はじめて“Nice to meet you.”と外国の人と握手しちゃったヨォ!
娘のY子とfujipaが、昨日から山口県にホームスティ中のオーストラリア・サンシャインコーストクラブ20何人かのうちの一人Pさんのデイホスト(day host)を受けていて、今日の夕食には私も一緒に来ないかと誘われ、ホストのNさん宅に(ボランティアグループ「こんにちは」を主催している人でよく知ってるので)行くことになってしまった。
(私は話せないし料理が出来ないので絶対にいやだと言って、この手のホームスティ関係には顔を出さないことにしているんです。)
最初の一言くらいは英語で言ってみるかな、と頭で考えてはいたけど、車に乗り込むと直ぐに「konnnitiwa,○○ko」と先に声をかけられてしまって思わず「こんにちは」
ついにはじめて言えたのは、Nさん宅に着き下車してお互いが顔を見あわせてにっこりしたときでした。 〝おー、言ったゾ~〟
英語が話せる人から見ると滑稽でしょうが、たったこの一言を声に出して言うのがすっごく大変なんですよ~!(^o^;
ちなみに、同じく話せないfujipaは、「サンキュウ」と「プリーズ」と「OK?」「OK」で事は足りると平気?で皆さんの中に入ってるんですよ。
4月17日(火)
ときわ公園ピクニックでの
Pさん自己紹介の様子。
私は参加していませんが、fujipaの写真をちょっと拝借。
18歳のときに戦火を逃れて、6週間かけてイギリスからオーストラリアに移り住んだというPさんは、すらりとした白髪の70代半ばの女性。
年相応に話題が豊富で、滞ることなくずっと私たち相手に話し続けられるスタミナと社交性に敬服しました。
最初のうちは一つでも分かる単語を聞き逃すまいと聞いてたんですが、そのうち私の中ではBGMと化して、Y子やホストのNさんがときどき話す日本語によって、
彼女の家族のこと、紫外線を受けても元に戻るんだけど、いつかは戻らないでガンになるときもあるという話、オーストラリアの各州の紹介、シドニーとメルボルンをぐるっと回っただけでは広いオーストラリアに行ったとは言えない、などと次から次へと拡がる話に聞き入ってあっという間に時間が経ちました。
持ってきたアルバムやオーストラリアを紹介した冊子を指し示しながらの説明、話術に一同、うなずきあって感心しました。
ホームスティするには、ホストご家族に対する礼儀としてでも、このくらいの技量を持ち合わせていたいものだと思いました。
やっぱやっぱ、私には出来ない、スティするのもさせるのも無理、絶対手を出さないゾ~!
おなかの中でくっくっくっと笑ったことが二つあります。
一つ目は、「さぁ、あなた方の家族のことをどうぞ。」と言われてY子が「父と母は4年前にリタイアしています」という話をしたとき。
(会話上手の人は「ああ、そうですか」では終わりません。)
女性には家事があるのでリタイアはありません。でも、何かあったときのために、男性も料理を作り、女性も車を運転する必要があります、と話が拡がります。
「エエ、エエ、私たちは運転できます。」 男性は? Nさんのご主人とfujipaは苦笑い、、、。
二つ目は、我が娘Y子の話す声が小さいのを気にして、「Y子は soft voice」(こういうんですね~。不満じゃなくてほめてるように聞こえる。)
毎朝、鏡に向かって姿勢をただし、「Hello! Good morning!」とお腹の底から声を出すようにしてごらん。私は自分の孫に言ってるつもりで言ってるんですけど。
と、親の代わりに言ってくれるんですよ~ (^o^ゞ
娘のY子とfujipaが、昨日から山口県にホームスティ中のオーストラリア・サンシャインコーストクラブ20何人かのうちの一人Pさんのデイホスト(day host)を受けていて、今日の夕食には私も一緒に来ないかと誘われ、ホストのNさん宅に(ボランティアグループ「こんにちは」を主催している人でよく知ってるので)行くことになってしまった。
(私は話せないし料理が出来ないので絶対にいやだと言って、この手のホームスティ関係には顔を出さないことにしているんです。)
