余暇Hike気分

「起きチョッた~?」退職後の生活を楽しんでる私は娘からの電話に応えます。「起きチョるよ~!」

サビエル記念聖堂と亀山公園

2010-11-02 | ドライブ・たび
 山口市の瑠璃光寺五重塔の内陣特別公開に出かけた日、実はそこに行く前に県立美術館に行くことにしていたのですが、美術館前まで行って見ると休館! ありゃりゃ・・・、
その日は火曜日で休館ではないはずだったのですが、前日が祝日だったので翌日が休館、「昨日が祝日だった」ということを同行した3人とも失念していたのです><;アチャー

ぽっかり空いた2時間で、美術館のすぐ裏の辺りにある
サビエル記念聖堂に廻ってみました。


  サビエル記念聖堂は、大内義隆に庇護されながら山口で布教活動を行った、フランシスコ・サビエルの来山400年を記念して、昭和27(1952)年に建設されたカトリック教会です。
  残念なことにその聖堂は平成3(1991)年9月に失火により焼失してしまって、現在ある新聖堂は、平成10(1998)年4月に再建されたものです。 私がここを訪れるのは、新聖堂完成直後にあったパイプオルガンの演奏を聞きに来て以来のことです。
井戸端で説教するフランシスコ・サビエル像

右:サビエルの前にあるのは《アジアに平和を祈る・大聖年の鐘》

  足が痛くて思わしくなかったので私は、聖堂には行かずに駐車場のある亀山公園に残り、写真など何枚か撮りながらぼんやりと連れの二人が戻ってくるのを待ちました。
亀山公園から見えるサビエル記念聖堂

手前に見えてるのはサビエル記念聖堂の駐車場で
亀山公園の駐車場から二十数段下りたところになります。

亀山公園の駐車場の奥に置かれている
山口を第二の故郷として少年の日を過ごした国木田独歩の詩碑 


碑の文字は独歩の自筆の原稿を拡大したものだそうですが、
美しくて惚れぼれします。

公園駐車場から石段を十何段ばかり上にも公園は広がっていて
そこには長州藩十三代の当主毛利敬親公之像と、もみの木が見えました。

日本の
クリスマスは
山口から

記念樹
「モミの木」



  1552年12月24日、山口の地で宣教師らが賛美歌を歌って祝ったのが、日本のクリスマスの発祥なのだそうです。

  日本のクリスマス発祥の地が
  山口市と認定を受けた記念のモミの木らしい・・・
  毛利敬親公の騎乗する馬、今にも動き出しそうな姿態が素晴らしい!

  などと思いながらカメラを手にぼんやりと立っていると、毛利敬親公之像の奥の細い道から一人のご婦人の姿が現れた。 ウォーキングの速さで近づいて来られたご婦人は、「まぁ、ここであなたに会うなんて懐かしい!」とでもいうような笑顔だったので、私も笑顔で「こんにちは」とこっそりと言いながら道を譲った。
  すると、少し立ち止まって休むにはちょうどいいと思われたのか、
毎日この辺りをぐるりと歩いているんですよ。 以前は主人と一緒にあの山やこの山を登ってたんですけどね、80を過ぎてもう歩かんと言うので今は私一人で歩いてるんです。 ここまで来たら、ああ今日も生きてるナァ、となんだかホッとするんですよ。
と嬉しそうに話しかけてこられた。



  私よりも若く見えるけれども、ひょっとしたら少し年上なんだろうか・・・・と思いながら、
「そうですか。」と相槌をうった。

  敬老の日の集いも、一度行った事はあるんですが、今年はもう行きませんでした。 どうもあまり好きではない。 あなたはどうされてますか? と訊いてこられた。
私はまだ、敬老の日の招待を受けたことがない、、、、 「私もまだ行ったことがないんですよ。」と答えた。 ウソではない、行ったことがないのでそう言ったまで^^。 私が同年輩か? と感じたように、ご婦人も同じ様な印象を受けられたらしい。 日よけの大きな帽子をかぶり、杖をついてカメラを持って、こんなところに一人でぼんやり立っているのは、それ相当の歳にちがいない。

石段に咲いていたウリクサ     小枝ごと拾ふてどんぐり持ち帰り  ふじ


  お近くですかと訊かれるので宇部からなんですよと答えると、まあ!私は宇部高女に行ってたんですよ。 行ってたと言っても1年の時は上級生のなにやらの手伝いばかりで、2年生では勤労奉仕に出て、 3年の時には、あそこにあった紡績工場で回天の左舷(?)を作ってたんですよ・・・・・卒業証書はもらいましたがこれといって勉強はしてないんです。
・・・・社会勉強?だったんですね・・・?
・・・・・  ・・・・・

  「回天?」と私はビックリした。 直前に小太郎さんのブログで話題になったばかりだったからだ。 そうでないと カイテン と聞いてとっさに回天とは分らなかったかもしれない。
  あの回天の一部分を造っていた? 学生?今で言えば高校生?なのに? 私が4歳の時に終戦になっていて、私の時代にはもう、宇部高女と言う名は影も形もなかった。 ということは、私とは少なくとも10年以上は違うことになる。 終戦間直には飛行機を飛ばすための油がなくなって、砂糖でブタノールという油を作っていたとも聞いている。 紡績工場も、本来の業務を擱いて回天の部品?を造っていたと言うことであろう・・・か?
宇部市立図書館にある赤レンガ


  そう言えば、図書館のところに残されていたのは紡績工場の煉瓦塀だったか。 そうかあれも戦争と無縁ではなかったんだ・・・・。 日本中のどこもかしこもが戦争一色になっている図がチラと思い浮かんだ。

頭の中でクルクルと思いをめぐらせながらも、「そうですか、、、」「まぁ! そぉ~ですか!」としか口からは出ず、目を瞠ってるばかりの己に、「オイオイ、聞いてるだけカイ」と軽く突っ込みを入れながらご婦人の思い出話を聞き続けた。
  物静かでそれほどおしゃべりではない彼女の口から、同年代らしい中安さん、河長の娘さん、、と私でも名前を知ってる程、宇部では有名な人の名前が次々にでてきて、当時を偲ばれ、60回も同窓会を続けたんですよ、と言われた。
水田さん、と名前が出たときに、「俳句をされてた?」と思わず口を挟んだ。 聞けばやはり、昔母が句会に行ってた頃に聞いたことのある、水田のぶほ先生のことだった。

  山大付属病院の院長としての先生を私は知らないが、毎月通っているその病院の外来棟の前で、先生の胸像が、ここにやって来ては帰っていく患者をじっと見守っておられる。
   水田信夫先生
先生は病院長および内科学第一講座教授として本学創設に盡力された。
学者としての先生は厳しい風格とともに常に若々しい情熱と卓抜した創意をもって研究と教育に當たられた。
先生は花鳥風月へ豊かな愛情をよせられる俳人でもあり、子弟には医師である前に人であれと諭される慈父でもあった。
      (胸像に書かれた文より)

