名残りの高原写真
阿蘇、久住、由布と回ったたびも
あとは大分自動車道玖珠ICを上がって帰るのみとなりました。
名残惜しいので、阿蘇、久住をあとにする前にもう一度、
旅行中ずっと私たちを見守ってくれていた
車窓に広がる緑豊かな高原の風景を載せたいと思います。
↑↓ 手前に白く流れて見えるのはウドの花だそうです。
いたるところで見られました。
独活の花は川原にも咲いていました(玖珠ICに上がる手前)
歌碑 こんなところに柱状節理!
山田SAを出てすぐの高速から見る車窓には
広大な麦畑が続いていました
この辺りは麦の産地でしたか、、、
見渡す限りの麦畑を、と思ったのにちょうどど真ん中に、、><ゞ
瀬戸内海には工業地帯があり、近くに海路がないことから
狭いながらも関門海峡を通過する船はとても多く、
そのために水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられています。
夜明け前に着くチンタオからの船も、夜が明けて公務がはじまる時間まで
六連島(ムツレジマ)あたりで停泊して待ちます。
門司側からの関門橋
対岸は門司と固まってしまっている山口県民・方向音痴の私は
えーっと、対岸が下関だから、、と
地図を手にぐるりと回してみないと、位置関係がなかなか把握できません。
対岸が下関ということは、↓右手に見えるタワーが海峡ゆめタワーで、
その少し手前の平たい屋根が、下関水族館「海響館」にチガイナイ、ふむふむ。
ひっきりなしに往来する船を眺めます 対岸辺りの地図
すっかり晴れて空は青く、暑いくらいの日差しとなりました。
行きかう船をながめながら、と言ってもこの時間は
ほとんど西から東に向かっていましたが、
いにしえの人たちも、この海峡めがけて船を進めたのだろうななどと
ぼんやり思いを馳せながら今回の旅を終わります。
開け放ち薫風満たす旅帰り
おつきあいありがとうございましたー! m(^-^)m
あとは大分自動車道玖珠ICを上がって帰るのみとなりました。
名残惜しいので、阿蘇、久住をあとにする前にもう一度、
旅行中ずっと私たちを見守ってくれていた
車窓に広がる緑豊かな高原の風景を載せたいと思います。
↑↓ 手前に白く流れて見えるのはウドの花だそうです。
いたるところで見られました。
独活の花は川原にも咲いていました(玖珠ICに上がる手前)
山田サービスエリア (大分自動車道・上り)
(福岡県朝倉市)
朝倉や木のまろ殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
天智天皇(中大兄皇子時代)
この歌は「新古今和歌集」のなかに、天智天皇の御製として収められているもので、「筑前朝倉の地で、丸木で建てた館におれば、宿直のものが名乗りながらいくのが聞こえてくる。あれは誰の一族のものだろうか。」といったような歌意である。
663年、朝廷軍は朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍と戦ったが大敗した。この事が大宰府の起源ともなった。(山田SAにある歌碑より) と書いてあります。
(福岡県朝倉市)
朝倉や木のまろ殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
天智天皇(中大兄皇子時代)
この歌は「新古今和歌集」のなかに、天智天皇の御製として収められているもので、「筑前朝倉の地で、丸木で建てた館におれば、宿直のものが名乗りながらいくのが聞こえてくる。あれは誰の一族のものだろうか。」といったような歌意である。
663年、朝廷軍は朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍と戦ったが大敗した。この事が大宰府の起源ともなった。(山田SAにある歌碑より) と書いてあります。
歌碑 こんなところに柱状節理!
山田SAを出てすぐの高速から見る車窓には
広大な麦畑が続いていました
この辺りは麦の産地でしたか、、、
見渡す限りの麦畑を、と思ったのにちょうどど真ん中に、、><ゞ
めかりパーキングエリア (関門橋エリア・上り)
(福岡県北九州市)
(福岡県北九州市)
関門橋エリアには、 門司側に「めかりPA(上り)」 下関側に「壇ノ浦PA(下り)」があります。 どちらからも関門橋、関門海峡が眺められ、旅の途中の絶好のビューポイント、 見ていて厭きることがありません。 →展望台から見たPA駐車場→ |
瀬戸内海には工業地帯があり、近くに海路がないことから
狭いながらも関門海峡を通過する船はとても多く、
そのために水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられています。
夜明け前に着くチンタオからの船も、夜が明けて公務がはじまる時間まで
六連島(ムツレジマ)あたりで停泊して待ちます。
門司側からの関門橋
対岸は門司と固まってしまっている山口県民・方向音痴の私は
えーっと、対岸が下関だから、、と
地図を手にぐるりと回してみないと、位置関係がなかなか把握できません。
対岸が下関ということは、↓右手に見えるタワーが海峡ゆめタワーで、
その少し手前の平たい屋根が、下関水族館「海響館」にチガイナイ、ふむふむ。
ひっきりなしに往来する船を眺めます 対岸辺りの地図
すっかり晴れて空は青く、暑いくらいの日差しとなりました。
行きかう船をながめながら、と言ってもこの時間は
ほとんど西から東に向かっていましたが、
いにしえの人たちも、この海峡めがけて船を進めたのだろうななどと
ぼんやり思いを馳せながら今回の旅を終わります。
開け放ち薫風満たす旅帰り
おつきあいありがとうございましたー! m(^-^)m
お帰りなさ~い。 飛行機、路面電車は分かりますが、途中にレンタカーも入るんですか~@@?
