【誰だって 生まれつき 碁の高手だったワケじゃない の巻】
■囲碁は「敷居の高い遊戯」です。
ルールは簡単、しかし概念・運用は複雑。
覚えても長続きしないケースが多い。
運よく一度、一定レベルで習得してしまえば
棋力は長く維持されます。
五段が十年も打たなくても
五段のままで打てる、といいます。
感覚と技術の「忘れにくさ」という特質からです。
身についた力は蓄積され、高度化しますし、
棋力とともに上達意欲も強くなります。
■逆に、これは弱かった頃をいつしか忘れ
その頃の気持ちまで分からなくなるという面も
あわせ持つようです。
ヒトの記憶のあいまいなこと。
都合の悪いことは「忘れっぽい」。
そして、初心・初級に親切でなくなる。
碁の解説でも強い人ばかりが注目を浴び、
難解な感覚や言語が飛び交って
弱い人を遠ざけてしまいます。
言葉の端々に出る上から目線の物言いに
反感・反発が生じていきます。
当ブログでも碁の技術論に偏すれば
たちまち極端に閲覧者が減ります。
日本の碁の衰退には、
碁の特性が起因しているのではないか。
こう思う様になりました。
■最近 新しい小さな碁会を立ち上げました。
勧誘するなかで「置かせ碁は打ちたくない」
という高段者がおられました。
本人の主義・主張・信念でしょうから、よしとしましょう。
でも、わたしからすると、こちらから願い下げです。
頭を下げてまで、入っていただく理由は
1ミリだってありません。
■ほんの一握りのプロやアマ強豪は別として
地域碁会には「親睦」という大きな眼目があり
それが「愉しみ」の起点になります。
新型コロナウイルスとの共生時代が
長く続くとみられているなか
たとえ「小人数の碁会」であっても
ちいさな灯を絶やすことなく
細くとも長く愉しみの一点を求め
続けていきたいものです。
碁の強いやつは悪人だ 坂口安吾