  「俳句をつくられるんですか?」「いえいえ、作ると言うほどではないのですが・・・」となったときに、男性の声が聞こえてきて2、3人の人影が近づいてきた。

道を避けながら、お互い立ち話にしては長い時間が経ってることに気づき、なんとなく笑いながら、どうも失礼しましたと言い合って、彼女はまた歩き始めた。
チラッと振り返って、お互い笑ってまた小さく頭を下げた。
もう会うことはないであろう小柄なご婦人の姿は、すぐに公園の向こう側に消えていった。
宇部市立図書館の敷地に保存されている元紡績工場の赤レンガ

左:奥に見えるのが図書館        右:奥は県営住宅
左:赤レンガの間から見えているのは桃色れんがオブジェ

  調べてみると、旧宇部紡績は、昭和18年に呉海軍工廠宇部分工場となって、魚雷の部品などを作っていた、という記述があった。 それが広い意味での魚雷であったのかどうかはよく確かめられなかったが、それらしいことに使われたのは確かなことのように思える。

山口県選定近代化遺産として、今でもその「旧宇部紡績㈱倉庫」(構造:煉瓦1)が保存されている宇部市立図書館の敷地裏に、後日、行ってみた。



2002年にはその赤レンガ壁の傍に「桃色れんが──時間をつなぐ──」
として 桃色れんがオブジェ が置かれている。

  『この場所は、記憶の断片が本として蓄積される図書館と宇部市の産業遺産である旧紡績工場の壁と現在の人々が生活する県営住宅の3つに囲まれた場所であり、幾重にも重なる時間の断層が存在している。
 ・・・・・ 
桃色煉瓦は、かつて宇部・小野田地域で採掘されていた石炭の灰を再利用(リサイクル)して大正時代から昭和40年代まで製造されていたものである。 (桃色れんがオブジェの説明文より抜粋)』
桃色れんがの
説明文




桃色れんがに纏わり付くようにひらひらひらと飛んでいるのは、
これが蝶調さんのところで見た キタキチョウ??


  撮ってもどうしようもないのに、動くものがいたらついつい私はカメラを取り出してしまうんですよ、 とご婦人に言いながら苦笑している自分の姿を想像しながら、 ひらひらと飛び回る黄色い蝶を私は追いかけた。
   ・・・・・・・
  飛んでる蝶なんか、撮れないってば~! いいかげん学習してよね~!~



瑠璃光寺五重塔(山口市)

2010-10-25 | ドライブ・たび
山口の誇る国宝 瑠璃光寺五重塔
  瑠璃光寺五重塔は、嘉吉2年(1442年)に大内義弘の菩提を弔うため、弟の大内盛見(もりはる)が、香積寺(こうじゃくじ)の境内に建立したと言われているようです。
  香積寺は後に解体されて萩の方に移されたそうですが、ガイドさんの説明では、五重塔は市民のたっての願いで残されたのだということでした。
  瑠璃光寺は曹洞宗の寺院で、五重塔を中心とする境内は香山公園として整備がなされていて、平成18年10月に、歴史的・文化的資源を適切に保存・活用している、ということで「日本の歴史公園百選」の一つに選ばれています。

(1)


山口と言えば五重塔、その姿はとても美しく、
一年を通じて訪れる人は途切れることがないようです。

・・・・・ 1360+650=2010 ・・・・・

  今年は山口開府650年にあたり、それを記念して9月18日(土)~9月26日(日)まで、国宝「瑠璃光寺五重塔」の内陣 が特別公開されるというので、21日に出かけました。
  直前に、山口開府650年記念バスツアーがあるのを知り、急遽それに乗ってみることにして、前の記事「龍福寺」の桧皮葺の葺き替え作業も見ることができました。
  定員20名でしたがツアー客は私達を入れて5人、1人650円は大型バスのガソリン代にもならなかったのではないかと思いますが、この五重塔も、ガイドつき資料つきで拝観させていただきました。 入口のところにボランティアのガイドさんが詰めておられて、何人か集れば、誰でもガイドはお願いできるようでした。
(2)瑠璃光寺・五重塔のある香山公園の入口


(3)門を入って正面に見えるのが 保寧山瑠璃光寺


  左手には瑠璃光寺資料館があり、その前には、山口市に大内氏の本拠を構えた大内弘世(ひろよ)の騎馬像が見えます。 五重塔は、ここから池を廻った右手側にあります。
(4)大内弘世の騎馬像



(5)  大内文化の最高傑作と言われている五重塔  (6)


────── パンフレットの "ひとくちメモ" より ──────
  法隆寺(奈良)、醍醐寺(京都)の五重塔と合わせて「日本三名塔」と呼ばれています。
  全国で重要文化財に指定されている五重塔は22塔あり、このうち9塔が国宝です。
  9塔のうち檜皮葺(ひわだぶき)は、瑠璃光寺と奈良の室生寺だけです。
  塔の高さは31.2m、このうち相輪は8.5mで、絶妙のバランスをかもし出しています。
  二層にしか匂欄がないこと、また、唐様円形須弥壇は唯一この塔だけです。
  (須弥壇は直径2.8m、高さ69m)
  二層の脇間羽目板にある菱紋は大内氏の家紋「大内菱」です。
  塔身は、初層で16畳間程度、四層で8畳間程度と、細くなっていきます。
  心柱の直径は、初層で45cmあり、上に行くほど細くなっています。
──────────────────────────


(7)東側(阿弥陀様の後から) 心柱(しんばしら)が見えています。


(8)北側
(阿弥陀様の右)から
                   
 
(9)コチラは南側
 (手前は大内義弘銅像)

 
濡れ縁と同じ高さに設置されている足場から中を見られるようになっていました

(10)


西を向いて、阿弥陀如来坐像と大内義弘銅像がまつられています。
須弥壇(しゅみだん・仏様をのせる台)は全国的にも珍しい 円形 で、
唐様のものはこの塔だけだそうです。

軒を支える組み物のことを斗栱(ときょう)と言い、軒の荷重を支えると共に、
五重塔の塔身を支える役割も果たしているのだそうです。

  各層隅の大斗(だいと)には、斗繰(とぐり)のない立方体の材木が使われていて、これは他の五重塔には見られないことだそうです。
(11) 斗栱             (12)→

(13)
(14)

(15) 逆蓮頭
ニ層の勾欄(こうらん・欄干)の
四隅の親柱の頭の彫刻は、
蓮の花を逆さにしたような
形をしていて、
逆蓮頭(ぎゃくれんとう)、
別名「唐様宝珠」というそうです。

(16)ニ層部分


(17)



