不思議活性

賢治童話と私  雁の童子  2



      2

 又ある時、須利耶さまは童子をつれて、馬市の中を通られましたら、一疋の仔馬が乳を呑んで居ったと申します。黒い粗布を着た馬商人が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に結びつけ、そして黙ってそれを引いて行こうと致しまする。母親の馬はびっくりして高く鳴きました。なれども仔馬はぐんぐん連れて行かれまする。向うの角を曲ろうとして、仔馬は急いで後肢を一方あげて、腹の蠅を叩きました。
 童子は母馬の茶いろな瞳を、ちらっと横眼で見られましたが、俄かに須利耶さまにすがりついて泣き出されました。けれども須利耶さまはお叱りなさいませんでした。ご自分の袖で童子の頭をつつむようにして、馬市を通りすぎてから河岸の青い草の上に童子を座らせて杏の実を出しておやりになりながら、しずかにおたずねなさいました。

(お前はさっきどうして泣いたの。)
(だってお父さん。みんなが仔馬をむりに連れて行くんだもの。)
(馬は仕方ない。もう大きくなったからこれから独りで働らくんだ。)
(あの馬はまだ乳を呑んでいたよ。)
(それはそばに置いてはいつまでも甘えるから仕方ない。)
(だってお父さん。みんながあのお母さんの馬にも子供の馬にもあとで荷物を一杯つけてひどい山を連れて行くんだ。それから食べ物がなくなると殺して食べてしまうんだろう。)
 
 須利耶さまは何気ないふうで、そんな成人のようなことを云うもんじゃないとは仰っしゃいましたが、ほんとうは少しその天の子供が恐ろしくもお思いでしたと、まあそう申し伝えます。
 
 須利耶さまは童子を十二のとき、少し離れた首都のある外道の塾にお入れなさいました。
 童子の母さまは、一生けん命機を織って、塾料や小遣いやらをこしらえてお送りなさいました。
 冬が近くて、天山はもうまっ白になり、桑の葉が黄いろに枯れてカサカサ落ちました頃、ある日のこと、童子が俄かに帰っておいでです。母さまが窓からめざとく見付けて出て行かれました。
 須利耶さまは知らないふりで写経を続けておいでです。
(まあお前は今ごろどうしたのです。)
(私、もうお母さんと一諸に働らこうと思います。勉強している暇はないんです。)
 母さまは、須利耶さまの方に気兼ねしながら申されました。
(お前は又そんなおとなのようなことを云って、仕方ないではありませんか。早く帰って勉強して、立派になって、みんなの為にならないとなりません。)
(だっておっかさん。おっかさんの手はそんなにガサガサしているのでしょう。それだのに私の手はこんななんでしょう。)
(そんなことをお前が云わなくてもいいのです。誰でも年を老れば手は荒れます。そんな事より、早く帰って勉強をなさい。お前の立派になる事ばかり私には楽みなんだから。お父さんがお聞きになると叱られますよ。ね。さあ、おいで。)と斯う申されます。
 童子はしょんぼり庭から道に出られました。それでも、また立ち停ってしまわれましたので、母さまも出て行かれてもっと向うまでお連れになりました。そこは沼地でございました。母さまは戻ろうとして又(さあ、おいで早く)と仰っしゃったのでしたが童子はやっぱり停まったまま、家の方をぼんやり見て居られますので、母さまも仕方なく又振り返って、あしを一本抜いて小さな笛をつくり、それをお持たせになりました。
 童子はやっと歩き出されました。そして、遥かに冷たい縞をつくる雲のこちらに、あしがそよいで、やがて童子の姿が、小さく小さくなってしまわれました。俄かに空を羽音がして、雁の一列が通りました時、須利耶さまは窓からそれを見て、思わずどきっとなされました。
 そうして冬に入りましたのでございます。その厳しい冬が過ぎますと、まずやなぎの芽は温和しく光り、沙漠には砂糖水のような陽炎が徘徊いたしまする。杏やすももの白い花が咲き、次では木立も草地もまっ青になり、もはや玉髄の雲の峯が、四方の空をめぐる頃となりました。
 ちょうどそのころ沙車の町はづれの砂の中から、古い沙車大寺のあとが掘り出されたとのことでございました。
 一つの壁がまだそのままで見附けられ、そこには三人の天童子が描かれ、ことにその一人はまるで生きたようだとみんなが評判しましたそうです。或るよく晴れた日、須利耶さまは都に出られ、童子の師匠を訪ねて色々礼を述べ、又三巻の粗布を贈り、それから半日、童子を連れて歩きたいと申されました。
 
