私たちは、毎日3つの状態を繰り返しています。
起きて目が覚めている状態。
眠りの中で夢を見ている状態。
深い眠りの中で何も経験していない状態。
この3つの状態を繰り返し繰り返しています。
そしてあなたは、この目が覚めている状態の中で、これを読んでいます。
しかしこの目が覚めている状態の世界は、夢見の状態、そして深い眠りの状態のときには
どこに行ってしまったのでしょう。
あなたは、毎日夢を見ています。
覚えているか、忘れているか、忘れていることさえ忘れているかは
別にして夢見の世界にいました。
もちろんあなたはあなたの体を持ち、行動し、感情に流され、喜びや悲しみ、恐怖さえ抱きました。
ところが目が覚めた時、あなたは夢見のときの恐怖や悲しみを気にもしません。
何故でしょうか。
深い眠りのとき、行動や感情は起こりません。
また見るべき世界、経験する世界もありません。
何故でしょうか。
眠りから覚めた時、私たちは見るべき世界を立ち上げます。
自我が立ち上がり、それとともに世界も表現されます。
私たちは時折、急に起こされて自我の立ち上がりが間に合わず、
「ここはどこ?私はだれ?」を一瞬経験することがあります。
見るべき世界、経験する世界は自我とともに立ち現われるのです。
夢見の状態のときにも、目が覚めている状態の時よりも精妙にはなりますが、
同様に自我とともに見るべき世界が立ち上がります。
しかし深い眠りの中では、世界は立ち現れず、自我も出てきません。
自我のない世界。その状態に私たちは毎日入っているのです。
そこは、至福の状態。
つまり私たちは毎日、至福の状態に入っているのです。
眠りへの欲求は、1日も飛ばすことができないくらい強く
良い眠りへの望みは、至福の中に入ることへの欲求であり、
これが本来の姿です。
つまり、至福こそがあなたの本性です。
では、どうしたらこの目が覚めている世界で至福に気づくのか。
自我とともに世界が立ち現れるこの目が覚めている世界で
自我を消滅させることができるのか。
それが『本当のわたし』に気づくことです。
「大いなる存在」「神」「真我」「創造主」・・・
が『わたし』であることに気づくことです。
『わたし』が「神」「創造主」なのです。
ありがとうございます。
藤本久
起きて目が覚めている状態。
眠りの中で夢を見ている状態。
深い眠りの中で何も経験していない状態。
この3つの状態を繰り返し繰り返しています。
そしてあなたは、この目が覚めている状態の中で、これを読んでいます。
しかしこの目が覚めている状態の世界は、夢見の状態、そして深い眠りの状態のときには
どこに行ってしまったのでしょう。
あなたは、毎日夢を見ています。
覚えているか、忘れているか、忘れていることさえ忘れているかは
別にして夢見の世界にいました。
もちろんあなたはあなたの体を持ち、行動し、感情に流され、喜びや悲しみ、恐怖さえ抱きました。
ところが目が覚めた時、あなたは夢見のときの恐怖や悲しみを気にもしません。
何故でしょうか。
深い眠りのとき、行動や感情は起こりません。
また見るべき世界、経験する世界もありません。
何故でしょうか。
眠りから覚めた時、私たちは見るべき世界を立ち上げます。
自我が立ち上がり、それとともに世界も表現されます。
私たちは時折、急に起こされて自我の立ち上がりが間に合わず、
「ここはどこ?私はだれ?」を一瞬経験することがあります。
見るべき世界、経験する世界は自我とともに立ち現われるのです。
夢見の状態のときにも、目が覚めている状態の時よりも精妙にはなりますが、
同様に自我とともに見るべき世界が立ち上がります。
しかし深い眠りの中では、世界は立ち現れず、自我も出てきません。
自我のない世界。その状態に私たちは毎日入っているのです。
そこは、至福の状態。
つまり私たちは毎日、至福の状態に入っているのです。
眠りへの欲求は、1日も飛ばすことができないくらい強く
良い眠りへの望みは、至福の中に入ることへの欲求であり、
これが本来の姿です。
つまり、至福こそがあなたの本性です。
では、どうしたらこの目が覚めている世界で至福に気づくのか。
自我とともに世界が立ち現れるこの目が覚めている世界で
自我を消滅させることができるのか。
それが『本当のわたし』に気づくことです。
「大いなる存在」「神」「真我」「創造主」・・・
が『わたし』であることに気づくことです。
『わたし』が「神」「創造主」なのです。
ありがとうございます。
藤本久