囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「ですます調」と「だ・である調」

2021年04月02日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

 

 

「みんなのブログ」を読んで思うこと の巻】

 


「みんなのブログ」を拝読していて

文の内容と末尾の収め方がちょっと気になる。

「ですます調」が多いような気がするが、

「だ・である調」もそこそこにある。

 


わたしは辛口のはなし(主に政治時評)を書く時、

意識して、ですます調を使うようにしている。

その方が、抑制が効いて、不気味だから。

ちょい辛のはなしでは、だ・である調になる。

そう厳密じゃなく、ごちゃ交ぜする時もある。

リズムが良いならそうするし、気分次第である。

とどのつまり、趣味のブログなのであって、

売文でもないので何でもありというワケ。

 

         ◇ 

 

今日広く用いられている「です」という言葉は

明治維新までは、吉原遊郭よりほかでは

使わなかった、といわれている。

 


それが明治30年ごろ、

山田美妙斎が小説に用いたのがきっかけで

次第に広まったようだ。

その後、二葉亭四迷が「です」では語感が弱いとし

「何々だ」などと、強く「だ」を用いた。

そこで、丁寧にモノをいうときは「です」

男同士の親しき仲では「だ」を使う様になった――。

 

そんなことを、どこかで読んだ、ような気がする。

今世紀に入り、ネット社会化が加速度を増し、

話言葉が書き言葉の領域を侵食している。

 

江戸時代も十年経つと、

ことばは様変わりしたそうだ。

いま、変化のスピードは

その数十倍になるだろう。

 

デジタル化で周回遅れとなった日本の義務教育でも

ようやく1人当たりPC1台の時代になるとか。

いまや「キーボードを打てないのは

読み書きができないの同義」

との指摘さえ出始めた。

 

恐ろしい時代の変化である。

しかし、こればかりは乗り遅れるのは

悲しい展開になること必至といえよう。

だから乱文書き飛ばしの公開日記たる

ブログという趣味だって捨てたものじゃない。

いやむしろ結構ずくめと思うのである。

 

 

 

 



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