境内出口に向かったところに、司馬遼太郎の記念碑や雪舟の像があります。

(18)司馬遼太郎の記念碑


 前に小太郎さんも書いておられた「街道を行く」の中で山口のことを記した部分の碑です。
(長州は、いい塔をもっている)
と、惚れぼれするおもいであった。
長州人の優しさというものは、
山口に八街九陌をつくった大内弘世や、
ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。
       司馬遼太郎「街道を行く」(一) 長州路より


(19)どうしてここに雪舟の像があるかというと・・・


  雪舟は、中国に渡りたいがために40歳前後に山口に来て、47歳のとき(1467年)に大内氏の遣明船に乗って中国に渡り、水墨画の修行に励んだそうです。
  有名な国宝「四季山水図」もアトリエとしていた山口の雲谷庵で描かれたそうです・・・

では終わりに、記念バスツアーで貰った絵葉書のうち2枚を。
(20)心柱(しんばしら)                 (21)五重塔


さすが絵葉書! 五重塔が光で美しく捉えられています。
光線は西日、自然光だけですかねぇ・・・??
心柱は下から見上げたところ・・・
・・・立ち入れませんのでこれは写真では撮れません。



好評に付き^^、残りの3枚もスキャンしました。
絵葉書は写真用紙ではなく、単なる印刷なのが残念です。
それから、瑠璃光寺五重塔や龍福寺の檜皮葺葺き替え作業に携わっておられる 桧皮葺師さんのブログを見つけましたのでご紹介します。
   「桧皮葺師の徒然日記」 ( 瑠璃光寺五重塔 ・ 龍福寺 )  
 


いつもは五重塔の扉は閉められています。
両横の連子窓から外の景色を見ておいでなのでしょうか^^。
前回の公開の時にも拝観してるのですがそのときは、
心柱と、びっしり置かれた古い経本が印象に残ってるのですが、
一体どこだったか??
須弥壇の中か、それより下だったようにと思うのですが・・・・?
今回は、経本は全く見かけませんでした。


重要文化財「龍福寺」

2010-10-18 | ドライブ・たび
重要文化財『龍福寺』本堂復原大改修特別公開

  9月21日この日は、瑠璃光寺五重塔内部が公開されているというので友と3人で山口市に向かい、五重塔と、本堂復原大改修中の、重要文化財「龍福寺」も廻るという、山口開府650年記念バスツアーに乗りました。
  一人650円、大きなバスに乗り合わせたのは私達を入れて5人・・・でしたがまあまあまあお蔭で、龍福寺で桧皮葺(ひわだぶき)の葺き替え作業の様子が見られたのでよしとしましょう^^。
 「今日は見られました、よかったですね。」とガイドさんも言われたことですし・・・毎日公開してるわけではなかったようです。



 
  「龍福寺」は、大内氏24代弘世が正平15年(1360)頃 館を定めて以後、200年間にわたり大内氏が政務を執ったという大内館の跡地に、建立された名刹です。

  「・・・この時代、大内氏の領国は中国、九州に及んだため、「山口」が政治経済の中心となり、海外との交易によって富の蓄積と異国文化の移入、京の戦乱を避けて公卿・僧侶などの文化人がこの館を訪れたことで、当時の山口は京都をしのぐほどの富と文化を誇ったといわれている・・・(史跡「(大内氏遺跡附凌雲寺跡)大内館跡」より)」

  その栄華も、天文20年(1551)、31代義隆が重臣陶晴賢(すえはるかた)の叛乱により滅亡し、龍福寺は、その陶氏を滅ばした毛利氏の手によって、弘治3年(1557)大内義隆公の菩提寺として建立されたお寺なんだそうです。


瑞雲山龍福寺山門
 


正面に見える建物の中で 葺き替え作業がおこなわれています



作業の様子をガラス越しに見学しました
 

  テレビでも報道していましたが、
桧皮を1.2cmずつずらして葺いて
いくのだそうです。
   こちらは、葺き替え作業中の写真を
 大きくしてみました。

桧皮葺の見本が置いてあったのですが、その説明によると、
桧皮は地上15~16m(ビルの4・5階)の位置で剥いでいるそうです。
良質の桧皮は、
肥沃な土地よりも痩せた場所に育ったヒノキから採れ、
同じ山でも麓より高い場所の皮の方が良質と言われているようです。

重要文化財「龍福寺」完成予想図、立派です!

美しい桧皮葺のそりを見て、あらためて「西の京」という言葉をかみ締めました。


境内の様子
 
 
 
 
 

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  山口を歩いてみると、瑠璃光寺五重塔だけが大内文化の傑作というわけではないという思いを知らされます。 まだ入ってみたことはありませんが、バスツアーの集合場所だった「菜香亭」も、伊藤博文などが利用していたと言うだけあって、大変立派です。
  この日は休館だったので、表からの写真を一枚だけ。

かなりの露出オーバーで・・・ーー;;


集合時間を待つ間に
「菜香亭」のすぐ近くの「豊栄(とよさか)神社」「野田神社」に行ってみたのですが、
この二つの神社は、境内に鳥居や社務所が2社共通になってるようです。

豊栄神社の御祭神は毛利元就、野田神社の方は毛利敬親・元徳なんだそうです。
最近富に足が痛くてー><ー;私は奥の方までは行きませんでしたので、
手前で撮った1枚を。



このあとバスは「瑠璃光寺の五重塔」へと連れて行ってくれました。
この五重塔も桧皮葺なんですよね・・・ 五重塔はまた次で。



「ビジターパフォーマンス」って?

2010-08-15 | ドライブ・たび
  急に行けなくなった人が居るので、巨人広島戦を見に行ける?と誘いがあり、2010/07/31(土)急遽広島球場、MAZDA ZoomZoomスタジアム広島 で野球観戦をしてきました。 
  席は3塁側らしいけど、広島球場なんだから応援は出来るだろうと、家にある広島グッズを抱えていきましたよ。 野球観戦はやはり、ただ見るだけではなくて遊ばなくっちゃね(^_^v

  同行のyoshiとちょしが、カーナビとケイタイの地図で駐車場を探し、○島銀行曙支店のPに駐車。 歩き出しながらタクシーを捜すが、都合よく通るはずないですよね。

お、球場が見えてきた! でもあそこに行くには
前に横たわる線路を どこから渡ればいいの?
とうとう、自動車整備工場のお兄さんらしき人に尋ねて
結局20分ばかり歩いてたどり着きました。
 


  席はどこ?どこ? と着いてみるとそこは「ビジターパフォーマンス 2階レフト」 という席・・・ ここではじめて「ビジター」と言う言葉の意味が
主催チームの相手方のことを言うのだと知り、コノ席が「カープグッズはゼッタイに使用しないでください。」という席だということを知りました。

  味方だろうと相手方だろうと、熱い応援あってのプロ野球、コノ席でのエチケットは固く守って、気持ちよく応援しました。

ジャイアンツの旗振りだー!!


向こ~~に見えるカープの応援席! フレーフレー!!


