【2021年に起きていること
百五十年以上前に起きていたこと
「いちいちそんなケチをつけるものじゃないですよ」幹事長妄言の情けなさ の巻】
政府や国会とて
人間のやっていることである。
時には間違いもあろうし
国民の目に余ることもあろう。
それをどのように見て、
そのように感じるかは、
それを知り、声を上げ、それに答え
初めて民主政治といえるのである。
立派な党名をみても明らかである。
孔子さまはかく語りき。
「衆目のみるところ
十指のゆびさすところ
それ正しからざんや」
民の声こそ
最もよく政治を批判するものである、と。
国民の声なき声。
為政者への怒りと悲しみ。
それが落書であり、落首であった。
文学や絵画など芸術もそうであり
だが命がけだったのである。
いまはブログもツイッターも投書もあるが、
近隣大国などでは、いまだそれも許されない。
その不条理、その不公正、そのやるせなさ。
◇
むかしは、正式な意見発表の場も機関もなく
泣き寝入り状態の封建の民衆は
どのようにして憤懣をぶちまけたのであろうか。
それでは、こちらを――。
◆西南戦争
明治十年逆さに読めば
どうせ年じゅう治まるめい
◆黒船来たる
毛唐人などと茶にして蒸気船
たつた四はいで夜も寝られず
(蒸気船は、銘茶「上喜撰」にひっかけている)
◆井伊直弼、大老に就く
外交交易せぬが井伊
叡慮もちつとはたてるが井伊
水戸の隠居は殺すが井伊
越前やつぱり半知が井伊
太田の隠居はいかさま井伊
薩摩の家格は上げぬが井伊
諸色の直段は下るが井伊
金銀吹きかへさせぬが井伊
人気を和順にするが井伊
筋有やつは殺すが井伊
◆ないものづくし
町人だんだん食われない
武家は益々堪らない
金があっても借手がない
質屋もさっぱり動かない
寄席や観世物入りがない
遊女屋すべて客がない
何商売も買人がない
落書
それは落し文から起こった
筆者は名を伏せ
世間を風刺したり
嘲弄したり
辛辣な警句を発したり
わざと人目に付きやすい場所に落とした
起こりは極めて古く
文武天皇の御代に制定された
大宝律令にみえる
平安時代から落書は増え始め
平治物語に藤原秀郷が
平将門の首を獄門にかけたのを
将門はこめかみよりぞ斬られける
たはら藤太がはかりごとにて
(藤太=秀郷のこと)
と詠んだのがあり
これが落首のはじまりといわれている
落書と落首 歴史学や民俗学の落書(らくしょ、おとしがき)は、政治風刺や批判、揶揄を目的にし、一般の人の目に触れる場に匿名掲示・配布される文書のこと。 特に詩歌形式の落書は「落首」と呼ばれた