4、馬医リンブー先生
ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。そして二人が正面の、巨きな棟にはひつて行くと、もう四方から馬どもが、二十疋もかけて来て、蹄をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶する。
向ふでリンプー先生は、首のまがつた茶いろの馬に、白い薬を塗つている。さつきの弟子が進んで行つて、ちよつと何かをさゝやくと、馬医のリンプー先生は、わらつてこつちをふりむいた。巨きな鉄のむなあてを、がつしりはめていることは、ちやうどやつぱり鎧のやうだ。馬にけられぬためらしい。将軍はすぐその前へ、じぶんの馬を乗りつけた。
「あなたがリンプー先生か。わしは将軍ソンバーユーぢや。何分ひとつたのみたい。」
「いや、その由を伺ひました。あなたのお馬はたしか三十九ぐらいですな。」
「四捨五入して、さうぢや、やつぱり三十九ぢやな。」
「ははあ、たゞいま手術いたします。あなたは馬の上に居て、すこし煙いかしれません。それをご承知くださいますか。」
「煙い? なんのどうして煙ぐらい、砂漠で風の吹くときは、一分間に四十五以上、馬を跳躍させるんぢや。それを三つも、やすんだら、もう頭まで埋まるんぢや。」
「ははあ、それではやりませう。おい、フーシユ。」プー先生は弟子を呼ぶ。弟子はおじぎを一つして、小さな壺をもつて来た。プー先生は蓋をとり、何か茶いろな薬を出して、馬のまなこに塗りつけた。それから「フーシユ」とまた呼んだ。弟子はおじぎを一つして、となりの室へ入つて行つて、しばらくごとごとしていたが、まもなく赤い小さな餅を、皿にのつけて帰つて来た。先生はそれをつまみあげ、しばらく指ではさんだり、匂をかいだりしていたが、何か決心したらしく、馬にぱくりと喰べさせた。ソン将軍は、その白馬の上に居て、待ちくたびれてあくびをした。すると俄かに白馬は、がたがたがたがたふるへ出しそれからからだ一面に、あせとけむりを噴き出した。プー先生はこわそうに、遠くへ行つてながめている。がたがたがたがた鳴りながら、馬はけむりをつゞけて噴いた。そのまた煙が無暗にからい。ソン将軍も、はじめは我慢していたが、たうとう両手を眼にあてて、ごほんごほんとせきをした。そのうちだんだんけむりは消えてこんどは、汗が滝よりひどくながれだす。プー先生は近くへよつて、両手をちよつと鞍にあて、二っつばかりゆすぶつた。
たちまち鞍はすぱりとはなれ、はずみを食つた将軍は、床にすとんと落された。ところがさすが将軍だ。いつかきちんと立つている。おまけに鞍と将軍も、もうすつかりとはなれていて、将軍はまがつた両足を、両手でぱしやぱしや叩いたし、馬は俄かに荷がなくなつて、さも見当がつかないらしく、せなかをゆらゆらゆすぶつた。するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、いきなりぐつと引つ張つた。すると何やらまつ白な、尾の形した塊が、ごとりと床にころがり落ちた。馬はいかにも軽さうに、いまは全く毛だけになつたしつぼを、ふさふさ振つている。弟子が三人集つて、馬のからだをすつかりふいた。
「もういゝだらう。歩いてごらん。」
馬はしずかに歩きだす。あんなにぎちぎち軋んだ膝がいまではすつかり鳴らなくなつた。プー先生は手をあげて、馬をこつちへ呼び戻し、おじぎを一つ将軍にした。
「いや謝しますぢや。それではこれで。」将軍は、急いで馬に鞍を置き、ひらりとそれにまたがれば、そこらあたりの病気の馬は、ひんひん別れの挨拶をする。ソン将軍は室を出て塀をひらりと飛び越えて、となりのリンポー先生の、菊のはたけに飛び込んだ。
5、リンポー先生
さてもリンポー先生の、草木を治すその室は、林のやうなものだつた。あらゆる種類の木や花が、そこらいつぱいならべてあつて、どれにもみんな金だの銀の、巨きな札がついている。そこを、バーユー将軍は、馬から下りて、ゆつくりと、ポー先生の前へ行く。さつきの弟子がさきまわりして、すつかりはなしていたらしく、ポー先生は薬のはこと大きな赤いうちわをもつて、ごくうやうやしく待つていた。ソン将軍は手をあげて、
