不思議活性

賢治童話と私  北守将軍と三人兄弟の医者 3



     3、リンパー先生

 さてソンバーユー将軍は、いまやリンパー先生の、大玄関を乗り切って、どしどし廊下へ入つて行く。さすがはリンパー病院だ、どの天井も室の扉も、高さが二丈ぐらいある。
「医者はどこかね。診てもらいたい。」ソン将軍は号令した。
「あなたは一体何ですか。馬のまんまで入るとは、あんまり乱暴すぎませう。」萌黄の長い服を着て、頭をそった一人の弟子が、馬のくつわをつかまへた。
「おまへが医者のリンパーか、早くわが輩の病気を診ろ。」
「いゝえ、リンパー先生は、向ふの室に居られます。けれどもご用がおありなら、馬から下りていたゞきたい。」
「いゝや、そいつができんのぢや。馬からすぐに下りれたら、今ごろはもう王様の、前へ行つてた筈なんぢや。」
「ははあ、馬から降りられない。そいつは脚の硬直だ。そんならいゝです。おいでなさい。」
 弟子は向ふの扉をあけた。ソン将軍はぱかぱかと馬を鳴らしてはいって行った。中には人がいつぱいで、そのまん中に先生らしい、小さな人が床几に座り、しきりに一人の眼を診ている。
「ひとつこつちをたのむのぢや。馬から降りられないでなう。」さう将軍はやさしく云つた。ところがリンパー先生は、見向きもしないし動きもしない。やつぱりじつと眼を見ている。
「おい、きみ、早くこつちを見んか。」将軍が怒鳴り出したので、病人たちはびくつとした。ところが弟子がしずかに云つた。
「診るには番がありますからな。あなたは九十六番で、いまは六人目ですから、もう九十人お待ちなさい。」
「黙れ、きさまは我輩に、八十一人待てつと云ふか。おれを誰だと考へる。北守将軍ソンバーユーだ。九万人もの兵隊を、町の広場に待たせてある。おれが一人を待つことは八万一千の兵隊が、向ふの方で待つことだ。すぐ見ないならけちらすぞ。」将軍はもう鞭をあげ馬は一いきはねあがり、病人たちは泣きだした。ところがリンパー先生は、やつぱりびくともしていない、てんでこつちを見もしない。その先生の右手から、黄の綾を着た娘が立つて、花瓶にさした何かの花を、一枝とつて水につけ、やさしく馬につきつけた。馬はぱくつとそれをかみ、大きな息を一つして、ぺたんと四つ脚を折り、今度はごうごういびきをかいて、首を落してねむつてしまふ。ソン将軍はまごついた。
「あ、馬のやつ、又参つたな。困つた。困つた。困つた。」と云つて、急いで鎧のかくしから、塩の袋をとりだして、馬に喰べさせようとする。
「おい、起きんかい。あんまり情けないやつだ。あんなにひどく難儀して、やつと都に帰つて来ると、すぐ気がゆるんで死ぬなんて、ぜんたいどういふ考えなのか。こら、起きんかい。起きんかい。しつ、ふう、どう、おい、この塩を、ほんの一口たべんかい。」それでも馬は、やつぱりぐうぐうねむつている。ソン将軍はたうとう泣いた。
「おい、きみ、わしはとにかくに、馬だけどうかみてくれたまへ。こいつは北の国境で、三十年もはたらいたのだ。」
 むすめはだまつて笑つていたが、このときリンパー先生が、いきなりこつちを振り向いて、まるで将軍の胸底から、馬の頭も見徹すやうな、するどい眼をしてしずかに云つた。
「馬はまもなく治ります。あなたの病気をしらべるために、馬を座らせただけです。あなたはそれで向ふの方で、何か病気をしましたか。」
「いゝや、病気はしなかつた。病気は別にしなかつたが、狐のために欺されて、どうもときどき困つたぢや。」
「それは、どういふ風ですか。」
「向ふの狐はいかんのぢや。十万近い軍勢を、たゞ一ぺんに欺すんぢや。夜に沢山火をともしたり、昼間いきなり破漠の上に、大きな海をこしらへて、城や何かも出したりする。全くたちが悪いんぢや。」
「それを狐がしますのですか。」
「狐とそれから、砂鶻ぢやね、砂鶻というて鳥なんぢや。こいつは人の居らないときは、高い処を飛んでいて、誰かを見ると試しに来る。馬のしつぽを抜いたりね。目をねらつたりするもんで、こいつがでたらもう馬は、がたがたふるへてようあるかんね。」