長崎には私は10年ぐらい、行ってないような気がします。
長崎は今日も~♪、雨じゃなくてよかったですね。
長崎再発見の旅はいろんな花(人にも?)との出会いもあったんですねぇ。
いい旅だったようで、お土産の写真を楽しみにしています。
今まで、あれこれ見てたらもうこんな時間だ。一先ず今夜の分はお終い。
fuさん、照れまんさん、ヘルプ・・・SOS・・・・三人寄れば文殊の知恵!
この草な~に? ここリンクややこしいからうちに来て。KEN16さんのコメをクリックしてください。
大至急よ。 お待ちしています。
雲仙・島原あたり、長崎市内、そして帰りは大宰府天満宮で飛梅を見届けてきました。
殆ど雨には会わず最後の一時傘をさしたかな?
長崎の再発見の旅で、原爆の被爆地として40年ぶりの再訪でした。市内では赤いデイゴの花が咲き始め、また街路樹の植え込みの側でテイカカズラの白い花にも出会えました。
fujimさんの旅は、新緑のグーと自然いっぱいを感じたことでしょうが、KENは少し自然と人間との接点を色々と見られ、観光の旅とはチョッと変わった思い出多き旅でした。
fujimさんのフォトは、益々自然のシャープさと震度のある新鮮な色合いを感じます。KENはコンパクトですが、また少しアップします。感性が鈍ってます?
みんな説明してもらったよ~、ありがとう!
離心円さん、照れまんさんの言うとおりです、ハイ^^。
大内っちゃこの辺を治めた殿様、ぐらいしか説明できないけど、こんなんでいいかなぁ、詳しくは照れまんさんへ、と言おうかなと思案してましたよぉ、よかった。
「はくすきのえ」が頭の隅っこにもなかった私は、大内美人でもありません。 でも、はったい粉は分かりますぞ、おやつでしたからね。
離心円さんのお母さんは私と同じ年代ということですねぇ。 逆算すると離心円さんとウチの子は同じぐらい!?^^ ということは、うちの子もはったい粉を知らないということぉ?
そういえば、今、どこに売ってるかわかりませんねぇ。
え~、あのやんちゃ姫が大内のお姫様! 知らんかった、、。
いろいろお世話かけました^^ゞ ありがとうございましたー。
張った伊湖 こらー、私のパソコンは はったい粉が出てこーへん。
ちょっと待ってよ、はったい粉って、日本の食べ物と違うの?全国どこでも「はったい粉」やろう。
お八つに食べなかった。
黄な粉はお八つにならんけど、はったい粉はお八つになるよ。
お砂糖を入れたり、昔は 落雁のかけらを入れたりして、お湯か水を入れてぐるぐるかき混ぜて、どろどろにして。
これは、けっこういけるよ。日本の食べ物でしょう。
漢字で書くと、糗(はったい) やけど、俳句では「糗」と書きます。小さい字なので解りにくいけど、別名「麦こがし」とか「はったい茶」とか「麦炒粉」とか色々あり、夏の季語です。
これは、絶滅寸前季語事典を見んといかんなあ。
あ~あっ、大内氏も説明が必要なのかなあ?
昔、大内村と言うのがあって、ごめん。本当の場所は知らんノンやけど、だいたい防府市の中。
其処から出て、大大名になったのが大内氏。山口・島根・福岡大分の一部から 紀州の方も取っていた。
鎌倉から室町時代に一番大きくなった。
やさしく言うと、「一休さん」のアニメで、やんちゃ姫と言うのが出てきたのを覚えていませんか?蜷川新右衛門が、よくお守りをしていた姫。あの姫が、大内氏の姫です。
この大内氏の時代の山口県地方の美人を大内美人。
現在は、これも絶滅危惧種になっています。
書き出すと長くなるので、これくらいにしておきます。
ほんじゃ、また・・・・。
パソコンは「白好きの絵」と言ってます
大内美人って、聞いたことないよ~。
「大内」ってのは、土地の名前ですか?