ホームランだー ウオー!


カープの攻撃! ランナー1、2塁!   ・・・・シーーン・・・
遠くカープ応援席からの声援は球場を包み込むように聞こえていましたよ


ナイターに立ち寄るふりや赤とんぼ   ふじ

ということで、ホームラン3本を放ち、5:0で巨人が勝った試合
あとの写真はまとめて・・・・


帰りは歩く元気もなく タクシーの順番待ち30分、、、
次回からは障害者用駐車場の予約に挑戦してみようか・・



夏だ、フラです!

2010-07-30 | ドライブ・たび
2010フラフェスティバル(第4回山口地区)
日時 平成22年(2010)7月11日(日) 
会場 下関市民会館(大ホール)



フラダンスのインストラクターをしている友人が出演するというので
友達に誘われて、はじめてフラダンスを見に出かけました。

動画は禁止でしたが、フラッシュなしの撮影はOKでしたので、
舞姫Puさんを想像しながら^^ 席から撮ってみました。

仕草にはそれぞれ意味があるらしいのですが、その意味は分らなくても
じっと見ていると、独特の雰囲気はなんとなく伝わってきます。

全部で75曲! プラス インストラクターの10曲!
画面は小さめにしていますが、
きれいな服装と優雅な仕草、それに、とっておきの笑顔だけでも!!

2010フラフェスティバル(第4回山口地区)

(一番右のマークをクリックすると、大きくなります。
  その左の砂時計マークで、写真の表示秒数が替えられます。)


二点買いました(^^)v

ドレス! ではなくて黒のTシャツと大きなバッグ(タブン衣装入れ?)

