どちらの世界観を選択していますか。
肉体の中に意識がある。
意識の中に肉体がある。
自分の肉体の中に自分の意識がある。という世界観の中にいる人は
たとえそれが脳以外の場所だとしても、肉体が死を迎えたとき
意識も消えてしまうと感じてしまいます。
自分の意識の中に自分の肉体がある。という世界観に入ると
意識が肉体という限定された器から、限りなく大きく拡張していけます。
肉体が死を迎える時が来ても、表現の在り方が変化する事ととらえられます。
体脱は、肉体から意識を飛び出させるというのではなく、
意識そのものが肉体をも包み込んでいるということを
認識する(観念として取り入れる)ことで
簡単に体験できます。
肉体に限定されていない「意識」は全体の一部でありながら、
同時に全てです。 宇宙は一つであることです。
自分の意識はこの肉体の中にある。
この意識は全体であり一部であり、その中に自分の肉体がある。
どちらの世界観を選択しますか。
死を迎える時、肉体から意識(魂)を抜けださせますか。
それとも、静かに喜びを持って全体の意識から肉体が終わるのを眺めますか。
ありがとうございました。
藤本久
肉体の中に意識がある。
意識の中に肉体がある。
自分の肉体の中に自分の意識がある。という世界観の中にいる人は
たとえそれが脳以外の場所だとしても、肉体が死を迎えたとき
意識も消えてしまうと感じてしまいます。
自分の意識の中に自分の肉体がある。という世界観に入ると
意識が肉体という限定された器から、限りなく大きく拡張していけます。
肉体が死を迎える時が来ても、表現の在り方が変化する事ととらえられます。
体脱は、肉体から意識を飛び出させるというのではなく、
意識そのものが肉体をも包み込んでいるということを
認識する(観念として取り入れる)ことで
簡単に体験できます。
肉体に限定されていない「意識」は全体の一部でありながら、
同時に全てです。 宇宙は一つであることです。
自分の意識はこの肉体の中にある。
この意識は全体であり一部であり、その中に自分の肉体がある。
どちらの世界観を選択しますか。
死を迎える時、肉体から意識(魂)を抜けださせますか。
それとも、静かに喜びを持って全体の意識から肉体が終わるのを眺めますか。
ありがとうございました。
藤本久