「はったい粉」は、母の口から聞いたことあり!
なんとなく響きが関西っぽいわ。
「けったい」とごっちゃになってるかな?
ダラダラと並べた写真を見てくださってありがとうございます。
KENさんから大切なことは「出来上がったフォトを選ぶ感性!」と言われてるんですけど、選べなくてですねぇ><;
遠くの山が霞んでるのはいいですが、視界2、3mでは写真にもなりませんね^^。
久住登山途中のミヤマキリシマもいいでしょうね。
久住といえば、比較的なだらかな登山道なのに、頂上付近の急坂の苦しかったこと、1歩ごとに休みながらだったような、、、^^。
いきなり尊敬されてしまって照れてしまいますよ。
またどうぞ寄ってくださいね。
日本中、どこに行っても素晴らしい風景、感動する景色が広がっています。
ましてや自分の生まれ育った地は、また特別ですよね。
そちらからは遠くても、繋がりのある地ですからきっと、hamahamaさんもこれからも、行くチャンスは巡ってくるでしょう。
そのときにはぜひ、故郷の風を感じる kaerohama写真を見せてくださいね。
ガスがたなびいている渓谷がすてきですね。なかなかこういう景色に出会えないですものね。
私が阿蘇を旅したときは、台風がきてて観光バスの外は一面ガスの中、2~3メートル先も見えなくて、後でパンフレットを見て「こんなにきれいだったんだ~」って思いました。
やっぱり天気が一番です。
久住山に登ったときはとってもいいお天気で、fujimさんの写真のようなつつじが山一面に咲いていましたよ。 九重、「くじゅう」って読んでました。恥ずかしいですね。
最後の句、帰ってきて「我が家がいちばん」とホッとした時のものですよね。
こういう句が作れる人、尊敬します。
高原の緑、麦畑、関門橋、等など懐かしく観させてもらいました。
機会を作って、もう一度行ってみたくなりました。20年弱ではあっても、生まれ育った地の空気って言うのは、身体から消えないようです。
関門橋のPAは行きと帰りに其々立ち寄りました。海峡を航行する船を眺めてると異国を感じる事が出来ますよね。
そういうわけで上の子はチェ・ジウ、下の子はユンソナに似てるんですね~~^^あはは、どこどこ?誰の子が似てるって?
大内美人って、あの値段の高~い大内人形に似てるんですかねぇ。
それだとうちの子は違うなぁ。 あんな切れ長の目じゃないモンなぁ^^。 ウチにはおらんのう~~。
しかし待てよ、チェ・ジウには、、、似てないか^^。
はくすきのえも、その時からずうーっと頭に入ってるんですねぇ。
ふう、私の頭の回線とどこが違ってるんでしょうネェ。
私は旅行をしても意味がないんじゃないかと、近頃思うんですよ。
そこで何があったか、その建物に何をした誰が関与してたのか、そんなことをな~ンにも知らないでぐるぐる見て歩いても、感動のし具合がぜんぜん違いますよね。 知らないから見所も分からない、お金だけ使ってもったいないですーー;
そこでいくら説明を聞いても、周りの歴史を知ってるかどうかで理解度も面白みも違ってきますよね。
知らないから石碑を読んでも、「・・・と書いてあります」としか書けないんです、とほほーです。
ま、知ってる範囲で楽しんで少しでも膨らませていくようにしないとしょうがないですね^^。
そうか、シランかったか、、、大豆だときな粉、大麦ならはったい粉、
と思ってたけど、「はったい」とは米または麦を炒って焦がし、、となってますねぇ。 うーん、大麦でないと味が違うと思う^^。
たぶん麦なら簡単にできるので(お米より)、食の足しに2畝ぐらい作ってたんだと思う。 具合が悪い時も、お粥の代わりにこれをゆるめに作って食べたりもしました。
農家ではないので千把も自家製、父が作ったもので、たくさんの歯が上向いてるところに、麦の束を平たくしてバサッと被せて、歯の間に入れて手前にしごくというものでしたよ。 子供の仕事^^でした。
考えてみたらみんな食べるために、ワカメ取って来て干したり貝取りしたり石炭拾いしたり、さつまいもも干して保存したり乾飯作ったり、、、してましたねぇ。
やっぱり、村でしたね。石碑を間違えるはずは無いと思ったのですが、光の加減でしょうね。安心です。
ところで、山口県の方言に、言葉の最期に「そ」をつけるという話をだいぶ前に書きました。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主無しとて春なわすれそ」の「~そ」だと言う話です。
話は変わりますが、お宅のお嬢さんは美人さんではないですか?チェ・ジウやユンソナに似ていませんか?