「そんなら一ペん欺されると、何日ぐらいでよくなりますか。」
「まあ四日ぢやね。五日のときもあるやうぢや。」
「それであなたは今までに、何べんぐらい欺されました?」
「ごく少くて十ぺんぢやらう。」
「それではお尋ねいたします。百と百とを加へると答えはいくらになりますか。」
「百八十ぢや。」
「それでは二百と二百では。」
「さやう、三百六十だらう。」
「そんならも一つ伺ひますが、十の二倍は何ほどですか。」
「それはもちろん十八ぢや。」
「なるほど、すつかりわかりました。あなたは今でもまだ少し、砂漠のためにつかれています。つまり十パーセントです。それではなおしてあげましょう。」
 パー先生は両手をふつて、弟子にしたくを云ひ付けた。弟子は大きな銅鉢に、何かの薬をいつぱい盛つて、布巾を添えて持つて来た。ソン将軍は両手を出して鉢をきちんと受けとつた。パー先生は片袖まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜はすぐにすぱりととれた。弟子がも一人、もひとつ別の銅鉢へ、別の薬をもつてきた。そこでリンパー先生は、別の薬でじやぶじやぶ洗ふ。雫はまるでまつ黒だ。ソン将軍は心配さうに、うつむいたままきいている。
「どうかね、馬は大丈夫かね。」
「もうぢきです。」とパー先生は、つゞけてじやぶじやぶ洗つている。雫がだんだん茶いろになつて、それからうすい黄いろになつた。それからたうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊より白く輝いた。そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭ふく。将軍はぶるつと身ぶるいして、馬にきちんと起きあがる。
「どうです、せいせいしたでせう。ところで百と百とをたすと、答えはいくらになりますか。」
「もちろんそれは二百だらう。」
「そんなら二百と二百とたせば。」
「さやう、四百にちがひない。」
「十の二倍はどれだけですか。」
「それはもちろん二十ぢやな。」さつきのことは忘れた風で、ソン将軍はけろりと云ふ。
「すつかりおなほりなりました。つまり頭の目がふさがつて、一割いけなかつたのですな。」
「いやいや、わしは勘定などの、十や二十はどうでもいいんぢや。それは算師がやるでなう。わしは早速この馬と、わしをはなしてもらひたいんぢや。」
「なるほどそれはあなたの足を、あなたの服と引きはなすのは、すぐ私に出来るです。いやもう離れている筈です。けれども、ずぼんが鞍につき、鞍がまた馬についたのを、はなすといふのは別ですな。それはとなりで、私の弟がやつていますから、そつちへおいでいただきます。それにいつたいこの馬もひどい病気にかかつています。」
「そんならわしの顔から生えた、このもじやもじやはどうぢやらう。」
「そちらもやつぱり向ふです。とにかくひとつとなりの方へ、弟子をお供に出しませう。」
「それではそつちへ行くとしよう。ではさやうなら。」
 さつきの白いきものをつけた、むすめが馬の右耳に、息を一つ吹き込んだ。馬はがばつとはねあがり、ソン将軍は俄に背が高くなる、将軍は馬のたづなをとり、弟子とならんでへやを出る。それから庭をよこぎつて厚い土塀の前に来た。小さなくぐりがあいている。
「いま裏門をあけさせませう。」助手は潜りを入つて行く。
「いゝや、それには及ばない。わたしの馬はこれぐらい、まるで何とも思つてやしない。」
 将軍は馬にむちをやる。
 ぎつ、ばつ、ふう。馬は土塀をはね越えて、となりのリンプー先生の、けしのはたけをめちやくちやに、踏みつけながら立つていた。

・次回に続く・・・。


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