【まだ見ぬ世界もある
~ やってみはなれ、と何故言えぬ? の巻】
大小三つの囲碁の地域同好会で
世話役をやっていて
感じ入ること多し。
わたしは会社では「もう終わったヒト」であるが
土日の趣味の会では最年少の「小僧」である。
何かしら新しいこと、これまで出来なかったこと、
などなどを提案し、推進しようとすると、
必ず抵抗勢力が出て来て、何かしら ご意見してくる。
人生の先輩たちだから、経験は豊富過ぎるのであり、
その経験則により、これから起こるであろう事態を
つい先回りするのだ。
親切心の発露ではあるが、実のところ少し迷惑している。
昭和の時代はそれでよかった。
部長は肘掛け椅子に座り、コピーなど雑用は“女の子”に命じる。
しかし時は変わり、コピーはおろか、パソコンも触れない者は
部長どころか課長、係長にだってなれない。
だから100人同好会の半分ほどは、メールさえできない。
パソコン、スマホに触れない。
いや「やらない」のである。
「こうすれば、こうなる」
そういう時代もあった。
だが、そこをなんとか工夫し、新しい道を切り拓いていこう、
という気持ちがなければ、ヒトの精神はますます老いていく。
老いのビギナーのわたしは、そう思うのである。
◇
歴代、高段者が会長を務めてきた大規模碁会。
端に追いやられていた感のある級位者に向け、
「ラクラクで初段になる講座」を企画した。
講師を依頼した高段者から、こんな声が聞こえてきた。
「そんなことをやって、何の意味がある」
「類似企画をやったが、あまり効果はなかった」
そして、彼らは講師を次々と辞退してきた。
途方に暮れていると、幸運にも
非会員で「人に碁を教えるのが趣味」という
五段免状を持つ奇特な人が見つかり、
一緒に講師役を務めて初回をしのいだ。
その効果が見えるのは先のことだが、
まずは楽しくやればいいではないか。
今月末、短期講座は2回目となる。
少しずつ調べものをし、講座の企画を練っているが、
それ自体が今は、わたし自身のささやかな愉しみになっている。
▲老いたリーダーだって、チャレンジが求められる時代。がんばってね。
にんげん、死ぬまでは、生きている !
われわれは
いつも
恋人をもっている
彼女の名前は
ノスタルジーだ
――アーネスト・ヘミングウェイ