス・ボスやブリューゲルくらいではなかろうか?
童話の世界なら「長靴をはいた猫」とかあるけれど…

西洋絵画における「擬人化」で真っ先に思い出したのはこの絵

例えばこの絵はヨーハン・フリードリヒ・オーヴァーベック (Johann Friedrich Overbeck)の描いた「イタリアとゲルマニア」、国の擬人化だ。
なんでそんなことするんだ?
「擬人化は対象に人間のような内面・心理を設定することで、世界を認知するための方法である。社会的な存在である国家や地域を人として表すことは、メッセージを受け取る側と送る側にとっても関係性を強化することにつながり、政治的パンフレットや美術作品などで伝統的に広く用いられていた。」(引用:Wikipedia)と言っているけど、いまいちピンとこない。

余談だが、「Axis powers ヘタリア」という日丸屋 秀和の漫画があるけど、これも国を擬人化した歴史コメディで、特にイタリアのへたれさがよく出ていて面白い。

国の擬人化以外では、美徳の擬人化。

ヨーロッパの裁判所の前にはよく天秤を持つGiustizia(正義)の像を見かける。

Siena(シエナ)のPalazzo Pubblico(プブリコ宮殿、現市庁舎)に描かれたフレスコ画、Allegoria ed effetti del Buono(善政の寓意)。
ここには10あまりのvirtù(徳)が人や天使の姿で描かれている。

写真によって少々色が違うのが気になるが、こちらが向かって左側。

一番高いところに冠をかぶり、本(聖典)を持って浮いているのがSapienza divina(神の英知)
向かって左手には天秤を持ち、その天秤を水平に頭に載せているのがGiustizia(正義)。天秤は玉座に座ったこのGiustiziaが支配している。
天秤の皿の上に乗った天使たちは、右がdistributiva(アリストテレスの配分的正義)左がcommutativa(交換的正義)
左の天使は、1人を打ち首に、もう一人には冠を授けていて、右の天使は2人の商人に何か籠のようなものを渡している。
実はこれ、staio(スタイオ)という小麦と塩を量る円筒状の枡。これ1杯が1スタイオで、「スタイオ」は穀物を計る単位としてトスカーナ地方や中部イタリアでは現在も使われているらしい。
非常に新しい描き方ではあるが、このGiustiziaの下に座り、天秤につながる紐をつかんでいるのがConcordia(和)
この紐こそ、Giustiziaがいる世界と人間世界とを結んでいる。
Concordiaはシンボルでもある「カンナ」をお腹に乗せている。そのカンナで困難や矛盾を削りとり、市民に平等な権利を与え、もしもの時の困難を取り除く能力を有している。
紐は更にConcordiaの隣に並んでいる24人のシエナ市民に握られている。この24人の服は色もデザインも違うことから、社会的階層の異なる者や職業の異なる市民だろうと考えられている。
この市民の行列の先頭には、オオカミとオオカミに育てられたといわれる双子がいる。

そして丁度その上の一回り大きく描かれた人が擬人化されたシエナ共和国。


裁判官の恰好をし、トーガはbalzanaというシエナ市の2色模様の白と黒。

Cinta senese(チンタ・セネーゼ)というこの辺りで生育されている豚もこの配色。(横縞ではないけど)
向かって左手には王権の表象としての笏(しゃく)を持ち、反対の手では聖母子像が描かれた盾を持っている。まるで裁判官のようないでたち。右の手首に巻かれた糸は、隣のGiustiziaにつながっていて、これは善政を意味している。
シエナの頭上には彼を守るように3つの神学的徳、Fede(信仰)、Carità(愛)、 Speraza(希望)、 が飛んでいる。
左のFedeはキリストのシンボルである十字架を抱きかかえ、真ん中のCaritàはシンボルの燃える心臓を持ち、雲から覗く顔、キリストを見つめている。

シエナの横に座るのは、左からPace(平和)、Fortezza(剛毅)Prudenza(賢明)。シエナを挟んでMagnanimità(寛仁)、Temperanza(節制)、Giustizia dall'altra(他の正義)。
全て美徳の擬人化でみな頭に冠をかぶっていて、それぞれがシンボルとなるものを持っている。
Paceは平和のシンボルのオリーブの枝を持ち、オリーブの冠をかぶって横たわっている。
Fortezzaは肉体や精神の弱さと戦うために棒と盾を持っている。
Prudenzaは過去、現在、未来を表すオイルランプを持ち、現在生きるため、過去から学び未来を賢明に生きることを示唆している。
Magnanimitàが手にしている冠は「富」の象徴。Temperanza砂時計を見つめている。この2人が隣り合わせに座っていることは、爵位や富を賢明に熟考して必要なことだけに用いるようにと暗示をしている。
一番端の刀を持ったGiustiziaは調和の象徴で平等を表している。

とこのように西洋絵画には、概念や思想、国など目に見えないものを擬人化することはあっても、動物や植物をまるで人間のように描くことはほとんどない。

片や日本では、こういう擬人化はないと思う。(有ったら教えて下さい。)動物擬人化の最古の例として「鳥獣戯画」をあげるなら、12世紀頃から頻繁に動物の擬人化は描かれている。
色々調べてみると、「擬人化することでユーモラス感を醸し出している」という意見が多かったが本当に理由はそれだけなのだろうか?
動物と人間の距離が近いから?
日本人は万物に神が宿ると考えてきた、その辺は関係ないか?
などと考えながら、「かわいい浮世絵 おかしな浮世絵」の続きは…次回。

参考:http://polisemantica.blogspot.com/2018/11/lallegoria-del-buon-governo-di-ambrogio.html



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2 コメント

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そうですねぇ (fontana)
2019-02-03 15:35:23
山科様
いつも鋭いご指摘ありがとうございます!
そうですね、物語などと比べるのが筋ですね。そして、「南総里見八犬伝」の件、「確かに!」と思いました。
最近高階秀爾の「受胎告知」を読んだところで、そこにも「白百合や鳩、本など、共通して描かれるモチーフも多い。」と書かれているだけでした。「必須」というのは…ですね。
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擬人像 (山科)
2019-02-03 10:06:07
西洋でも、イソップ、狐物語などの挿絵本
装飾写本では、結構ありそうですね。浮世絵は出版物であり、むしろ本の延長ですから、比べるのはこちらのほうだと思います。

この擬人像という、抽象概念を人物にしたもの(URLのブールデルなど)は、これは西洋独自のもののように思います。プラトンのイデアの概念にちかい。私も初期オペラで「信仰」とか「誠実」とかでてくるのは、最初にみたときそうとう違和感あったしね。
 日本ではしいて言えば、南総里見八犬伝で、仁儀礼智などのシンボルが主人公になることぐらいですが、これも人間的物語が突っ走るので、人間離れした抽象概念の受肉化とはいえません。
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