 お二人は雑沓の通りを過ぎて行かれました。
 須利耶さまが歩きながら、何気なく云われますには、
(どうだ、今日の空の碧いことは、お前がたの年は、丁度今あのそらへ飛びあがろうとして羽をばたばた云わせているようなものだ。)
 童子が大へんに沈んで答えられました。
(お父さん。私はお父さんとはなれてどこへも行きたくありません。)
 須利耶さまはお笑いになりました。
(勿論だ。この人の大きな旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛び去ることはいけないのだ。)
(いいえ、お父さん。私はどこへも行きたくありません。そして誰もどこへも行かないでいいのでしょうか。)とこう云う不思議なお尋ねでございます。
(誰もどこへも行かないでいいかってどう云うことだ。)
(誰もね、ひとりで離れてどこへも行かないでいいのでしょうか。)
(うん。それは行かないでいいだろう。)と須利耶さまは何の気もなくぼんやりと斯うお答えでした。
  そしてお二人は町の広場を通り抜けて、だんだん郊外に来られました。すながずうっとひろがって居りました。その砂が一ところ深く掘られて、沢山の人がその中に立ってございました。お二人も下りて行かれたのです。そこに古い一つの壁がありました。色はあせてはいましたが、三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶さまは思わずどきっとなりました。何か大きな重いものが、遠くの空からばったりかぶさったように思われましたのです。それでも何気なく申されますには、
 (なる程立派なもんだ。あまりよく出来てなんだか恐いようだ。この天童はどこかお前ににているよ。)
 須利耶さまは童子をふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、倒れかかっていられました。須利耶さまは愕ろいて急いで抱き留められました。童子はお父さんの腕の中で夢のようにつぶやかれました。

 (おじいさんがお迎いをよこしたのです。)
 須利耶さまは急いで叫ばれました。
(お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)
 童子が微かに云われました。
(お父さん。お許し下さい。私はあなたの子です。この壁は前にお父さんが書いたのです。そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家したのでしたが敵王がきて寺を焼くとき二日ほど俗服を着てかくれているうちわたくしは恋人があってこのまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです。)
 人々が集まって口口に叫びました。
(雁の童子だ。雁の童子だ。)
 童子はも一度、少し唇をうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと申します。
 私の知って居りますのはただこれだけでございます。」
 
 老人はもう行かなければならないようでした。私はほんとうに名残り惜しく思い、まっすぐに立って合掌して申しました。
「尊いお物語をありがとうございました。まことにお互い、ちょっと沙漠のへりの泉で、お眼にかかって、ただ一時を、一諸に過ごしただけではございますが、これもかりそめの事ではないと存じます。ほんの通りかかりの二人の旅人とは見えますが、実はお互がどんなものかもよくわからないのでございます。いずれはもろともに、善逝(すがた)の示された光の道を進み、かの無上菩提に至ることでございます。それではお別れいたします。さようなら。」
 
 老人は、黙って礼を返しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、今まで私の来た方の荒地にとぼとぼ歩き出しました。私も又、丁度その反対の方の、さびしい石原を合掌したまま進みました。

・この物語の終わりで、須利耶圭が前世で童子の実父であり壁画の天童子を画いたということが明かされるのですが、今一度、実の親子となって巡り会うことによって、童子は無事、天に帰っていくことが出来たということでしょうか。
 物語の最初に、「私共は天の眷属でございます。罪があってただいままで雁の形を受けて居りました。只今報いを果しました。私共は天に帰ります。ただ私の一人の孫はまだ帰れません。これはあなたとは縁のあるものでございます。どうぞあなたの子にしてお育てを願います。おねがいでございます 。」とあったことが思い浮かびます。
 輪廻転生が賢治童話に取り入れられているということ、それは賢治にとって、少しも不思議なことではなかったのではと思う私です・・・・。

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