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『銀河鉄道の夜と私』について

  『銀河鉄道の夜と私』について

 

 私が宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』に、自分なりの解釈で挿絵としてペン画を描いたのが1978年(昭和53年)24歳の時でした。これは非売品として百部ほど自費出版したのでした。その後、事情があり、その本の表紙など破棄して、改めて『スケッチ集 銀河鉄道の夜と私』として、製本し直したのが、30歳の頃でしょうか。その本も、今は押入れに眠っているのですが。2020年(令和2年)でじたる書房より電子書籍にしてみました。
 そして、2022年にグーブログを始めて、その2月から、『スケッチ集 銀河鉄道の夜と私』として、五回にわたって紹介しました。

 その時の紹介文として、

(私が賢治作『銀河鉄道の夜』を自分なりに心象スケッチとしてペン画で描いたのは24歳の時でした。それから、40年は過ぎました。そう、改めて『銀河鉄道の夜』を読み直してみた私です。すると、ひとつの気づきがありました。それは、出版元が違っていた今回の本では、ジョバンニが夢のなかの銀河鉄道の夜から目をさますところで、セロのような優しい声の一人の人物とのやりとりの場面が消されていたのです。賢治作『銀河鉄道の夜』は、何度も推敲されているので、どれが正解かはわからないのですが、私は24歳の時に読んだ『銀河鉄道の夜』の、「おまえはいったい何を泣いているの、ちょっとこっちをごらん」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました。のエピソードの部分があったほうがいいなと思いました。)

 と、書いた私です。

 そう、そのジョバンニの乗った銀河鉄道の汽車の中でしばしば聞こえてきていろいろ説明するセロのような声(おそらくブルカニロ博士が、入眠中のジョバンニに考えを伝える実験?)の部分は、やはり、あったほうがいいなと思う私ですので、そのエピソードの部分だけを、読んだことがない人のために、気になるので紹介いたします。

 それは、『銀河鉄道の夜』の本文の中で、

「カンパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ。」ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカンパネルラのすわっていた席に、もうカンパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。
 ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そしてだれにも聞こえないように、窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び、それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。
 もうそこらが一ぺんにまっくらになったと思いました。

の次に続けて挿入されていたのです。

 そのエピソードの部分です。

  * * * * * *



 そのとき、

「おまえはいったい何を泣いているの。ちょっとこっちをごらん。」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジヨバンニのうしろから聞こえました。
 ジヨバンニは、はっと思って涙をはらってそっちをふり向きました。
 さっきまでカムパネルラのすわっていた席に、黒い大きな帽子をかぶった青白い顏のやせたおとなが、やさしくわらって大きな一冊の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだらう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしよにまっすぐに行こうと言ったんです。」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしよに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。
 おまえがあうどんなひとでも、みんななんべんもおまへといっしょにりんごをたべたり汽車に乗ったりしたのだ。
 だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしよに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしよに行けるのだ。」
「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう。」
「ああ、わたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかりもつておいで。そして一しんに勉強しなきゃあいけない。おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。
 けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん。いいかい。これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこのページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ。紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
 だからこのページ一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞくと出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それは次のページだよ。
 紀元前一千年。だいぶ地理も歴史も変わってるだらう。このときにこうなのだ。変な顏をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしよにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか。」
 そのひとは指を一本あげてしずかにそれをおろしました。


 するといきなりジヨバンニは自分というものがじぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしよにぽかっと光って、しいんとなくなってぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとしたただもうそれっきりになってしまうのを見ました。
 だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました。
「さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」
 そのときまっくらな地平線の向こうから青じろいのろしがまるでひるまのようにうちあげられ、汽車の中はすつかり明るくなりました。
 そしてのろしは高くそらにかかって光りつづけました。
「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」
 ジョバンニはくちびるをかんで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。
「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない。」
 あのセロのような声がしたと思うとジョバンニは、あの天の川がもうまるで遠く遠く、風が吹き、自分はまっすぐに草の丘に立っているのを見、また遠くからあのブルカニロ博士の足おとのしずかに近づいて来るのをききました。
「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で、遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。お前の言ったことばはみんな私の手帖にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」
「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます。」
 ジョバンニは力強く言いました。
「ああではさよなら。これはさっきの切符です。」
 博士は小さく折った緑いろの紙を、ジョバンニのポケットに入れました。
 そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向こうに見えなくなっていました。
 ジョバンニはまっすぐに走って丘をおりました。
 そしてポケットがたいへん重くカチカチ鳴るのに気がつきました。林の中でとまってそれをしらべてみましたら、あの緑いろのさっき夢の中で見たあやしい天の切符の中に、大きな二枚の金貨が包んでありました。
「博士ありがとう、おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ。」
 ジョバンニは叫んで走りました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集ってなんとも言えずかなしいような新しいような気がするのでした。
 琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた夢のように足をのばしていました。

     * * * * * *

 以上、エピソード挿入の部分でした。

 で、その後は、一行あけて、

 ジョバンニは目をひらきました。もとの丘の草の中に、つかれてねむっていたのでした。胸はなんだかおかしく熱り、頬にはつめたい涙がながれていました。
 ジョバンニは、ばねのようにはね起きました。 に、つながっていくのでした・・・・。


・今回、改めて、『銀河鉄道の夜』の夢のなかでのジョバンニとブルカニロ博士とのやりとりを紹介したのですが、このエピソードの部分だけを読んだとしても、宮沢賢治の宗教と科学にたいする考えかたや、SF小説とも思えるような描写であったり、また、それがジョバンニという少年のみんなの幸せを求めての童話であることに、改めて、賢治作『銀河鉄道の夜』のすごさに驚いた私です・・・・。
 賢治童話は、幾つになっても不思議な魅力を与えてくれて、また、幾つになっても、少年時代の自然とのふれあいの想い出を運んできてくれるのですね・・・・。

                    賢治童話と私

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