「これぢや。」と顔を指さした。ポー先生は黄いろな粉を、薬函から取り出して、ソン将軍の顔から肩へ、もういつぱいにふりかけて、それから例のうちわをもつて、ばたばたばたばた扇ぎ出す。するとたちまち、将軍の、顔ぢゆうの毛はまつ赤に変り、みんなふはふは飛び出して、見てゐるうちに将軍は、すつかり顔がつるつるなつた。じつにこのとき将軍は、三十年ぶりにつこりした。
「それではこれで行きますぢや。からだもかるくなつたでなう。」もう将軍はうれしくて、はやてのやうに室を出て、おもての馬に飛び乗れば、馬はたちまち病院の、巨きな門を外に出た。あとから弟子が六人で、兵隊たちの顔から生えた灰いろの毛をとるために、薬の袋とうちわをもつて、ソン将軍を追いかけた。
6、北守将軍仙人となる
さてソンバーユー将軍は、ポー先生の玄関を、光のやうに飛び出して、となりのリンプー病院を、はやてのごとく通り過ぎ、次のリンパー病院を、斜めに見ながらもう一散に、さつきの坂をかけ下りる。馬は五倍も速いので、もう向ふには兵隊たちの、やすんでいるのが見えてきた。兵隊たちは心配さうにこつちの方を見ていたのだが、思はず歓呼の声をあげ、みんな一緒に立ちあがる。そのときお宮の方からはさつきの使ひの軍師の長が一目散にかけて来た。
「あゝ、王様は、すつかりおわかりなりました。あなたのことをおききになつて、おん涙さへ浮べられ、お出いでをお待ちでございます。」
そこへさつきの弟子たちが、薬をもつてやつてきた。兵隊たちはよろこんで、粉をふつてはばたばた扇ぐ。そこで九万の軍隊は、もう輪廓もはつきりなつた。
将軍は高く号令した。
「馬にまたがり、気をつけいつ。」
みんなが馬にまたがれば、まもなくそこらはしんとして、たつた二疋の遅れた馬が、鼻をぶるつと鳴らしただけだ。
「前へ進めつ。」太鼓も銅鑼も鳴り出して、軍は粛々行進した。
やがて九万の兵隊は、お宮の前の一里の庭に縦横ちやうど三百人、四角な陣をこしらへた。
ソン将軍は馬を降り、しづかに壇をのぼつて行つて床に額をすりつけた。王はしづかに斯ういつた。
「じつに永らくご苦労だつた。これからはもうこゝに居て、大将たちの大将として、なほ忠勤をはげんでくれ。」
北守将軍ソンバーユーは涙を垂れてお答へした。
「おことばまことに畏くて、何とお答へいたしていゝか、とみに言葉もいでませぬ。とは云へいまや私は、生きた骨ともいふやうな、役に立たずでございます。砂漠の中に居ました間、どこから敵が見ているか、あなどられまいと考えて、いつでもりんと胸を張り、目を見開いて居りましたのが、いま王様のお前に出て、おほめの詞をいたゞきますと、にわかに目さへ見えぬやう。背骨も曲つてしまひます。なにとぞこれでお暇を願ひ、郷里に帰りたうございます。」
「それでは誰かおまへの代り、大将五人の名を挙げよ。」
そこでバーユー将軍は、大将四人の名をあげた。そして残りの一人の代り、リン兄弟の三人を国のお医者におねがいした。王は早速許されたので、その場でバーユー将軍は、鎧もぬげば兜もぬいで、かさかさ薄い麻を着た。そしてじぶんの生れた村のス山の麓へ帰つて行つて、粟をすこうしまいたりした。それから粟の間引きもやった。けれどもそのうち将軍は、だんだんものを食はなくなってせつかくじぶんで播いたりした、粟も一口たべただけ、水をがぶがぶ呑のんでいた。ところが秋の終りになると、水もさつぱり呑まなくなって、ときどき空を見上げては何かしやっくりするやうなきたいな形をたびたびした。
そのうちいつか将軍は、どこにも形が見えなくなった。そこでみんなは将軍さまは、もう仙人になったと云つて、ス山の山のいたゞきへ小さなお堂をこしらへて、あの白馬は神馬に祭り、あかしや粟をさゝげたり、麻ののぼりをたてたりした。
けれどもこのとき国手になった例のリンパー先生は、会う人ごとに斯ういった。
「どうして、バーユー将軍が、雲だけ食った筈はない。おれはバーユー将軍の、からだをよくみて知っている。肺と胃の腑は同じでない。きっとどこかの林の中に、お骨があるにちがいない。」
なるほどさうかもしれないと思った人もたくさんあった。
・『北守(ほくしゅ)将軍と三人兄弟の医者』いかがでしたか。最後は、リンパー先生、リンブー先生、リンポー先生の三人はお国のお医者になり、北守将軍は仙人となるのでしたが、私自身もリタイアとなり、いつ仙人となってもおかしくはないのかなとも思いました。でも、まだまだこの世に未練がありますので、どこかの林の中の骨になるには、まだまだ先のお話かなと思う私ではあります・・・・。