最初の一言くらいは英語で言ってみるかな、と頭で考えてはいたけど、車に乗り込むと直ぐに「konnnitiwa,○○ko」と先に声をかけられてしまって思わず「こんにちは」
ついにはじめて言えたのは、Nさん宅に着き下車してお互いが顔を見あわせてにっこりしたときでした。 〝おー、言ったゾ~〟
英語が話せる人から見ると滑稽でしょうが、たったこの一言を声に出して言うのがすっごく大変なんですよ~!(^o^;
ちなみに、同じく話せないfujipaは、「サンキュウ」と「プリーズ」と「OK?」「OK」で事は足りると平気?で皆さんの中に入ってるんですよ。
4月17日(火)
ときわ公園ピクニックでの
Pさん自己紹介の様子。
私は参加していませんが、fujipaの写真をちょっと拝借。
18歳のときに戦火を逃れて、6週間かけてイギリスからオーストラリアに移り住んだというPさんは、すらりとした白髪の70代半ばの女性。
年相応に話題が豊富で、滞ることなくずっと私たち相手に話し続けられるスタミナと社交性に敬服しました。
最初のうちは一つでも分かる単語を聞き逃すまいと聞いてたんですが、そのうち私の中ではBGMと化して、Y子やホストのNさんがときどき話す日本語によって、
彼女の家族のこと、紫外線を受けても元に戻るんだけど、いつかは戻らないでガンになるときもあるという話、オーストラリアの各州の紹介、シドニーとメルボルンをぐるっと回っただけでは広いオーストラリアに行ったとは言えない、などと次から次へと拡がる話に聞き入ってあっという間に時間が経ちました。
持ってきたアルバムやオーストラリアを紹介した冊子を指し示しながらの説明、話術に一同、うなずきあって感心しました。
ホームスティするには、ホストご家族に対する礼儀としてでも、このくらいの技量を持ち合わせていたいものだと思いました。
やっぱやっぱ、私には出来ない、スティするのもさせるのも無理、絶対手を出さないゾ~!
おなかの中でくっくっくっと笑ったことが二つあります。
一つ目は、「さぁ、あなた方の家族のことをどうぞ。」と言われてY子が「父と母は4年前にリタイアしています」という話をしたとき。
(会話上手の人は「ああ、そうですか」では終わりません。)
女性には家事があるのでリタイアはありません。でも、何かあったときのために、男性も料理を作り、女性も車を運転する必要があります、と話が拡がります。
「エエ、エエ、私たちは運転できます。」 男性は? Nさんのご主人とfujipaは苦笑い、、、。
二つ目は、我が娘Y子の話す声が小さいのを気にして、「Y子は soft voice」(こういうんですね~。不満じゃなくてほめてるように聞こえる。)
毎朝、鏡に向かって姿勢をただし、「Hello! Good morning!」とお腹の底から声を出すようにしてごらん。私は自分の孫に言ってるつもりで言ってるんですけど。
と、親の代わりに言ってくれるんですよ~ (^o^ゞ
最初の 「nice to meet you!」がでれば立派ですよ。一番始めの出だしができるかどうかですね。
ホームスティは、結構大変だった。学校ぐるみ、地域ぐるみの時は何かしら行事があるからいいんだけどその後個人でも預かったことがあるの。これは大変だった。留学生も何度かお招きしたことあるけど、留学生の方がずっと昔の日本人のような美徳を持っていらして感心しました。私は「おかあさん」って呼ばれてました。「おかあさん」 の響き好きですよ。
そんなことぐらいでワーワー言って、と笑われるんじゃないかと、、、思っています。
ホームスティは想像しただけでも大変なのが分かります。
Y子たちは(FF山口⇒The Friendship Force of Yamaguchiだったかな?)、少しでも負担を軽くするために、ホストとデイホスト(昼間連れ歩く人)が組んでやってるようだし、8割くらいは団体行事になってるようです。
個人での引き受けだったらさぞ大変だったでしょう。
前から、Pu'uwaiさんは英語が話せるんだと分かりましたよ。
全く語学センスのない私は、語学の出来る人はすご~いと思うばかりです。