 
ロビーのすぐ裏には、青島(チンタオ)に行ったときに利用した
下関港国際ターミナルが見えます。

全部で7曲踊ると言う友人のダンスを5曲まで見て
友だち3人で遅い昼食(2時近くになっていた)を済ませ、
そのまま、帰途につきました。
途中、店閉いセール中という下関大丸をうろうろ、
店ごと買い取る勢いで?歩き回った、、疲れるはずだ・・・><;


~~~~~~~ *** ~~~~~~~

今日もむしむし暑いですよ~><~
おまけにMSNのみなさん、サインインしたら開けないよ~><~
~このモジュールの読み込み中にエラーが発生しました~
ですってよぉ・・・・あぢぃアヂィ



春の周防大島2・蝶展と野草

2010-05-27 | ドライブ・たび
  前の 「春の周防大島」 があまりにも詰め込みすぎて、身動きが取れなくなりましたので、 山本弘三さんの 「蝶の写真展」 をコチラに持ってきました。

周防大島で撮った野草も一緒に見てくださ~い。
。。。  。。。

2010年4月9日~14日まで開催されました
山本弘三さんの 「蝶の写真展~愛すべき大島の蝶たち~」 は、
今回の周防大島訪問の目的の一つでした。
愛すべき大島の蝶たち

さあ、写真展です!
  アサギマダラ アオスジアゲハ アカタテハ ヒメアカタテハ ベニシジミ ヤマトシジミなどと、沢山の種類の素晴らしい蝶のほかに、カウンターにはご自分で育てられたカバマダラの蝶になるまでが写真で紹介してありました、すごい!@@!
どなたもいらっしゃらなかったのですが
内緒で写真を撮らせていただきましたm(_ _m)

 
  貼ってあった新聞によると山本さんは、蝶の好む花を増やして
庭を「バタフライガーデン」にするのが夢なんだそうです。


  ひょっとしたら山本さんご本人にお会いできるかもと思っていたのですが、私が行った時はいらっしゃいませんでした、ちょっと残念・・・。

ということで、遠慮しつつ雰囲気のみの撮影になったのですが、翌日ブログ仲間の小太郎さんが行かれたときはいらっしゃったそうで、しっかり撮らせてもらっておいでです。 足りない情報はそちらの方でよろしくお願いしま~す^^。
   小太郎さんの『周防大島(3)』 はこちらです。
蝶の写真展だけでなく、大島大橋なども載せておられます。 ジゲの人の撮られた 大橋 は、堂々としていて、さすがです。 念願の橋にほこりをもつ島の人たちの思いが感じられます。

「桜基金」をして、置かれていた蝶の写真絵葉書を頂いて帰りました。

ナガサキアゲハ♂       大島の蝶 カバマダラ


シジミチョウ と    右は ジャムズガーデンのジャム↑

子供が持って帰っていたのもコチラに届いたので一緒に追加しました~^^ノ)

  会場はジャムズガーデン、ジャムも2壜買って帰りましたが、これがとてもとても美味しかった☆!☆ ので書き添えておきます。  日ごろジャムを食さないので、味を知らない^^ ということもありますが、ジャムってこんなに美味しいものだったんだと、再認識しましたよ。
  これです! と言いたくて写真に撮ったのですが、うむむ残念・・ もう口をつけてしまってたので><; 写真は中身は無しの空瓶になりましたーー。。
  手作りの味というのは、果物をただ甘く煮詰めただけではないのだと分り、目からウロコ!  この味でこの手ごろなお値段なら、もう1、2種類買って帰ってもよかったねぇ・・と子供と話したことです。  何種類もあって、試食コーナーもあったんですよ。  ☆試食、してみればよかった~~。 


*.。.:*・°*.。.:*・°*.。.:*・°*

周防大島をぐるりと廻る途中で、野草も何枚か撮りました。
思い出の一つとしてここに記録しておきましょう。

☆ 大多満根神社への石段のそこここに咲いていた スミレ



スミレは境内にも咲いていました

ゼンゼンぼやけて、好さがでていませんねぇ・・><;;


これも大多満根神社境内の キランソウ・金襴草  (シソ科 キランソウ属)

  クリックするとキランソウが沢山咲いてる様子

こちらは クサイチゴ  (バラ科 キイチゴ属)

(学名:Rubus hirsutus  別名:ワセイチゴ(早稲苺) ナベイチゴ)

バラ科キイチゴ属 の同じ仲間の このイチゴ、 日本では大きく
キイチゴ(木苺)、クサイチゴ(草苺)、ナワシロイチゴ(苗代苺)に分類されるらしい。


☆ 日本ハワイ移民資料館の駐車場のそばの草むらに咲いていた花

群がっていた ムラサキハナナ(紫花菜) (アブラナ科 エゾスズシロ属)

(学名:Orychophragmus violaceus 別名:ショカツサイ・諸葛采 ハナダイコン・花大根)

こんな風に咲いてるのは 初めて見ました。

隣りの草むらにはピンクの オドリコソウ(踊子草) (シソ科 オドリコソウ属)

(学名:Lamium album var. barbatum)

葉の頭が赤く色づく 「ヒメオドリコソウ」 は近所でもよく見かけますが、
この 「オドリコソウ」 の方が少ないのでしょうか。


☆ 最後に立ち寄った屋代ダム公園で見かけた野草は・・・

スズメノエンドウ Vicia hirsuta (マメ科 ソラマメ属)

カラスノエンドウより、花も葉もずっと小さい。

小葉の先端は平坦(丸みがなく)で、葉脈の先端は棘状に尖っています。
似た花にカスマグサがあるそうですが、小葉の先端は丸みをおびてるらしい。

タチイヌノフグリ (ゴマノハグサ科 クワガタソウ属)


花はたいていクルンと丸まったままです。
たまに こんな風に開いているのを見ると嬉しくなります(^-^)


フグリをつけたタチイヌノフグリの下に
丸い大きな葉をつけた花が・・・ →

これはナニ? と思いましたが
丸い葉をしていても
同じタチイヌノフグリだそうです。



タチイヌノフグリは、我が家の庭でも今年はたくさん育っています^^ゞ
同じ仲間のイヌノフグリやオオイヌノフグリが、
わりとなよっとして、地を這うようにしているのに比べ、
このタチイヌノフグリは、細いナリにも名前のとおりスッと立っています。
フグリをつけた後、すぐに茶色に枯れて来ます。
そうなると、これはナンだったかと訝るほど変わり果てます。

同類の中では花も一番小さくて、こんな風に写真を撮り歩くようになるまでは、
きっと目に入ってないですね。(^ー^)



春の周防大島を!

2010-05-24 | ドライブ・たび
お待たせしましたー!!やっと念願!?の大島大橋に着きましたー!

(1) 1976年7月4日に有料道路として開通した大島大橋

(1996年6月1日から無料開放になっています。)

  この橋を渡った向こうが、山口県東の瀬戸内海に浮かぶ周防大島、別名を屋代島といって、淡路島・小豆島に次いで3番目に大きい島です。
前は、久賀町、大島町、東和町、橘町の4町で大島郡を構成していましたが、平成の大合併で、平成16年の秋に周防大島町という一つの町になっています。
(2) 瀬戸公園から見た大島大橋 (大畠瀬戸に架かる全長1020mの トラス橋


「大島大橋は、fujimさんがいつか紹介してくれるでしょう」
と言われてから幾星霜・・・オーバーな(><)"
ええ、ええ、ず~っと前にコメントで言われてたんですよ。
私はチャンと覚えていましたとも^^  それ以来、
いつでも行けるけどいつ行こう・・・と構えていたのですが今回、
周防大島の山本弘三さんの『蝶の写真展』があるということなので、
4月10日、その写真展を見るのをかねて、行ってきました。



  瀬戸公園は、大島大橋の開通を機に、飯の山(いいのやま)の麓の大多満根(おおたまね)神社境内に整備された公園だそうで、大橋を渡ってすぐ左にあります。
公園から見下ろす対岸が柳井市大畠で、周防大島との間、大島大橋の下を流れる水道を「大畠瀬戸」といい、日本三大潮流の一つと言われているそうです。  橋を渡りながら車窓から撮ってみましたが、渦潮はうまく撮れませんでしたーー;。。

(3) 桜咲く瀬戸公園と大島大橋


大畠瀬戸の潮流には、「般若姫伝説」として伝えられる悲話があります。
  絶世の美女般若姫が、用明天皇に嫁ぐために上洛の途中、
この大畠瀬戸で嵐となり、沢山の供を亡くすのです。
供たちの災難を哀れみ、金龍神の怒りを鎮めて船を救うため、19歳の身でこの大畠の瀬戸に身を投じたというのです。
  息を引き取る前に、「二度とこの場所で、このようなむごい事故が起こりませぬよう、瀬戸の守り神となります。」 という言葉を残したそうです。

  このほかにも、「裸島」だとか、「柳井」の地名の由来など、この辺りには般若姫にまつわる伝説が多くあるようです。  そもそも金龍神の怒りとは何かなど、書けば長くなりますので割愛します。

  * 簡単な「般若姫伝説」についてはこちらで。 (平生町観光協会)
  * 般若姫の菩提をとむらうために建てられた、山口県熊毛郡平生町の般若寺については、 こちら海の風を想う「海風想」のサイトの 『般若皇大后宮 が、実際にご自分の足で歩いておられます。
(コチラはかなり深く考察されています。 興味のある方、読み度があります ^^)

  瀬戸公園が境内にある『大多満根神社』ですが、
この神社が周防大島で最初の社だそうで、古事記(国生みの神話)にある
大多麻流別命(おおたまるわけのみこと)が祀ってあるのだそうです。

(4) 大多満根(おおたまね)神社
 

その、大島最初の社の境内の傍らに『般若姫社』がありました。
般若姫社左手には、般若姫の霊を慰めるために豊日命(三十一代用明天皇)
が 建立したと伝えられる五重塔、般若姫慰霊の碑があります。

(5) 大多満根神社の右側にある 般若姫社


(6) 般若姫降誕!・・?

(大多満根神社の屋根と飛行機雲)

  このあと、今回の周防大島訪問の目的の一つ、大島Jam's Gardenで開催中の 山本弘三さんの 「蝶の写真展~愛すべき大島の蝶たち~」 を見ました。
   その様子は、こちらの方に移しましたのでどうぞ。

さて、あとは島をぐるりと一回り、車窓からの写真でさらりと流しましょう。

(7) 瀬戸公園を出て左回り国道437号の瀬戸内と桜を車窓から 


(8) 桜、さくらの海沿いの道を写真展のある日前(ひくま)へ


(9) いかにも南国の景色に包まれて走ります


写真展を見て、次は安下庄湾の景色を見たかったので県道4号で島の南側へ。
県道60号を、今度は海を右手に見ながら東に向かって走りました。 

(10) こんな奇岩が何箇所かあったような・・・? やっと1枚だけ撮れた! 


(11) 海沿いの道は途中で停められそうにありません


(12) 安下庄湾をぐるーっと廻って振り返る


本当は車を駐めて海に向かってシャッターを切ってみたかったのですが・・・
大島の二つ目の橋、沖家室大橋が前方に見えてきたときも、
走る車窓からではぜんぜん撮れませんでした。

(13) 沖家室大橋を渡って本島を振り返って(1983年3月18日に架橋 全長380m)


島の南端にある沖家室島(おきかむろじま)と本島(佐連・され)を結ぶ橋、
直線的な大島大橋とは対照的に流れるような曲線が美しい。
この橋を渡ってみたいというのは、今回の旅の楽しみの一つでした。
本当は沖家室島で行きたいところもあったのですが、
今回は渡っただけですぐに引き返しました。 次回?にしよう・・・

(14) 聞きしに勝る桜並木が続く「五条の千本桜」 (gifアニメ5枚)

桜並木は海沿いに走る県道60号線の道沿いに、
沖家室から片添ケ浜海浜公園までの約5kmも ずっと続いています。

(15)  海と桜! 一ヶ所だけあった途中の駐車場で  (16)
 

(17) おっ、アレに見えるは 潜水艦では!? 動いてる!!



駐車場がないし、座り込むような広場もないので、
皆さん通過して楽しむだけなのかナァ・・・と不思議に思っていましたが
五条を過ぎてすぐ、片添ヶ浜海水浴場あたりが大賑わいしていました。
桜を見てこちらでゆっくり楽しまれるんでしょうね。

五条の千本桜をあとに、島の東端へ。
最東端には、 陸奥記念館、なぎさ水族館などがありますが、
陸奥野営場に、使われなくなった飛行艇が展示されているらしいのです。

(18) 末永い平和を願って建てられた陸奥記念館


(19) お役目済んで静かに空を見上げている 対潜索的哨戒飛行艇 PS-1


陸奥野営場に不時着し、
そのままそっと
隠れてるようにも見えます。

(20)↓ 前から     (21)→


東端からまっすぐR437を西端まで戻り、周防大島庁舎に向かって県道を走り、
庁舎の先にある「ハワイ移民資料館」へ。 閉館時間ぎりぎりに
行きたいと言っていた yoshi の希望が叶いました。 が、時間は足らず、
早々に出ることになってしまった(><)  もう一度ゆっくり見たいらしい。

(22) 日本ハワイ移民資料館
 

そのまま山の方に向かって、海が見えるという 屋代治水ダム です。

(23) 最後に寄った 屋代ダム公園


遠い山の手前に光ってるのが海です、、、が、どこの海でしょうか?
あの三角の山が 柳井市の琴石山でしょうかねぇ。
そうすると、大島大橋は右手の山かげということになります。

(24) ダム堤?の柵はコイ模様やキジ?火の鳥?模様  (25) 
 ダム堤と放水
 
(本格的なロックフィルダムで、総貯水量155万トン、堤高46.5m、堤長371.7m)

(26) ダム(屋代湖)には白鳥やアヒル?が泳いでいました


(27) ダム周辺は公園、人工芝滑り台「チビッコゲレンデ」で楽しむ家族も
 

屋代ダム公園で午後5時を過ぎてしまい、いい時間になりました。
夕食は高速に上がってから取ることにし、帰途につきました。

(28) 心を残しながらも再び大島大橋を渡って帰ります。


行く先行く先桜が咲き誇る、いい季節の周防大島路を一巡りしました。
あそこもここもの思いはあったのですが、帰ってみると、
えーっとみかんの木! って、あったっけ??
といった情けない状態でした(><);
次回はもっとゆっくり落ち着いて見ようと思います。
春が済んだので 次は夏の・・・・ と言いたいところですが、、
そういうわけにも・・ねぇ?(^-^)?



横浜おまけ・新幹線から

2009-11-03 | ドライブ・たび
エ~~? まだ横浜なの~? おまけで~す。
横浜への往復に、新幹線の車窓から撮った写真などです。

10/10 09:06発の 新幹線(N700系)がホームに入ってきました(新山口駅)



9月に広島新球場で野球観戦したときに見えた
外野席後ろにゆっくり通過する新幹線。
向こうから見えたものは、こっちからも見えるやろぉ・・
ということで、
右側か左側か、広島駅の手前か向こうかも分らぬまま
yoshi と二人 カメラを構えていたのですが (^^)、、


広島カープ球場 「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」
上り線からは南がわ、広島駅をでてすぐのところでした。

10/10 09:33 見えた見えた! 「プロ野球日程 対巨人」となっています。
 
こんなに早い時間なのに外にはたくさんの人の姿が見えます。



10/10 11:07  京都・東寺の五重塔

さすがに立派な塔、京都の街を見渡しています。



みなと横浜の街角でついつい撮ってしまった草花を、 ^^いちおう・・・・・

ランタナと仲良しの セセリチョウと

オオスカシバです

イギリス館で

馬の博物館で

オニタビラコでもない、、なんだっけ?

ハキダメギク

大きな通りで、、、アジサイではないし・・・?
 
(後日追記です。  ↑ これは「カシワバアジサイ」だそうです。
放っておくとこのように、ドライフラワーのようになるそうです。
それから、最初の花は白いランタナでした。
教えてくださった大鳥居さん、ありがとうございました!)




10/12 14:29 「新横浜」を出発 帰路につきます



10/12 14:52 ここはどこかなぁ・・・一番奥の空との境は松原?? 
(写真下のバーを左右にスライドできます)

* 後日追加です *
↑上と下↓ の写真、奥の松原は
沼津あたりの千本松原だそうです。
この後の川も、富士川、安倍川、大井川と教えてもらいました。
地元Pu'uwaiさん、ありがとうございましたー。


10/12 14:53  広い広い稲刈の済んだ田んぼ



10/12 14:55  この青い川は富士川? でしょうか・・・

(富士川で当たり。 この辺りから見る富士山は絶景だそうです。)


向こう中央に風車が見えるのですが
10/12 15:02  これは ナニ川でしょうか?

(静岡市の安倍川でした。)



10/12 15:07  大井川?


南側に富士山は見えないのは分っていましたが
河、川ばかり 撮っていましたー^^ー。


10/12 17:57  深海ではありませ~ん

帰りの広島は、こんな時間になりました。


行きも帰りも同じ南側、
これ以外の車窓からの写真は、景色が流れてダメでしたよ。


おまけのおまけ (新山口のSL弁当ほか)

「はまっ子どうし」は横浜の水
「静岡茶」はなんと、新幹線車内の自販機で!
こんなところにも自販機があるなんて! 知りませんでしたよぉ。
フォアグラと名のつくもので、ハジメテ美味しいと思うものを食しました。
今まで1、2度食べた フォアグラのナントカは、
いったい なんだったの~??


中華街で食べた中華料理もおいしかったし、
お料理に恵まれ
我がコンデジ N2は まれに見る名器かもしれないと思わせてくれ
(って、これは得意のウヌボレですけどね^^あはは)
サッと エスコートしてくれる 都会の若者、 いいねぇ!うふ
な~んて 自分なりに満足した旅でした~!^^

ぐずぐず言ってないで次へ行け?
うふふ・・このペースがたまんないね~><~;

* ここでまたまた後日追記です *
 「はまっ子どうし」は横浜の水、と書きましたが、少し違っていました。
  販売者は横浜市水道局ですが、 採水場所は、山梨県南都留郡道志村
なんだそうです。  それで命名が「はまっ子どうし」。
横浜は人口が多いので近隣各地から水の供給を受けてるんですね。
教えてくださったhama² さん、ありがとうございました~!

  2009年の今年、
横濱開港150周年を記念して作られ、販売されているようです。
ペットボトルには「はまっ子どうし」の下に 「道志の森の清流水」と書いてありました。




横浜☆ブルーライト☆ヨコハマ

2009-10-26 | ドライブ・たび

2009/10/11 05:15 横浜・夜明けかはたれどき  (Click:L-size)
(左:コスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」 右:ベイブリッヂ)


薄暗くて、姿は見えてもそれが誰とも見分けがつかない、
夜明け前のおぼろげなそんな時間のことを
「彼はだれ?」 と尋ねることが語源となり
かはたれどき(彼は誰どき)」 と言うことを知ったのは
ほんの先ごろのことです。
10月11日 ホテルの小部屋のカーテンをそっと開けてみると
ちょうどそんな かはたれどき でした。

こんなところで こんな自然を !!
都会・横浜に来て、こんなに素晴らしい夜明けが見られるとは
思ってもいないことでした。
横浜の写真はもう、この1枚でいいような気がしましたが・・・
この後はすべて蛇足・・・? ということで^^。。

(蛇足のワリには写真が多すぎじゃー かはたれ!かばたれ!? ばかたれ?!)
などとは誰にも言わせないゾォ、
せっかくの美しい情緒ある言葉が><ダイナシニナル。
・・・え、私が言ってるだけ(@ _@;))きょろきょろーー;こりゃあイカン



07:16  都会の三角州^^? 影がなが~く伸びています。


14:00  (写真下のバーを左右にスライドできます)

中央を真っ直ぐ斜めに見える道が
臨港鉄道の一部約500mを利用した「海を渡る遊歩道」です。
橋梁もそうですが行って見ると
線路が埋め込んだままになっていて、当時が偲ばれます。

眺めもよく、ウォーキングやそぞろ歩き、近道利用にと
朝から晩まで人が途絶えることがありません。


かはたれ(彼は誰) と対をなす言葉 たそがれ(誰そ彼)
気がついたときにはもう 横浜のたそがれはとっぷりと暮れていました。


20:10

(焦点距離12mm F3.5 1/50 ISO-400 Pオート)

起きているとも眠っているとも思える 静かなネオンのまたたきは、
旅人の私をも含めて、
住民をやさしく見守ってることには違いないようでした。

21:18  (Click:Lsize)

(焦点距離8mm F2.8 1/10 ISO-400 Pオート)


00:55  えーっと、下弦のお月さま(月齢23日)と^^

(焦点距離8mm F/2.8 1/3秒 ISO-160 マニュアル)


ここまでの写真は、宿泊ホテル22階の小部屋から
ガラス越しに撮ったものでした。

(1万円?以上の部屋に泊まるということはこういうことだったのか~!
とカンゲキしてお金のことなんか忘れてしまったビンボー性のイナカ者でした~~!)