あの先生が菅原道真の少し前に、白村江の戦いの授業をしました。
おぼろげな記憶ですが・・・。
あの大昔に、2万人ぐらいの軍隊を百済に派遣して、ボロ負けをしたという話です。
その時、大敗をしたにも関わらず、なぜか百済の美女軍団を2000人くらい日本に連れ帰っているらしいのです。どうやら百済の後宮の美人揃いらしいのですが、その人達を日本に避難させる為に連れ帰ったそうです。
その美人の一部の人が山口県に住み着きます。それが後に、大内美人と呼ばれるようになるそうです。
よその他府県の人は、大内美人って知りませんよね。
山口県人だけが勝手に言ってるような気もしますが・・・・。
その教師曰く。だから山口県は美人が多いいのだと・・・。
朝鮮系の美人の祖があるのだと言います。
Fujim さんのお嬢さん、美人さんではございませんか。もしかしたら、1500年位前の美人の祖がでていませんか?もしユン・ソナやボア に似ていたら、間違いなくそうです。
日本的には、大内美人ではなく、秋田美人ですよね。大内美人なんて、聞いた事が無いと言う人が多いと思います。
そこで、山口県人としては、声を大にして言っときます。
「大内美人」っていますよ~~。覚えてくださ~~~い。
その教師が教室をぐるりと見回して一言。
「この教室には、大内美人はおらんのう~~。」
「ほっといてんか~、ぷんぷん」と女の子が怒ってました。
麦畑は友だちの家で僅かに作っていてね麦踏はさせて貰ったことがあるよ。
千把ってきっと足でばたばた踏んで竪琴のような針金の櫛が上下してそこに穂を差し込んで実だけしごき落とす奴ね? 違う? 友だちの庭でおじさんがやっているのを初めて見た時に、なんてすごい機械なんだろうと子供心に目を瞠って見てました。
農家の友達の納屋には稲藁が積み上げてあってそこでかくれんぼするの好きだったなぁ!昔はのどかだったねぇ。 みんな貧乏でその日その日が精一杯だったのに人情が篤くてストレスなんて無縁だったねぇ。
海は遠かったから、田舎は山と畑ばかりで育ったよ。
お忙しかったんでしょうね。
私も退職するまでは、ぜんぜんこんなことするゆとりなんてなかったですもんね。
新しい行った先の、すてきな写真を楽しみにしています。
リンク先を大きくしたので大きくして見テン、足が出て村になってるのがやっと分かります^^。
そうですよ、ナント言っても海です。
瀬戸内海は工業地帯が並んでますし、体育の授業で海の中のコート係をした、我は海の子照れまんくんもいますし、夏には毎日パンツイッチョで、、っていう私の話はもういいか、、^^。
麦、実が入ってましたよ、麦の秋ですよ。
何を隠そう、麦踏もしたことあるし、刈った事あるし、千把でしごいたこともあるし、噛んでガムをつくったこともありますよ~。
出来た麦を精米所?にもって行って「はったい粉」にしてもらって、熱湯注いでぐるぐるかき回して、おやつで食べてました。 以上、分からない単語はありませんね^^。
九州の旅、楽しそうですね。
私も、ゆっくり回ってみたいと思いつつ、車の免許もないので、なかなか無理そうです。
気の合うお仲間との旅、これからも楽しんでくださいね
コメントはもったいなくて削除は出来ませんよ、このままでぜひお願いしま~す。
歌碑の文字は間違いなく言われるように「村」です。
「対」に見えますが大きな画面で確かめました。
ブログのリンク先の歌碑も、前の倍にして差し替えました。
「はくすきのえ」! 生まれてはじめて聞きました^^?ゞ
今日は父の日で子供たちがさっきまで来てたんですが、「そりゃあ、ハクスキノエやから村じゃろぉ。お母さん歴史を知らんのやろう。」 と言われてしまいました。
ハイハイなんも知りませんとも。あほですねぇ。
本読んだだけでよくそんなことが覚えられるモンじゃと 思ぉとります^^。
退職してからは皆さんと旅行などということは、このビデオ仲間とだけになりました。 ほかの皆さんはビデオを抱えての旅で、カメラと傘、杖の、人には見せられない格好も、みなさんのビデオにはバッチリ撮られてますよ、きっと><
俳句ももう少し数作らないと、ですね。
やっぱり、fuさんの方は海がすべてなんだってよくわかる風景ですね。海が工業に結びついていて、都市が海の地形を利用して発展してるんですねぇ。
