大会5日目(8月10日)の柳井学園高との初戦終了後のインタビューで、「(次の日大三戦は)華々しく散る」と、らしい発言をした、島根・開星高の野々村監督。
1988年に野球部を創部してから、春2回、夏7回、甲子園に出場しています。
「和」の心を重んじているそうです。
その心が大会前の組み合わせ抽選会での羽織はかまで現れているということなのでしょう。
また、冬にはふんどし姿で選手と一緒に水をかぶる儀式があるそうです。
さらに、ナインの士気を高めるため太平洋戦争の特攻隊の映画を見せたり、合宿を自衛隊基地で開催していたりしたそうです。
監督があまりにも「和の心」を強調するため、使用するトイレを洋式から和式に変えた選手もいたといいます。
信条は「命がけ」。
夏休みで暇な太郎がミヤネヤを見ていて知ったそうですが、美術の先生をやっているそうです。
そして、あだ名は「山陰のピカソ」という。
卒業式では野球部の卒業生らに似顔絵入りの色紙を贈るのが恒例で、似顔絵は島根県警の警察学校が捜査に役立てるため、講師に招くほどの腕前だという。
美術と言えば芸術家だと思っている私。
なぜか納得することができました。
自分の信念を貫きとおしたのではないかと思えます。
去年の春のインタビューと違って、最後の甲子園となったこの大会。
最初の言葉がこの言葉だったそうです。
「ありがとうございました」
甲子園の名物監督がまた一人、去って行きました。