留学生のGHさん家族が、来月帰国することになりました。
彼らの来日は、私が留学生関係のボランティアを始めるのと時を同じくし、おつきあいは同時進行で流れてきました。
阿蘇、岩国、福岡ドームなど、いろんなところに一緒に行った思い出も貴重なものですが、外国人相手のボランティアが初めてだった私と、日本語はじめてのGHさんと、初めて同士の会話の中で、助けられ、教えられたことも多く、ともに成長させてもらった感の方が私にとっては大きなものとなっています。
それはさておき、9日もう一つ思い出作りに、彼らと下関に行きました。
まず、日の山の展望台から、眼下の関門海峡と関門橋にカメラを向けました。
(火の山から関門海峡を見下ろす)
(見たい写真のサムネイルに、カーソルをのせてくださいね。)
火の山を下りて、源平壇ノ浦の合戦に敗れた、平家一門と共に亡くなられた安徳天皇が祀られている、赤間神宮に参拝しました。
「赤間神宮」のサイト (言葉が難しい><; ですよ~)
赤間神宮~龍宮造り編~ (簡単な説明です。)
「水天門」は、安徳天皇が入水される折に、祖母が「今から海の底にある都へ行く」と語ったという話から、海底にある都ということで、世界唯一の「竜宮造り」で造営されたそうです。
水天門の裏(拝殿側)から関門海峡を臨む
このあと、水族館に行き、関門連絡船(おー、なんか懐かしい言い方、今でもこう言ってるんですよね。)で門司港レトロに渡って帰りましたが、今日はここまで、あとは日を改めてと思っています。
彼らの来日は、私が留学生関係のボランティアを始めるのと時を同じくし、おつきあいは同時進行で流れてきました。
阿蘇、岩国、福岡ドームなど、いろんなところに一緒に行った思い出も貴重なものですが、外国人相手のボランティアが初めてだった私と、日本語はじめてのGHさんと、初めて同士の会話の中で、助けられ、教えられたことも多く、ともに成長させてもらった感の方が私にとっては大きなものとなっています。
それはさておき、9日もう一つ思い出作りに、彼らと下関に行きました。
まず、日の山の展望台から、眼下の関門海峡と関門橋にカメラを向けました。
(見たい写真のサムネイルに、カーソルをのせてくださいね。)
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火の山を下りて、源平壇ノ浦の合戦に敗れた、平家一門と共に亡くなられた安徳天皇が祀られている、赤間神宮に参拝しました。
「赤間神宮」のサイト (言葉が難しい><; ですよ~)
赤間神宮~龍宮造り編~ (簡単な説明です。)
「水天門」は、安徳天皇が入水される折に、祖母が「今から海の底にある都へ行く」と語ったという話から、海底にある都ということで、世界唯一の「竜宮造り」で造営されたそうです。
このあと、水族館に行き、関門連絡船(おー、なんか懐かしい言い方、今でもこう言ってるんですよね。)で門司港レトロに渡って帰りましたが、今日はここまで、あとは日を改めてと思っています。
下関、すごく綺麗です。
私はいつも地下を通過して、九州に行っていたので上を知らないんですよ。ホント・キレイ。
下関も小学校の修学旅行で、秋吉台・下関に行ったきりです。まだ、橋は架かってなくて地下道を歩いて福岡県まで行き、引き返しました。そんな忘れていた昔のことを思い出しました。
赤間神宮の竜宮門の中の向こうに、山がきっちり入ってますね。イやあ、すばらしい。実によく撮れてます。
ところで、下関も火の山ですが、防府も火の山ってありましたよね?
ほんじゃ、また・・・・。
海峡っていいなあ。 狭くなっていて山が迫っていて向かい合っていて・・
下関、そんな遠くまで行ったこと無いんですよ。これから、行くからね。fujimさんのとこでしっかり下見をしてからね。
安徳天皇、わずか6歳でしたね。
怖かったでしょうねぇ、、、まだ幼くて怖さを知らなくておばばさまか母上さまにしっかりと抱かれて、、、いやじゃぁ、それでもいやじゃぁ。
狛犬の表情がなんとも和やかで救われますね。
きれーーーい!って褒めてる言葉ですよね、うれしーーーい!
細くなった海峡が、ずっと広い海に繋がってる様子や周りの山々、右や左に、じゃなくて西や東に行きかう船、早いのや遅いのや、見ていてあきないですよ。
橋が架かってから通ったことないんですかー?
九州に行く途中必ず「壇ノ浦PA」に寄って休憩がてら眺めますよ。
昔は汽車も通ってなかったですねー。 九州に渡るのに関門連絡船でしたよ。父方の実家が(墓地のあるところが)福岡なので何度か覚えがあります。
あの山は意識しないと、こうはいかないと思いません? そればかり考えていましたよ。 へへへ、、
宇部の東岐波にも「火の山」あるんですよ。
みんな、合図ののろしを上げるのに使ってたんでしょうね(合図に火を焚いたと書いてありました)。 えっ、そしたら下関から宇部、宇部から防府と伝わったんですかねー?
きれいですよねー。 向かい合っていて、、っていいですね。^^
潮の流れの様子を電飾で船舶に知らせてるの知ってます?
↑ E 3 とかずっと繰り返してるんですよ。
関門橋を車で通るとき見えますね。
えー、なんとか、写真をなんとかしないとと思って、、^^
そうよねー、なんといっても、「下」の「関」だもんね。 そちらから考えると地の果てですよね。
昔からだいたい負けたり敗れたりした人たちが、流れ着くところよねー、ここらあたりは、、、。
歴史弱いから名前は出さないけど、富士山に行く途中のガイドさんの話を聞いていて、そう思いました。
華々しい業績のある人たちはやはり、中央あたりにいるんだとね。
怖かったでしょうね。 できませんね。 幼い子を抱いて、、なんて、胸が張り裂けそうですよ。 できませんね。
へてから、大きな声では言えないのですが、Pu`wai さんのブログを見たとき「スンプ夢ひろば」て、あったんですよね。駿府ってよく聞くのにどこだか知らなかったんですよ。徳川家康が晩年駿府城に隠居していたのは知ってても、場所はどこだか知らなかったのです。岡崎のことか?浜松か?静岡かって。まさか聞くのも憚られるし・・・。え~、そんなことも知らんの~って言われそうで・・・。ほんで調べたら、静岡って書いてあった。駿河の国の国府があったところ。駿河の府中で駿府。明治になって静岡と改められたと・・・。
ほんじゃあ、駿府って、山口県と同じジャン、と思ったのです。周防の国の国府、周防の府中だから、「防府」ほうふ。長門の国の国府、長門の府中だから「長府」ちょうふ。今では長府と言ってもよその人には解りにくいですよね。下関って言えばすぐ解ります。山口県人は今でも色々長府って街の名を使いますよね。
そんなこんなで、Fujim さんの続きの写真が楽しみです。最初の関門海峡も、竜宮門も絵葉書以上です。ほんと素晴しいですよ。じゃあ、また・・・。
Pu'uwaiさんに失礼になると思ってですいね。
おー、ここの写真かーと地図見て確認、おまけに2月には富士山を見に行ったときに、船でそこを渡りましたモン、もうバッチリです。
だから駿府が出てきたときには、うん?とは思いましたけど、これはもう「駿」が同じだから、同じところに間違いない、と決めました。^^
それ以上のことはなーんも考えてなかったけど、さすが照れまんさん、防府、長府まで! 周防と長門ですもんね。 当然それぞれ国府があったんですよ。
でも、駿府と長府じゃ、なーんか差があるように感じるのは、やはりしもの方の国だからですかね~?