~~~~~ blue ~~~ light ~~~ yokohama ~~~~~
~~~ 以下は車窓から、 街なかチョコチョコ撮りを ~~~




横浜を自分の足で歩く旅行者に、これはいいと思ったのが
観光周遊バス「あかいくつ」 と 「水上バス」

「あかいくつ」は、桜木町駅から港の見える丘公園まで
ベイサイドエリアをグルッとめぐって走っていて 料金 大人100円

「水上バス」は、みなとみらい21地区から大さん橋を
海から結んでいて 料金 大人500円

どちらもまさに観光に訪れた人の足だなぁと思いました。


 
14:59 桜木町駅前「あかいくつ」乗り場風景


残念ながら私は赤い靴も水上バスも、乗る機会がありませんでしたが、
同行したyoshiは、私が結婚式に参列していた半日間、近くに住む中国の知人カップルと
これらを乗り継いで観光し、いい横浜記念になったとわくわくしていました。



うまく撮れていませんが中華街の賑わいと 関帝廟(かんていびょう)
 
三国志で有名な関羽さまが祀られている関帝廟は、中華街のシンボル

銀杏並木やけやき通りは緑が多い
 

ユーミンが式をあげたという^^教会 と その辺り
 

伊勢佐木町入口 ・ 県民ホール 立派!
 


赤煉瓦が良く映える 「横浜市開港記念会館」



街なかでちょいちょい見かけるのが、
みなとみらいを中心に走っている、ベロタクシー
人力のみではなく電動アシストがあり
オートバイのようにスロットルつきだそうで、初乗り300円。

 
ベロタクシーのベロ VELO とは、ラテン語で自転車のことだそうです。




「野毛ちかみち」 ? って近道のこと・・・?

国道によって隔てられた桜木町駅と野毛町方面を結ぶちかみち(近道・地下道^^)らしい。
 JR根岸線、横浜市営地下鉄ブルーラインと ぴおシティ、野毛の街を直結。


←ランドマークタワー
高さ296m・70階建の超高層ビル

 ↓マンホールの蓋にも
   帆船です



♪ あなたと二人で来た丘は 港が見える丘 ♪
色褪せた桜唯一つ 淋しく咲いてゐた
・・・・・・・

この歌にちなんで名前が付けられたという
「港が見える丘公園」 から見える ベイブリッヂ (Click:遠景)



