【侍従長・入江相政の随筆「古典逍遥」より の巻】
■大相撲秋場所
中日、八日目の日曜日、天皇陛下のお供で国技館に行く。
五月場所以来ちょうど四カ月ぶり。
「四カ月ぶり」といっても、
間には、七月の名古屋場所がはいっている。
でもまだ半歳にもならないのに、相当な変わりようである。
五月には、隆の里はまだ休んでいた。
名古屋の時は出て、両腕の手術の傷あとを残しながらも、
とにかく十勝五敗。
この分では、ひょっとすると、
あの強かった昔にまた返ってくれるかと、
夢を抱いてもいたのに、
今場所は、初日も二日目も敗けて、そのまま休場。
千代の富士がどうしても勝てなかったこともあるのに。
今日は陛下がいらっしゃるので、
幕内の土俵入りは、御前がかり。
出身地、所属の部屋、そして醜名が呼ばれると、
場内から拍手が起る。
この拍手の分量によって、
その力士の人気がわかる。
全く拍手の無い人などはもちろんなく、
みんな相当の音量であるのだが、
じっと耳を傾けていると、それぞれにかなりの開きがある。
全勝の麒麟児、寺尾、北尾、そして千代の富士へのは、
まさに割れんばかり。
(中略)
攻めて攻めて攻めまくって、九分九厘、
さらに九厘何毛かまでこの人のものと思われたのに、
最後の最後で逆転、このはかないうつくしさがたまらない。
(中略)
打出して場外に出たら、大した降りではないけれど、とにかく雨である。
陛下のお車に陪乗して渡る両国橋。
まだ小学生だった子供の頃から、
相撲のために、一体なんべんこの橋を渡ったことか。
(中略)
秋場所の相撲のかへさ大川の昔ながらの風の中ゆく
あんなに暑く、そして長かった夏もどうにかおわった。
そしてこれは秋の風である。
(表記は、原文のママ)
◇
大相撲といえば、田舎暮らしならTV観戦である。
が、幸いなことに、春には大阪場所があり、
高槻・摂津峡に藤島部屋も滞在し、朝稽古が見られる。
昨春、仕事終わりにミナミの大阪府立体育会館で「出待ち」した。
戦い済んだ強者たちは、風呂上がりの鬢付け油の甘い匂いを漂わせ、
サインや記念撮影にきさくに応じ、大型タクシーに乗り込む。
その鯔背(いなせ)な姿に、周りは清々しい気分になったものだ。
何も「勝ち負けを見て、『星』を数えるだけ」が、すもうではない。
季節と地域の空気感や情緒など諸々を含めて、
なのである。
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