私は関東平野の畑育ちだから、海と言うと海水浴くらいしか連想できなくて、上の写真見ていても緑の高原の方がしっくりします。牧草地がきれい、ハイジがいるよ。 国産麦畑があることが驚きです。大麦、小麦今頃が収穫時期なのです。畑も茶色に熟してますね。実が入(い)ってますね。ふふふ、生の麦の穂のもみを取ってよ~く噛んでいるとチゥーインガムになるんですよ。グルテンなんだけど、こんなことした事ないでしょう。 独活も牛もいるね。
fuさん、俳句が出ないなんて泣いてたけど、しっかり座布団貰ってる。いざとなるといい句がぽろぽろ出て来るんだから、これだから油断できないわ。
・J・PUは口からでまかせ、駄洒落だけで句にも、苦にもならないわ。
実は最初のコメントは削除してもらおうと、書き直していました。
せっかくのブログなのにイチャモンを付けて、・・・。
中大兄皇子の歌碑の写真。
大きくしてみましたら、どう見ても 白対江 と書いてあります。
略字が 村と対と とても似てしまったのか、石に文字を彫る その下書きが間違っていたのか、やっぱり 対 に見えます。
もし、歌碑に間違った文字を彫ったのなら、これはこれで価値がありますよね。とっても珍しいです。
もう一度新しいコメントを書いて、この二つのコメントを削除してもらおうかと思ったのですが、
いいですかね。勘弁してもらいましょうか。
百済 とか 白村江 などは、日本人が勝手に「くだら」とか「はくすきのえ」とか読んでいるだけなので、本当の発音はまったく違っていたと思います。
写真の趣味のある人達だけで行った旅行なので、とても楽しかったでしょうね。お互い、よく解りますから。
コメントの最期の俳句もいいんじゃないでしょうか。
だんだん、かる~~く俳句が出来るようになってきてるんじゃあないですか。
前の句も、窓と言わないのがいいですよね。「~薫風満たす~」 などはなかなかのものです。
技あり・・・です。 一本 !
急襲してくれてアラありがとう m^^mゞ 外国の地名はドウ読むのかワカランなあと思いながら写し取っていましたよ。
内容を知らないで書いてるのが丸分かりですねー。
まさか、マサカ、照れまんさんは「しろ・むら・え」って知ってたんですか~(@@!
あっ、そう! 青々した高原を保つために、秋吉台と同じように山焼きするんですね。 そうらしいですよ。
いろいろ書いてあることを資料として読んでも、時間ばかりとってもなかなか自分のものにならなくて、記事にまでするの難しいですね。
照れまんさんの記事を読んで、いつも感心していますよぉ。
旅帰りで通じますかネ? 締め切っていた窓を開けて入ってきた風に、旅の名残りの臭いを感じたというようなことを言いたかったんですけどね。また前回と同じ「余韻」を使うのもナンだし(語彙が少なく言葉の発想が限られてる><;)、、、。
俳句一つぐらいは書き残しておかないとと指を折ってみるんですけど、、折ったら痛いよ~^^ 痛くてできないよ~。
無我なれば霧中も楽し五月旅 ^^ゞ
こんな身近な所に、雄大な大自然が残っているのですね。九州はやっぱり広いです。
素晴しい景色です。素晴しい写真です。
私が行ったのは、中学の修学旅行。山並みハイウエーが開通したばかりでした。
まだ、ドライブインなどが出来たてで、とてもキレイでした。
あれから何十年も経っているのに、あまり景色は変わってないのが嬉しいです。
大昔にも、九州北部に大勢の人が集められ、朝鮮半島に戦いに行ったのですね。
歴史を感じます。
ちょと蛇足ですが、白村江の戦 漢字が(対)になっているような?
すみません。せっかくいい写真を見せてもらっているのに、アラばかり探していて・・・。あら、ごめんなさい。
急襲 しちゃいました。
阿蘇山は私が登った唯一の山です。と言っても、駐車場から上までですから、子供の足ではわずかでした。全員歩いて登りました。教師は何人か、ロープウエーでしたけど・・・。
懐かしいですね。 あっ、そう!
最期の俳句。いいんじゃないでしょうか。
旅帰り がいいですよ。思いっきり窓を開けて、風薫る初夏の新鮮な空気をいっぱい部屋に入れている。
これは、久々に、
☆ 座布団一枚! ☆ ではないでしょうか。