野球小僧

優等生でなくても良いと思う

ある、ルポライターの方の話です。Aさんは2015年初夏、41歳のときに脳梗塞で倒れました。

幸い一命は取り留め、血圧や血液の状態などを改善維持すれば再発リスクはそれほど高くないものの、左半身に軽度のマヒと、構音障害(呂律障害)、そして高次脳機能障害(以下「高次脳」)という後遺障害が残りました。

リハビリを経て短期間で回復したのは、身体や口回りなどフィジカル面のマヒ。高次脳については感情の抑制困難や注意障害,遂行機能障害が複雑に絡み合った形で残存し、「声は出るのにうまく人と会話できない」という、取材記者としては少々致命的な状況になりました。

自分の思うようなコミュニケーションが出来ない苦しさとの戦いの日々が始まりましたが、一方でそれまで取材対象者としてきた社会的困窮者や精神疾患・発達障碍の当事者の抱えている苦しさに気付けたという。そこから自己観察を続けて、脳にトラブルを抱えた当事者認識の言語化に挑戦し、闘病記を発行しました。しかし、脳卒中の後遺症ケアに携わるリハビリ職や精神疾患に携わる心理職の先生たちから、意外な言葉をもらったそうです。

「これほど早い時期から障害を受容して自己観察し、かつ前向きに社会復帰に挑めたケースは珍しい。充分に苦しかったと思うが、他の患者さんはもっと社会復帰に苦しい思いをしているかもしれない」

リハビリと社会復帰は辛かったことで、もう回復はないのではないかと絶望した時期もあったそうです。闘病記は自分自身への取材であって、他者への取材と執筆というそれまでの仕事とは違うから、きちんと復職できたという感覚はなかっらそうです。受容という言葉はリハビリの現場ではあまり好ましくなく、入院中に左手のマヒがあっても仕事に復帰できるようにパソコンの音声入力環境を整えたと言ったら、それはよろしくないとリハビリの先生に強めの制止を受けたなんてこともありました。「不自由でも使わなくては回復しない」がその理由です。受容したら回復しない。でも、先生たちは、受容しなかったらもっと苦しい思いをしたという。

病院のトイレの個室の中、こっそりとフルーツゼリーを食べていることがありました。その頃のAさんには、高次脳の中でもポピュラーな半側空間無視の症状が出ていて、病院食のトレーの左側にある食べ物を認識出来ずに食べ残してしまうことがありました。そのゼリーは、その食べ残しでしたが、これを残したことを看護師や家族や主治医に見られると、半即空間無視の障害が重いと判断されてしまうという思いがあったという。そこで食事のトレーを回収しに来た看護助手さんに気付かれないようにゼリーをすかさず隠し、後にトイレで食べていたということだそうです。つまり、自分自身、全然受容出来ていないと気づきました。思い起こせば発症から少しの間、自身の障害を認めない、または周囲に隠したというエピソードが多くあることにも気付いたそうです。

その後、Aさんがようやく自分の障害を受容することが出来たのは、奥さんのおかげだそうです。

「ようやくあたしの気持ちがわかったか」

これは奥さんが入院中のAさんに投げかけた言葉です。高次脳になったAさんが、感情のコントロールが効かず、上手く話すことが出来ず、世の中の動きが速すぎて自分だけがスローモーションの中にいる苦しさの中、「これって俺が取材してきた『困った人たち』と同じかも知れない」と一番告げたのが、奥さんでした。Aさんの奥さんは子ども時代には典型的なLD(学習障害)児で、かなり激しい注意欠陥もあり、適応面に色々と問題があって20代前半にはハードなリストカッターであり、ここ10年来仕事に就いたこともない、Aさんの言うところの「困った人」です。そんな奥さんがこう言います。

「あなたは病気になることで劣等生になった。わたしから言わせれば、あなたは子どものころから何でもやれちゃう優等生だったんだよ。で、それで病気で劣等生になったから辛いんでしょ。でもね、優等生だったときの自分に戻りたいと思うから辛いんだよ」

「でも、そんな、やれなくなっちゃった自分は嫌なんだもん。ていうか、少なくとも病前の働ける俺に戻らなきゃ、働かない君を養えないじゃないか!」

と情緒のコントロールが出来なかったAさんは、呂律のまわらぬ口でかなり激しく奥さんに反論しました。でも、奥さんの返事は、

「分かるけど、何でそこまで頑張るの? 何でそこまで優等生でいなくちゃいけないの? わたしなんかは30年以上劣等生でやってきた結果、優等生になりたいと思わないよ。優等生なあなたに養われてるけど、優等生なあなたが好きなわけじゃないし、むしろそういうとこあんま好きくない。色々やれなくなって辛いと思うけど、やれないことはわたしが手伝うよ。何でも1人でやろうと思うなよ。尿漏れパッドついてるくせに」