~~~~~ blue ~~~ light ~~~ yokohama ~~~~~
~~~~~ よこはまの日暮れは早い ~~~~~



昼から夜への境に気がつかないうちに
そぞろ歩きは夜へとかわり 青いライトが瞬きはじめる


♪街の灯りがとても綺麗ね ヨコハマ~ ブルーライト・ヨコハマ~
あな~たとふた~り  幸せよ~~~♪

いつものように愛の言葉を ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
私にください あなたから

歩いても歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれてあなたの胸の中
足音だけがついて来るのよ ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
やさしいくちづけ もう一度
~~~~~~~~~~

思わず 何小節分も書いてしまいましたが^^ゞ
三々五々とそぞろ歩くみんなが、
心の中でこの歌を歌っているのではないかと思えるような
暖かくやさしい雰囲気がそよぎとなって動いている
そんな感じの 海を渡る遊歩道 からの一枚
ちょうど 6:00


遊歩道の写真は人に遠慮で撮れませんでしたので
昼間の上からの写真で・・・
日が暮れると 遊歩道の両側にはライトがつき
もっと多くの人が 佇んでじっと眺めたり そぞろ歩いたりです。




最後にサイレント横浜でおやすみなさい。

よこはま22階の小部屋から



横浜をほんの少し掠ったほどしか紹介できていませんが
これをもちまして Blue Light Yokohama からさようならします。
厭きずに読んでくださってありがとうございました。

(誰か もいちど連れてって~~!)




港の♪YOKO♪よこはま

2009-10-23 | ドライブ・たび
姪っ子が結婚! というのではるか横浜に・・・
ついでにもう一泊して 久しぶりの港の♪YOKO♪よこはまを!

