士為知己者死、女為説己者容
士は己を知るものの為に死し
女は己を説(よろこ)ぶ者の為に容(かたち)づくる
男は自分の価値を認めてくれる者のためには
命を投げ出す
女は自分を愛してくれる人のために
容色をととのえる
――という意味である。
(故事を性差別ととられかねないが、原文通り引用した)
中国王朝の一つ、晋(しん、265~420年)にいた
予譲(よじょう)という男は
主君に恵まれず
何度も仕える相手を変えた。
最後に仕えた主君も
武運なく政敵に殺されてしまう。
予譲は「主君の仇を討とう」と
執念深く付け狙うが
逆に捕われの身になってしまう。
命を狙われた政敵は、捕らえた予譲に訊ねる。
「お前は今までに何人か仕える相手を替えてきたが
なぜ以前の主君たちの恨みを晴らそうとせず
あんなつまらん奴のために
仇を討とうとするのか?」
予譲は
「先に仕えた主君たちは
並みの待遇で私を扱った。
私も人並みの報い方で接した。
だが最後の主君は
つまらない人物だったかもしれないが
私を国士として遇してくれた。
そこで私も、国士として報いるのだ」
と答えた。
◇
相手のやる気を引き出すには
まず相手を認めることが前提となる。
処遇するには
位階がよいか
名誉がよいか
称賛がよいか
それとも
カネがよいか。
いずれにしても
他人が相手を認めるためには
言葉だけ、では十分とは言えまい。
多くの人が
教養を積むより
人格を磨くより
富を積むほうに
千倍の努力を捧げているという
この時代である。
とりあえずは形にしなければ
なんともならんのである。