なぜか排尿時にうまく尿を切ることができなかったAさんは、奥さんにお願いして(看護師さんたちにバレないように)こっそりと尿漏れパッドを持ってきてもらってました。「やれない出来ないは苦しい。でもまだ俺は、所詮尿漏れ男なんだ」と思ったそうです。

つまり、病気になり、後遺障害を抱えて生きて行くということは、以前とは違う自分になって生きていかなければならないということなのです。そして立ちはだかるのは、病前の「やれた自分」というセルフイメージと、病後の「やれなくなった自分」とのギャップになります。

俺はもっとやれたはず」「こんなに使えない人間じゃなかったはず」「こんなに駄目な自分は自分じゃない」とセルフイメージが高いほど、そのギャップを受容できずに苦しむことになります。

でも、これを子どものころから困った人当事者であった奥さんの場合、「かつてのやれた自分」というセルフイメージが存在しません。ですから、子どものころから「やれば出来るのにやらない」と責められ、やれない自分と折り合いをつけ、折り合いがつかない苦しさにリストカッターになり、生き抜いてきたのです。

「ねえ、何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて孤立だって言うでしょ? あなたの場合はいずれ回復するかもしれないんだから、やれないことはもっと周りに頼れよ」

出来ないことは仕方がない。逆に出来ることを一所懸命やればいいのですよね。

再発予防も含めて仕事の総量を減らし、取引先各位には自分で設定した業務時間(午後6時まで)以外の発注には対応しませんという宣言をしました。会話は上手く出来なくても文書によるやりとりなら比較的上手く出来ることに気付いて、仕事の連絡のやりとりをメールやLINE中心に移行し、ついには「携帯電話の着信には対応しません」宣言をします。新規の取材仕事は難しいため、対談形式の仕事を検討してもらったり、日常業務では注意障害によるメールや原稿の誤送信誤字脱字と変換ミスの多さや、遂行機能障害で原稿が長くなりがちで刈り込み作業(推敲して文章を短くまとめる)が困難であることなどを説明、理解してもらいました。

日常生活では、病後の僕は外食時に蕎麦を選ぶことが増えたそうですが、これは注文が「ざる」の二文字で済むからであって、上手く話せない結果として注文を聞き返されるとパニックになる自分を観察した結果への対応でした。コンビニでは釣り銭を出すことでパニックになるため、交通系プリペイドのSuicaを常用するようになりました(他のプリペイドサービスもありますが、関東圏ではSuicaカードを見せるだけでOKのところが多いのです)。もちろんすんなりと受容できないこともあったそうですが、一方で病後の変わってしまった自分だからやれる仕事や、そんな自分を肯定出来る部分も出て来たそうです。

病前にバリバリ働いていたセルフイメージの高い人ほど、病後のやれなくなった自分を受容するのはプライドの折れる苦しい事だと思います。でも、この受容ができなければ余計にハードルが増えて行ってしまうと思います。仕事に復帰する過程で一番言われたくなかった言葉は「病気に甘えるな」「いつまでも病気のせいにするな」だと思います。この言葉が残酷なのは、病後の当事者がやれなくなった自分に対して心の中で日々自ら問いかけている言葉だからです。

いずれ誰もが当事者になる可能性があるでしょう。そんな時は、以前の何でも不自由なく出来る優等生に戻らなくてもいいと思います。だからと言って、あえて劣等生になる必要もないと思います。

今、自分が置かれているレベルでの優等生で充分でしょう。無理しなければならない必要性なんかは、どこにもないのです。 


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
今まで出来ていたことが出来なくなる。辛いですからね。

病気だけではなく、何事にも言えますから、自分をいかに納得させるかですね。

あくまでも、他人と比べるのではなく、昨日の自分と比べて、それを越えることを目標にすればいいでしょうね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

病名は違いますけど、バリバリの役職者で多くの部下を抱えていたが、ある時職場で意識を失って倒れ、その後メンタル疾患を発症し仕事ができなくなりかなり思い悩み、カウンセリングを受けてもなかなか受容できなかったが、年月をかけてやっと「自分は病気なんだ」と受容できるようになった人がいます。

時々「あの時倒れなければ人生はどうだったんだろう」と。
でも今を否定することはない。
仰るように『今置かれているレベルの優等生(かどうかはわからないけど)で充分』と思っています。

病気を受け入れるって難しいですよね、特にメンタル系は。
それを他人に理解してもらうのも。。。
でも自分が動かなければ、自分から発信しなければ進まないんですよね~

顔晴れ~~~~みんな!!!
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