弟が案内するというので、私たちがリクエストに掲げたところはどうも
「そんなところ あるの~??」
というところばかりだったらしい^^あはは


 帆船日本丸 と 横浜みなと博物館

まずは、自分たちだけでホテルから見えていた「帆船日本丸」の見学へ
自分たちとは、私と、同行したyoshiと、私の妹。
この半日だけは弟夫婦抜きで「横浜みなと博物館」にも廻って過ごしました。



右手の建物が「横浜みなと博物館」で、
左手には、見えていませんが「日本丸」が停泊しています。
この日は、日本丸の前で吹奏楽の演奏会があるようで、
みなさん始まるのを待ってるところです。


「帆船日本丸」  (後日写真を替えました Clickすると前に掲げてた写真です)


この帆船日本丸は、54年に渡って船員養成の任務に活躍した帆船
その任務を「“新”日本丸」に引き継ぎ
誘致されたこの横浜で、 昭和60年から
現役当時のまま 保存、公開されているようです

残念ながら帆は張られていませんが・・・

う~ん ロープロープロープ! (Click:ランドマークタワーと勝負?)

甲板にもたくさんのロープ



甲板にある手動舵輪





掃除道具でしたっけ?



コチラはれっきとした掃除道具、
このヤシの実で甲板をこするのだそうです。



洗濯桶

遠洋航海中に洗濯できるのは土曜日の午前中のみで、
20名に対して洗濯桶4つの水が割りあてられるそうです。

(gifアニメ 9枚)
1 計器をぴかぴかに  2 国際信号旗の収納  3 舵輪
4 羅針盤  5 手押しポンプ  6 エンジン  7~9 無線室を3枚



国際信号旗が納めてある手前に見える、ラッパのようなもの
これを使って声で伝達するんだそうです。 船内電話の役目^^?

無線室では 昔懐かし~い音でラジオ?が
流れていました、、、どこがちがうって ムセン・・・?



手すりがついている通路と ベッドルーム
 


診察時間は



落ち着いた雰囲気の船医室



しっかりした木製の階段



仕官サロン



明りとり



ステンドグラスにも帆船

とても美しい色です  これを見上げて
航海中の乗組員のみなさんが心を和ませるに十分な色合いに
しばし見とれてしまいました。


全体に磨きあげられた木のぬくもりがあって
しかも洋風。

翌日は体育の日で祝日、
だからでしょうか車窓から見えた日本丸には旗が!
(祝日を中心に年10回程度、国際信号旗が掲揚されるそうです。)


満船飾 (船首から各マストの頂きを経て掲げられます)



「横浜みなと博物館」の中の写真はありませんが、
横浜港が今年2009年(平成21年)、開港から150年目を迎えるということで
4月にオープンしたばかりのようです。
横浜港の歴史や文化などが紹介されています。

ペルーが・・・違った^^ゞ ペリー艦隊が入港したときの
(カタカナに弱いからねぇ、英語にして!><あはは)

模型が作られていて彼がどこにいるか探させたり、
横浜港操船シミュレーターがあり、
ほかの人が操船してるのをそばで見てるだけで
床がふわふわ波に乗って動いてるようで、酔いそうでしたよ><。



~~ ~~ minato ~~~ no ~~~ yoko ~~~ yokohama ~~ ~~


根岸森林公園「馬の博物館」

これまた殊更馬や競馬に興味があったわけではありませんが
観光周遊バス「あかいくつ」に乗ったのでは
行けそうにないところということで
横浜ベイエリアからは少し離れている 「馬の博物館」 です。

実は、私の馬力はいくらあるか? が知りたかったのです・・・
というのはウソですが、計りました! 0.1馬力でした!
ちなみにこれ以下の数字は、モニターに表示できないんですけどぉ・・・><


「馬の博物館」前には五冠馬「神賛(しんざん)」の銅像

昭和39~40年の代表馬で「ナタの切れ味」と呼ばれた五冠馬だそうです。


天皇賞

それまで「帝室御賞典競走」だった名称が、第16回(1947年秋)から
「天皇賞」として用いられるようになったということです。


馬の歴史が壁際に描かれていて・・・




「スーホの白い馬(モンゴル民話)」 に語られている
「馬頭琴」が、これです

「スーホの白い馬」も「馬頭琴」の音色もよくは知らなかったのですが
音色を 「スーホの白い馬-馬頭琴 by NAGISA」 で聴いてみると
これなら聴いたことのある音色です。

「スーホが作った、白い馬の形見の楽器が
今もモンゴルの人々に愛されている馬頭琴」 というお話が、
いかにも似合う音色で、素朴な郷愁を誘います。
(「スーホの白い馬」のあらすじ)


企画展は「馬のサーカス・大曲馬」
サーカスの原点である曲馬(馬上倒立や碁盤乗りなどの馬上曲芸)が
サーカスへと姿を変えていく歴史と文化が紹介されていました。
シャガールの色彩豊かな作品も、見ることができましたよ。


競争用鞍
ウエスタン用鞍
競馬の騎手が使用する鞍は、鐙(あぶみ)の位置が高く、
前のめりになる「モンキー乗り」。
レース中の競走馬は、時速60kmの速さだそうです。


儀装馬車 4号  STATE COACH (TYPE4)

(坐馭式・ざぎょしき 2頭曳  明治41年制作)
これと同型式の馬車が外国大公使送迎用として使用されているとか。


馬の博物館の裏手の広場にある“幻の馬”トキノミノルの像
どうして“幻”なのかは知りません><ゞ

トキノミノルの像の向うには、
根岸競馬場の1等スタンド跡が見えるらしいのですが・・・

大きくしてみましたが、木が茂っていて見えるのはわずか。

この木々の向こうにチョットだけ見えているのが
日本最初の競馬場の跡だそうで、
馬の博物館があるこの場所は
根岸競馬場のバックストレッチに当たるそうです。

広い広い根岸森林公園が広がっていて景色もとてもいいということなので
「馬の博物館」だけを見て出たのが、チョット残念でした。



~~ ~~ minato ~~~ no ~~~ yoko ~~~ yokohama ~~ ~~


「馬の博物館」を出て新横浜に向かう途中、
取りあえずは行ってみたくなる「港が見える丘公園」に寄り
生粋の浜っ子義妹の案内で「イギリス館」へ。

バラ園の向こうに見える「イギリス館」



入口の薔薇のマーク と 郵便受け
 
横浜市指定有形文化財と記されています



バラ園とイギリス館へいざなう噴水




このイギリス館は、昭和12(1937)年に英国総領事公邸として
建てられたそうです。

 

広い敷地に鉄筋コンクリート2階建てで建てられただけあって
とても重厚な印象を受けます。
東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていたとか、、。



 

 

ハロウィンが近いとあって
サンポーチ、客間、食堂にはそれように飾られていました。





~~ ~~ minato ~~~ no ~~~ yoko ~~~ yokohama ~~ ~~


いつものごとく写真詰め込み過ぎで申し訳ありまっしぇん・・・
さぞお疲れのことでありましょうm><m

えーーっと つぎは、、よこはまホテルの小部屋から・・・?